百九十三話 夜の太陽と、真昼の月



 

 「なんだあれ――夜なのに、太陽が出てる」

 クルクスの人々は、恐怖の目で天空を見つめた。

 「あれは、太陽じゃない……!」

 

 地球行き宇宙船が燃えているんだ。

 だれかが、言った。

 

 

 

 ナミ大陸南地区、サザンクロス・シティ手前の、アクルックス最南端に陣を敷きなおしたバスコーレン大佐の大隊が、メルヴァ軍と衝突したのは、たったの三十分前だった。

 アクルックス最南端の街ノーリ。

普段は静かな田舎町だったが、対メルヴァのために置かれた軍隊のせいで、物々しい様相に一変していた。

衝突と同時に、バスコーレン隊にいた伝令役の天使が、ガクルックス総司令部に向かい、着いたのが、五分後。

 彼がふたたび、バスコーレン隊にもどったときには、戦闘は終結していた。

 伝令役の天使ヤーコブは、バスコーレン大佐の、呆然とした顔と相対した。

 バスコーレンは言った。

 「メルヴァはまるで、風のように、ノーリをすり抜けていった」と。

 

 ヤーコブは、不思議な状況を目の当たりにしていた。あちこちに負傷兵はいるが、死者はひとりもいないという状況をである。バスコーレンの言葉そのもの――メルヴァ隊は、あっさりと、ノーリの街を過ぎて行ったのである。

 

 見張り役がメルヴァ軍の姿を確認したとき、すでに先頭のメルヴァは、街に入り込んでいた。

 「先頭はメルヴァ! つぎに、幹部のエミールと思われる人物が見えます。はい、八騎士のひとりです!」

 最初の報告は、以下の通りだった。

 

 彼らは50人ほどの軍勢で、ただまっすぐに走ってきた。

 なんのためらいもなく。

 まるで障害物コースの徒競走でもしているようだったと、バスコーレン隊の軍人たちは、口をそろえて言った。

 彼らには、ほとんど殺気がなかった。つまり、こちらと戦う気は微塵もなかったのである。

ただ、長剣だけをたずさえて、彼らは走ってきた。

 ただちに、銃を構えた兵が、街の南入り口の橋を封鎖してかまえたが、メルヴァたちは、止まらなかった。

 

 「止まらんと撃つぞ!!」

 指揮していた軍曹は発砲を命じた。たしかに、撃ったはずだった。――手ごたえはない。メルヴァ軍の誰にも、当たらなかった。それもそうだ。メルヴァ軍はめのまえにいなかった。まっすぐ走ってきたはずの彼らは、急に方向転換した。メルヴァたちは橋を回避して、川をじかに渡りはじめた。

 そちらへ向けて発砲しても、だれにも当たらない。

 おかしかった。

 メルヴァ隊のスピードは、落ちている。当たらないわけがなかった。だが、当たらない。奇妙だった。彼らを防御壁のようなものが守っているわけでもない。なぜならば、銃弾は何発も水面に波紋をつくるからだ。

 防がれているのではなく、避けられているのだとだれかが気づく前に、メルヴァ軍は先へ進んでいた。

 その時点で、バスコーレン隊は、異常事態に気づいたが、解決するすべを見出す者がだれもいなかった。

 

 分かってはいた。相手はメルヴァ。どんな力をつかってくるか分からない。

 計画通り戦車隊の大砲が動き出した。

戦車が待機している道路へ来るよう、道をふさぎ、誘導したはずなのに、メルヴァ隊は来なかった。

彼らはなんと、屋根の上を走った。

屋根の上を走るメルヴァ隊に発砲したバスコーレン隊の証言だ。やはり彼らには、一発も当たらない。

 銃剣部隊が立ちふさがったが、メルヴァたちは、それもなんなく突破した。メルヴァ隊に傷ひとつつけられなかった代わりにといってはなんだが、バスコーレン隊にも、負傷者はいても、死者はいなかった。

