「チャン! だいじょうぶか!?」 「……っ! 無事です」 チャンは、波のように押し寄せた火の直撃をよけて、転がった。右足のスーツが焦げているが、火傷はしていないようだ。 「去年から、火の災難に遭うことが多いですね」 これが終わったら、真砂名神社でお祓いしてもらうか、とチャンは、ひっくり返った際に落ちたメガネをかけなおしながら言った。ロビンを庇って、マグマの直撃を受けたのは、ついこの間のことのように思う。 室長が、泣きそうな顔で、衝撃で割れた窓のまえで、火が付いた書類を、じぶんのジャケットをかぶせて消し込んでいる。 グレンはすでにアストロスに降りている。こうなるまえでよかったと、バグムントもチャンも思った。 「クッソ、イシュマールじいさんの話じゃ、船内は燃えないように、がんばるんじゃなかったのか」 バグムントの舌打ちに、チャンは冷静に返した。 「努力はする、としか、わたしは聞いてませんよ」 エーリヒとクラウド、ベンの足元を、火勢が舐めて行ったのは、彼らがシャイン・システムのまえまで来たときだった。 床だけではない。一瞬だけ現れた猛烈な業火は、ふたりをあぶるだけでなく、シャイン・システムの扉をも焦げ付かせていった。 「うあちッ!!」 火勢にめげず、クラウドがカードを差し込み口に突っ込むと、どろりと溶けた。クラウドは指を火傷した。もちろんだが、ドアは開かなかった。 「これはもしかして、最悪の事態というヤツかね」 エーリヒは無表情で言ったが、ものすごい勢いで、火のついた足元を、手で払っていた。 中央区からK19区まで、車で三時間はかかるかもしれない。 「シャインがつかえないんじゃしかたがない、急ぎましょう!」 ベンは、煤だらけの頬をぬぐい、だれかの車を借りるため、執務室へ戻ろうとしたのだが、エーリヒは止めた。 「待ちたまえ、ベン」 エーリヒは、いきなりなにを思ったか、ベンと握手をした。 「君の任務はここまでだ」 「――え?」 ベンだけではなく、クラウドも目を見張った。 「君はよくやってくれた」 エーリヒが、もういいのだと言った。言外に、恋人の無事をたしかめに行けといっていることだけは、ベンにも、そしてクラウドにもわかった。 「ベン、君の任務はすべて終わった。――自由だ」 「……!」 ベンは、感極まった顔で、エーリヒを見つめた。彼が、そんな顔で、この上司を見たのは、これが最初で最後だ。 「どうか、ふたりとも、ご無事で」 「君こそ」 クラウドも、ベンと握手をした。ベンは、エーリヒとクラウドに向かって、背筋を伸ばして敬礼した。そして、踵を返して、去った。 ふたりは、二度と会うことはないだろう部下の背を、見えなくなるまで見送った。 ふたりはバグムントの車のキーを借りにもどり、地下駐車場へ行こうとしたが、エレベーターもつかえなかった。 階段を下りていこうとした、そのときだった。 「うわっ!!」 二度目の業火が、船内を襲った。予言の絵の一枚目が燃え尽きたのだ。 二人が降りようとした階段は、火に包まれた。 「ダメだ、非常階段で、いったん外に出よう!」 火の走狗が駆けて行ったのは、やはり一瞬だった。二枚目の予言の絵が、火を吸い込んだのだ。クラウドとエーリヒは、非常階段を降り、無人の道路に出た。 焦げ臭いにおいがただよっている。放置されているタクシーでも借りるかと思ったが、エンジンをかけたら爆破でもしそうな様子で、黒い煙が立っている車ばかりだ。一瞬とはいえ、猛烈な火勢だったのだ。なにせ、太陽の火である。 「うわっ!?」 爆発音がした。クラウドとエーリヒがそちらを見ると、K12区のほうのファッションビルから火の手が上がっていた。だが、その火も、K05区のほうへ吸い込まれるように消えていく。 「ワオ……」 クラウドも、あっけにとられて、マッチの火が消えるように、爆発した炎がふっと消えるのを見た。 「まいったな、動きそうな車が一台もないのだが」 そこらを捜しまくっていたエーリヒがもどってきた。 そこへ、――申し合わせたように、自動車が横付けされたのは、奇跡だった。 