そのころ、G-4のマスにいたマクハラン隊の軍人たちのもとには、ハイダクが迫っていた。

 「助けてくれ!!」

逃げ惑う軍人たちの頭上に、ハイダクが降ってくる――だれもが、自分は死んだと思った。つぶされたと――そう、思った。

 

ルナがふたたび、すさまじいスピードで、キーボードをたたく。

 「シャトランジG-4――イヌ、ネコ、イヌ。イヌ。イヌ。ウサギ、サル、ツバメ、リス、ネコ、リス、ツバメ、オオカミ、ゾウ、ラクダ、サル、イヌ、ネズミ、イヌ、ネコ――“ペルチェ(ぬいぐるみ)”!」

 

――だが、だれもが生きていた。

死んでいるものはひとりもいなかった。

自分の真横で、地面に埋もれてつぶされているのは、動物の姿を持ったぬいぐるみだった。

呆然としている間に、大地が突如として海に変わる。

「うわああ!」

水に沈んだ彼らは、すぐに水面に顔を出した。ハイダクが、次のマスに進んでいる。彼らは、自分たちを水面に押し上げているものの正体を悟った。

巨大なクジラの背に、彼らは乗っていたのだ。

 

F-4のマスにいた軍人たちは、なぜ、いきなり目の前に観覧車があらわれたのか分からなかった。

だが、後方からはハイダクが迫り、前方からは海が迫ってくる。軍人たちはあわてて、観覧車に逃げ込んだ。観覧車に逃げ込んでどうなるものでもなかったが、とにかく、真下にきたゴンドラは、どれもこれも扉が開いている。

軍人たちは、扉のあいたゴンドラに、順番に飛び込んだ――ハイダクが迫る。大地は海水に満たされ、水位はすぐに腰のあたりまできた。

最後の一人がゴンドラに入った瞬間に、ハイダクが、マスに入ってきた。

目前に迫るハイダク。

観覧車をなぎ倒していくことも、じゅうぶんに考えられた。

だが、猛然と進んできたハイダクは、透けるように透明になって、だれもつぶさず――観覧車もつぶさず――次のマスへ移動した。

「た、たすかった……」

観覧車の頂上まで来た軍人は、それを見下ろして、やっと息をついた。

自分は助かったのか。それにしても、この観覧車はなんだ。

急に我に返ってあたりを眺めはじめた彼の目線は、一ヵ所で止まった。

ゴンドラの外にあるものを見て、腰を抜かした。どう見ても、白馬が引いた馬車だ――しかも、荷物でも運ぶかのようにひろい荷台だ。

「やあ、臨時タクシーだよ。乗っていかんかね」

馬車を操縦している赤いキャップのおじいさんは、にっこりと笑った。

 

ハイダクの前進に逃げ惑っていたたくさんの兵士たちは、ほぼ、「ペルチェ(ぬいぐるみ)」によって救われた。ペリドットとアンジェリカも術式をつかい、ルナを手伝った。

フライヤたちのもとに、つぎつぎと、シャチやサメ、イルカがもどってきた。マクハラン隊の軍人を乗せて。

助かった軍人たちは泣きくずれ、たすけてくれたイルカに頬ずりする者もいた。だが、どうにもシャチやサメは、なかなか頬ずりしてはもらえなかった。シャチに食われると思ったのか、背の上で気絶している者もいた。

総司令部にいた軍人たちは、イルカたちが救出した軍人を、背から降ろし、医務室へ運んだ。

かなたに見える観覧車から、天使たちが化身した大きな鳥が、軍人を乗せて、こちらへやってくる。もとが大きいせいか、鳥たちは始祖鳥のように大きかった。二、三人は乗せて運んでくる。おかげで、救出は早く済んだ。

 

しかし、助かった軍人たちと手に手を取り合って喜んでいる場合ではなかった。

一度はたすかったが、ハイダクは止まらない。

総司令部からも、整然と横一列に並んでこちらへやってくるハイダクの姿が、肉眼で捉えらきれるくらいになっていた。

「来るぞ――こっちに、来る!」

 

「“イルシオン(幻想)”――シャトランジ、起動」

 

ルナが、シャトランジを起動した。

いきなり陸地が海になり――しかも、アノール族は海の生き物に、天使たちは鳥に。想像を絶する光景に目を奪われていたサンディたちは、「あっ!!」というフライヤの鋭い叫びに、思わずふりかえった。フライヤは、あいかわらず石板を見ていた。

「対局者が現れました!」

 

すでにシャトランジの盤は、ガクルックスもケンタウルもすっかり覆いつくし、南のナグザ・ロッサ海域のほうまで進出している。

そこへ、迫りくるハイダクを阻むように、チェスの駒がずらりと現れたのだ。

「チェスの駒!?」

「こっちに向かってくるハイダクと、形が違うぞ」

「おかしいな。ポーンがない……」

チェスをよくするバスコーレンが、違和感に気づいた。ザボンもうなずいた。

「これは、シャトランジではないのでしょうか」

シャトランジという名ではあるが、味方の駒はどう見てもチェスの駒だ。しかも、キングをはじめとするメインの駒だけで、シャトランジのハイダク(歩兵)に該当するポーンは、一基もなかった。

それに、どうも、チェスの駒たちは、ハイダクにくらべて、石板に映し出される色が薄いように思えた。

 

シェハザールも、対局者がようやく現れたことに気づいた。そして、山岳から、彼方をながめた。あいだにマルメント山地があっても見える、巨大な銀色のチェスの駒。

「ふふ……ついに、“賢者の黒いタカ”がわたしのまえに現れたか」

シェハザールも、自身の「シャー(王)」をはじめとする駒を、表示した。

 

「これは……!」

「ええ、敵側にも、ついに」

フライヤが持つ石板にも、シャトランジのフィルズ(将軍)たちが現れた。ついに歩兵ではなく、将軍や、戦車が動きはじめる。

フライヤたちも、息をつめて対局を見守った。

 

「“インボカシオン(召喚)”――キング、“アスラーエル”」

 

ルナが告げた。

クルクスの居城、女王の間にあるシャトランジ対局表の、キングの石が、ゴロリと回転した。シェハザールのもとにある装置も、変化した。

キングが「地球行き宇宙船」から、「アスラーエル」へ。

 

「――どういうことだ」

シェハザールは、不審を感じた。

「なにが起こっている?」

 

王の変更が行われることなど、あるのか?

シェハザール側のハイダクは、現在、自動で動くようになっている。軍人たちのせん滅のためだ。自動操縦で、マス内にいるすべての生き物を破壊するシステムになっている。

ハイダクは、そのまま、a-5まで進んだ。

ルナが「ルークを、a-3へ」と告げた。

ルナ側の銀ルークが、まっすぐ前方に2マス動き、a-3まで移動する。

血塗られたハイダクはさらなる血を求めるように、ひとがいるマスに優先して動く。

e-5にいたハイダクは、さらに、ボリスのいるe-4へ進もうとした。

 

そこには、ボリスがいた。ハイダクが山岳を滑り降りてくる。

 ボリスは自らの死を悟った。

「ちくしょおおおおお!!」

だれにも聞こえない雄叫びが、金色の膜内で、むなしく反射した。

 



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