百九十五話 シャトランジ Ⅲ



 

 「エーリヒとクラウドが、シャトランジ! のアトラクションに着いたぞ!」

 アンジェリカとペリドットが待機する、奥殿の部屋一面に現れたムンドでは、遊園地内の「シャトランジ!」アトラクションのうえに、タカとライオンのカードが現れたところだった。

 二人は待ちかねていた――このときを。

 「よし、アンジェ、回帰術を始める!」

 「はい!」

 背を合わせて座り、それぞれにZOOカードを展開していたふたりは、同時に指を鳴らした。

 ペリドットのまえには、「傭兵のライオン」、「孤高のトラ」、「強きを食らうシャチ」、「天槍を振るう白いタカ」、「盲目のイルカ」のカードが。

 アンジェリカのまえには、「月を眺める子ウサギ」、「パンダのお医者さん」、「高僧のトラ」、「母なる金色の鹿」のカードが浮き上がった。

 

 「“八転回帰”」

 「“千転回帰”」

 

 二人が唱えたのも、ほぼ同時だった。

 ペリドット側のカードが、太陽の輝きをまとい――アンジェリカのほうは、黒い星の光を散りばめながら、変化した。

 

 アストロスでは、まず、ムンドが消えた。

 「遊園地が……!」

 フライヤたちは、急に消えた遊園地に目を見張った。ハイダクを止めていた海の生き物たちも、アノール族の武人にもどって、総司令部に現れた。

 

 ルナは月の女神となって顕現した。メルーヴァ姫の部屋からは、月の光がほとばしり、シャトランジの対局表にある月の女神の星守りがいっそう煌めいた。

 「エーリヒ!」

 「うむ」

 クラウドとエーリヒも、デジタル画面の対局表にある、神々と惑星の星守りがつよく光を放って輝きだしたのを見た。

 もちろん、エタカ・リーナ山岳にいるシェハザールもそれを見ていた。

 

カザマが真昼の神になった。カザマのスーツが、空色のドレスに変化し――女王の間から放たれていた空色の光は、ますます威力と質量を増して、空にひろがっていく。

そして、クルクス入り口にいたセルゲイが夜の神となったとたんに、空がまっぷたつに割れた。

 

「うっお!?」

窓にずっと張り付いていたスタークが、叫んだ。

空に、昼と夜が同時に現れたのだ。

天は二つに割れ、片側は宇宙がきらめき、地球行き宇宙船という名の太陽が燃えている。

晴れわたった青空には、だれにも見えない月が浮いていた。

 

ずっとクルクスの上空で、果ての様子を探っていたマルコとフィロストラトも、息をのんで天を見つめ、夜の神の邪魔にならないよう、ようやく地上に降りた。

地球行き宇宙船が燃えだしてから、彼らはずっと空にあり、仲間や、フライヤたちの声を聞いていた。だが、ラグ・ヴァーダの武神の黒雲がアクルックスを覆い始めてから、まったく声が聞こえなくなってしまった。

「ヤーコブと、アンリとシュバリエの声が聞こえた気がしタが……」

マルコは、気がかりでならなかった。圧倒的な黒雲の向こうで、彼らの声が――叫びが、聞こえた気がした。助けに行こうとしたが、夜の神がそれを許さない。マルコとフィロストラトを、クルクスから出してはくれない。

「行ってはならない、マルコ」

フィロストラトも止めた。だが、マルコが飛び出せば、おそらくフィロストラトはついてくる。天使たちは、だれもが勇敢だ。この黒雲に触れるだけでさえ、芯まで凍り付くような恐怖が襲ってきたとしても、立ち向かっていくだろう。

ヤーコブたちも例外ではない。

先日、エタカ・リーナ山岳でマルコが追い払ったラグ・ヴァーダの武神は、カケラである。

今、メルーヴァ姫をこの手に得ようと――アストロスそのものを飲み込もうとするかのように迫ってくる武神は、気配だけでも、エタカ・リーナ山岳のものとはケタ違いだった。

百年まえ、ケトゥインの千を越す大軍勢をひとりで追い払い、L02の「アスラーエル」の名をもらったマルコが、敵わないほどの圧倒的な武神。

ラグ・ヴァーダの武神。

フィロストラトは、はやる心をおさえて黒雲をにらむマルコを、心配そうに見つめていた。

 