「どうした、まだ残ってたのか、避難するのか!?」 自動車を運転していたのは、なんと、エーリヒの担当であるソフィーだった。そして、その助手席から顔を出しているのは、ラガーの常連であるフランシス。 「君たちこそ、まだ残っていたの!?」 クラウドの驚きに、ソフィーは苦笑した。 「もとレスキュー隊員としてはね、自分たちだけ逃げることもできなくて」 「フランシスは、どうして」 クラウドの疑問には、明快に答えが出た。 「女房が避難しねえっていうんだから、俺も手伝うっきゃねえだろうが」 「女房!?」 フランシスとソフィー夫妻の自動車に乗せてもらったふたりは、猛スピードで、K19区に向かってもらった。 街のビルは、あちこちから煙が上がっていた。 「シャインなら、とっくに動かなくなってるよ!」 フランシスが叫んだ。窓を全開にしているので、声を張り上げないと後部座席に聞こえない。 「ほんとうかね」 「メルヴァ軍の攻撃で、一等先にシャインがやられた」 エーリヒとクラウドは顔を見合わせた。 「業火が来るまえは、俺たち、乗れたよ?」 「そりゃ、運がよかったな。あちこちで、つかえなくなってるよ。シャイン・システムの構造は、繊細だからなア。宇宙船がゆれた衝撃で、あちこちで不具合が起こってたんだが、メンテナンスできる連中も、みな避難しちまって。おまけにさっきの業火で、完全にオダブツだ」 「わたしたち、まだ船内に取り残されているひとがいないか、見回っていたの」 ソフィーは、燃えて崩れ落ちてきた壁を、タイヤを軋ませながら避けた。 「船内でカーチェイスをすることになるなんて、思わなかったわ」 「バカな」 クルクスの病院で目覚めたのは、ヒュピテムが先だった。ダスカはまだ昏睡状態だ。ふたりはひどい凍傷で、全身を、包帯でぐるぐる巻きにされていた。 「バカな――わたしは、たしかに話した。シェハザールとも、ツァオとも」 ヒュピテムは、シェハザールたちが死んでいると聞かされても、信じ切れないようだった。 「わたしは、見ました。洞穴の中にシェハザールという男の死体があった。それに、マリアンヌという女性も言った。彼らは、もう昨年のうちに死んでいルと」 「バカ、な――」 ヒュピテムは、もう一度言った。 「たしかにマリアンヌさまは亡くなられた。それは認める。わたしは、彼女の葬儀にも参列した。――だが、シェハは、ツァオは、」 われわれは、いったい、だれと話したというのだ。 ヒュピテムは呆然とつぶやいた。 それきり、言葉を失ったヒュピテムに、マルコは告げた。 「彼らは、ラグ・ヴァーダの武神によって、シャトランジのために生かされている骸。……おそらくは、自身が死んだことにも気づいていないのダ」 彼らは、自分の死を知らずに、エタカ・リーナ山岳で、暮らし続けている。 ヒュピテムは、絶句した。そして、顔を覆った。 「そんな――哀れなことが――」 「だから、彼らが永遠に、あの山中で迷わぬよウ、マリアンヌどのが、迎えに参ったのであろう」 「マリアンヌさま……!」 モハさま――シェハ、ツァオ、ラフラン――。 ひとりひとりの名を呼ぶヒュピテムの慟哭を、憐れむように見つめ、マルコは病室をあとにした。 廊下の天井にあたまがくっつきそうな巨躯のマルコは、遠くからでもすぐわかる。スタークは、走ってはいけない病院の廊下を、速足で歩いた。 「マルコ、マルコマルコっ……!!」 「スターク」 未来の妻を出迎えようと両腕を広げたマルコだったが、スタークは直前で急ブレーキをかけた。 「外見て――外!!」 「ソト?」 マルコが病室でヒュピテムと話をしている間に、すっかり夜は更けていた。街は明かりがついて、昼のように明るい。マルコは、まず街並みを見下ろし、たくさんの人間が外に出て、夜空を指さしているのを見た。 そして、彼らが指さす方向を見て、仰天した。 「――太陽!?」 夜だというのに、太陽が上がっている。 「違ェよ」 スタークが青ざめた顔で言った。 「地球行き宇宙船が、燃えてんだ……!」 |