 腕に名のある銃剣部隊は、メルヴァたちの武人たちに軽々と「避けられた」。

 相手にもならなかったのだ。

 彼らは、すぐさまひっくり返され、あるいは突き飛ばされて動けなくなった。

 

 バスコーレンの部下の少佐が、ヤーコブに告げた。

 「まるで、メルヴァたちは、われわれの動き“すべて”を予測しているようだった」と。

 

 すべて、とは、陣形、地形、作戦や、街のどこに戦車やスナイパーが待機しているかだけではない。弾が飛んでくる方向、銃剣部隊が、メルヴァ隊に飛びかかるタイミング、傭兵や軍人ひとりひとりの動き、体術、足さばき、だれがだれに向かっていくかというところまで、すべて把握していたようだったと。

 それを言ったのは、たったひとりではなく、メルヴァ隊と衝突した軍人たちが、口をそろえてそういうものだから、不気味さはいや増した。

 

 ヤーコブは、メルヴァが、「予言師」でもあったことを思い出した。

 まさか、この地でなにが起こるか、バスコーレン隊がどう動くか、すべてを予知していたとでもいうのか?

 

 ヤーコブの予想は、大げさではなかった。

 メルヴァは、この地に敷かれる陣営の作戦図案を、とうの昔に見ていたのである。

 もしこの場にアダムがいたなら、彼がメルヴァに呼ばれたとき、メルヴァ隊が不思議な「踊り」をしていたことを、思い出しただろう。

 あれは、メルヴァ隊のひとりひとりが、身体に覚え込ませていたのだった。

 バスコーレン隊を、風のようにすり抜けるために――すべてを避け、だれも傷つけず、自隊も無事なまま通り抜けるすべを。

 

 「本来なら、このままメルヴァを追うべきだろうが、総司令部のほうから撤退命令が出ている」

 バスコーレンは、肩をすくめて、それから、目頭を押さえた。

 「サスペンサーどのも、討ち死にされた」

 「……」

「シャトランジというものの黄金盤はひろがっている。メルヴァを追えば、確実に我らも捕らわれるだろう。そちらを先に、なんとかすべきだろうな」

 「はい」

 「幸いにも、メルヴァは――その――信じられない事態というべきか――徒歩だ」

 バスコーレンは、首を振った。

 「走ってクルクスに向かっている。――理解できんが、じっさい、そうだ。何日かかることか。まさか、走りっぱなしなわけはあるまい、奴らとて人間だ――たぶんな」

 「ええ。人間です」

 ヤーコブは、うなずいたほうが、彼を安心させられるだろうと思ってそうした。案の定、バスコーレンはほっとした顔を見せた。

 「クルクス到着には、先が長い。そのあいだにシャトランジを食い止め、メルヴァ軍を追うしかあるまい――ヤーコブどの、フライヤ総司令官に伝えてくれ。すぐに全軍を持って、ガクルックス総司令部に向かうと」

 

 バスコーレンの言葉に、ヤーコブが返事をしようとしたそのときだった。

 「うわあああ!!」

 悲鳴が上がった。ひとりではない。バスコーレンもヤーコブも、悲鳴の理由が分かった。

 彼らは、ノーリ本部から外へ飛び出した。

 空が、みるみる黒雲に覆われていく。その雲は、雨雲ではなかった。なぜなら、巨大な男の顔を成していたからだ。

 

 「――なんだあれは!?」

 沈着冷静で知られたバスコーレンも、さすがに動揺を隠せなかった。

 「ラグ・ヴァーダの武神……!」

 ヤーコブが、冷や汗をぬぐいながら告げた。

 

 「早く撤退してください! ここはわたしが食い止めますから!」

 ヤーコブは剣を抜いた。その剣は、まるで太陽のコロナのように、炎を宿している。

 「太陽神アンスリーノよ……地球の太陽神よ、アストロスの太陽神よ、三つ星の太陽の加護をわたしに……!」

 ヤーコブは祈った。震える手と怯えた心を励ましながら――。

 「退け! 全速力で退くんだ! 総司令部に合流するぞ!!」

 少佐たちの声が、ノーリの街に響きわたった。

 

 



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