「スターク殿!」

「ヒュピテム!? まだ寝てなきゃダメだって!」

病院の窓から光景を見ていたスタークは、フライヤたち総司令部の心配を一等先にしたのち、母親やデビッドの顔もよぎって、頭を振った。心配ばかりしている場合ではない。外にいるマルコたちに合流しようとしたところで、病室から、ヒュピテムが出てきた。

包帯だらけの格好で、松葉づえにすがり、スタークを呼んだ。

「わたしも外に、連れて行ってください!」

「バカ言え!」

ダスカはまだ意識不明であり、ヒュピテムも、絶対安静の身だ。

「あなたがわたしなら、黙っていられますか!?」

「黙っちゃいられねえけど、ダメなモンはダメだ!」

スタークは言ったが、突如、黒雲が爆発したように、天を覆い隠した。もはや、夜の神が守る障壁なのか、ラグ・ヴァーダの武神そのものである黒雲なのか、判別がつかない。

「ああ――」

ヒュピテムとスタークは、なにも見えなくなった窓の外を見て、絶句した。

「いざというときは、城のほうへ避難することになりますが、今は病室にいてください!」

看護師が、そう叫んで、廊下を過ぎていった。

 

割れた天空の様子は、ジュセ大陸の方からも見えた。サザンクロスにいるメフラー商社メンバーにも。

シャトランジ! のほぼ中央にいる、フライヤたちにも。

「信じられない……」

フライヤの隣で、サンディが腰を抜かした。透明なペガサスから透けて見える、ふたつの天空世界に。

「なにが起ころうとしてるの?」

 

 すこし遅れて、アズラエルとグレンも、銀色の光につつまれた。ふたつに割れた天に、だれもが目を奪われていた。その間隙に、アクルックス側から迸った閃光――皆は悲鳴をあげて目を瞑った。

 次に目を開けたときには、だれの目にも見えた。

アクルックスでラグ・ヴァーダの武神と戦う、アストロスの、二柱の武神の姿が。

 クルクスの門を守る兄弟神が、ラグ・ヴァーダの武神と戦っていた。

 兄弟神も、だれの目にもはっきりと姿が捉えられるほど巨大だったが、ラグ・ヴァーダの武神は、もっと巨大だった。

 すでにアクルックスは、すべてが完全に、ラグ・ヴァーダの武神である黒雲に覆われていた。その黒もやのなかに、銀色の、兄弟神の姿が見える。

 黒雲は、武神の姿を成し、兄弟神を蹴散らそうとしている。

 一方でクルクスの方めがけて、さらに爆発して巨大化した黒雲を、皆は見た。

 

 「あれは、」

 「おそらくメルヴァが、クルクスに向かっているんです」

 バスコーレンが、黒雲から目をそらせないまま、つぶやいた。

 「メルヴァの進撃を阻止しようと、兄弟神は戦われていらっしゃる……」

 ザボンも、感極まった声で言った。

 黒雲は空を夕焼けのように紅くし、雷鳴さえとどろいた。クルクスからくる、黒紫の光とまじって、異様な世界をつくりだしていた。

 

 「総司令官! あちらに!」

 フライヤたちは、自分たちのいる場所からはるか後方に、味方の駒が現れたのを、石板ではなく、肉眼で捉えた。

 シャトランジの膜は、ジュセ大陸にかかる寸前で止まっていた。アンブレラ諸島は、すっかり範囲内にある。

 ジュセ大陸からも、チェスのような、真っ白い巨大駒がずらりと横一列に並んだのが見えた。

 「なにがはじまったんだ……」

ジュセの海岸沿いにあつまった避難民は、海に浮かぶ金色の膜と駒を、不安と興味と、恐怖がないまぜになった視線で見つめた。

 



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