「――なんだ、あれ」

 クルクスの入り口にいた住民、そしてクルクスで最も高い土地にある城にいた住民は、彼方、サザンクロスの方から、不気味な黒雲が天を飲み込んで、こちらへやってくるのを見た。

 夜半であるのに、空には太陽が照り付け、その恐ろしさに戦慄しているところへ、これである。

 「大変だ!」

 さらに、右手のジュエルス海側から、黄金幕が倒れてくる。ついにシャトランジが、ここまで来た。住民たちは、我先にと、城のほうへ逃げ出した。

 「たすけてくれ!!」

 「早く城へ――!!」

 「みんな、急げっ!!」

 

 城のほうへ逃げる住民たちの流れに逆らって、黒服の男がひとり、アストロスの武神が佇むクルクス門のほうへ歩いていく。逃げることで精いっぱいの住民は、その男の存在に気づかなかった。

 「ダメだ! 膜が――!」

 黄金色の膜が、城壁にかかりはじめたそのときである。

 クルクスを覆いつくそうとした黄金の壁が、結晶になってはじけ飛んだ。はじけ飛んだ部分から、ふたたび膜がよみがえって広がろうとするが、結晶になって消えていく。膜は、それ以上広がらない。クルクスには降りてこない。

 逃げ惑う住民たちがそれに気づいたのは、どのあたりからだったか。

 サルーディーバ遺跡記念公園の入り口は、避難民で渋滞していた。停滞していた彼らがいちばん早く、見つけたかもしれない。

 空色の光が、シャトランジの膜を弾いている。

 住民たちの逃げる足が、止まり――だれもが、空を見上げ始めた。

 「――おお! 地球の神か!」

 真昼の神が――カザマが、女王の間で、シャトランジがクルクスに敷かれるのを防いでいた。

 

 そして、兄弟神の門の内側では。

 噴煙のようにクルクスめがけて襲いかかってきた黒雲が、武神たちの手まえでピタリと止まった。

 セルゲイが――夜の神が、黒雲がクルクスを覆いつくそうとするのを止めていた。

 

 

 

 「――!?」

 その様子は、ガクルックス総司令部にいるフライヤたちにも確認されていた。

 フライヤが持つ石板には、「ジャマル(らくだ)」であるメルヴァ隊の動き、そして、メルヴァ隊から突如現れ出でた、ラグ・ヴァーダの武神本体の黒雲の発生も、すべて写しだされていた。

 「クルクスがいちばん安全って、こういうことだったのか……!」

 サンディがうめくように言った。

 クルクスが――クルクスだけが、シャトランジの膜からも、黒雲からも守られている。

 不思議な空白地帯になっている。

 シャトランジの黄金幕を空色の光が弾き、ラグ・ヴァーダの武神の黒雲を、同じくらい真っ黒で恐ろしげな黒い炎が、クルクスの内側から噴き出て止めている。

 

 「あそこには、真昼の神様と夜の神様、月の女神さまが待機されていると、ザボンさんからはお伺いしてます」

 フライヤの言葉に、サンディやオリーブは絶句した顔をした。

 「夜とか月とかって――」

 「それって、マーサ・ジャ・ハーナの神話のことですか!?」

 フライヤはうなずいた。

 「そうらしいです。だから、クルクスは安全なんだそうです」

 サンディはもはや、口をパクパクさせるのみだった。オリーヴとベックも同じだ。

 「じゃ、じゃあ、あそこにいるルナちゃんは、とりあえず無事なんだな」

 オリーブとベックは、ほっとしたような、安心したような、情けない顔をした。彼らは当然、ルナが「月の女神さま」だということは知らない。

 

 「アストロスの陸軍本部の撤退完了!」

 フライヤたちが石板から目を離せないでいるあいだにも、続々と、アストロスじゅうの軍が、ここ、ガクルックス南端に集まってくる。

 「シャトランジは、ケンタウル中央まで覆いました!」

 「マクハラン少将の隊は、半数が逃げ遅れて、膜内に閉じ込められています」

 「バスコーレン隊、先着隊があと30分で到着予定です!」

 次々にもたらされる報告を、サンディがいちいち確認した。フライヤは、石板を見つめたきり動かない。

突然、はっと、天使隊隊長のヴィクトルが、耳を澄ませた。

 「ヤーコブが……!」

 長老は、そばにいたふたりの天使に言った。

 「シュバリエ、アンリや。ヤーコブが死の危機に瀕している。助けに行きなさい!」

 「ヤーコブが!?」

 二人の若い天使は、「はい!」と叫んですぐに飛び立った。

 入れ替わりに、別の報告が飛び込んでくる。

 「ケンタウル中央のアストロス空軍は、――えーっと、“アストロスの武神”両名が到着次第、こちらへ合流するとのことです!!」

 サンディは、もはや開き直った。「武神」だろうが、神話の神様だろうが、この状況をなんとかしてくれるなら、すがるしかない。

 「了解!!」

 

 

 

 船内では、すでに予言の絵の一枚目が燃え尽き、ミシェルが描いた二枚目の、地球行き宇宙船の絵が燃え尽きようとしていた。

 あいかわらず拝殿ではアントニオが燃えつづけ、イシュマールたちは、祈祷をつづけている。イシュマールたちの祈祷や、サルーディーバたちの祈祷がはじまってから、絵が燃えるスピードが遅くなった気がした。

 ミシェルは、不思議なものを見た。

 炎の中で、溶けるように宇宙船の絵だけが燃え尽き、ラグ・ヴァーダの女王の絵姿が、現れたからである。

 今度は、ラグ・ヴァーダの女王の姿絵が、端からゆっくりと燃えはじめた。

 

 「――!」

 ミシェルはそれを見て、何回も塗りつぶして悔しかったけれども、この絵を描いておいてよかったと心底思った。

 この絵が、宇宙船が燃えてしまうのを防いでいるのだ。絵が、船内に燃え広がった炎を吸い込んでいくのを、何度も見た。

 ミシェルは、決意した。

奥殿まで走り、イシュマールの部屋にお邪魔させてもらって、絵の具とキャンバス、イーゼルを引っ張り出し、奥殿の庭に設置した。

奥殿にはまったくといっていいほど、火勢は来ていなかった。

 (間に合わないかもしれないけど、もう一枚!)

 ミシェルは、いきなりキャンバスに筆をおいた。

 (青いネコ! あたしを手伝って!)

 

 



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