はじまったのは、アストロスだけではない。 千転回帰と同時に、いままでよりはるかに大きな火勢が地球行き宇宙船を襲った。 「うおおあああっ!!」 「イシュマール様!!」 イシュマールが、血を吐いて倒れ伏した。 「きゃああっ!!」 ミシェルも巻き込まれるところだった。アントニオを覆っていた火の塊は二倍の大きさに膨れ上がり、残っていた二枚目の予言の絵も、ミシェルがあとから描いた三枚目も、一気に焼失した。 「あああああ!」 サルーディーバは、K27区のビル屋上で、火炎につつまれた。だが、彼女はすぐに体勢を立て直した。火の中で祈りの口上を繰り返していると、サルーディーバの足元から、たちどころに火は消えていく。 サルーディーバは、冷静さを取り戻した。皮膚がひりつく。多少の火傷はしたようだが、術式は消えていない。まだ続けられる。 はじめは足元のビル、K27区――そして船内の東南地区と、サルーディーバは範囲を内側からひろげるように鎮火していった。 彼女も気付いた。いままでの火勢とはレベルが違う。 「千転回帰が、はじまったのですね……!」 「……なんという火だ!」 マミカリシドラスラオネザも、額に脂汗と青筋を浮かべ、K33区じゅうを一瞬で燃やし尽くした火を、なんとか鎮めていた。 彼女と一緒に祈祷していた神官たちが、バタバタと倒れていく。 無理もなかった。マミカリシドラスラオネザたちはいま、太陽のなかにいるも同然なのだ。 「消えゆけ! 業火よ!!」 マミカリシドラスラオネザの気勢とともに、K08区の湖から、水しぶきが噴水のように立ちのぼり、あたりの火を消していく。彼女の担当である、西北地区の炎は、なんとか消えた。 「はあ、はあ、はあ、……」 マミカリシドラスラオネザも、だいぶ消耗していた。 アントニオが太陽神となってから、どれくらい経った? 予定では、千転回帰がはじまってから、祈祷を始めるはずだった。 すでに12時間以上、祈祷をつづけているのだ。 「うう……!」 「マミカリシドラスラオネザさま!」 倒れ掛かった彼女を支えたそば付きの者は、「あれを!」と怒鳴った。 侍女のひとりが、クラウドからプレゼントされた小型音楽機器を持ってきた。マミカリシドラスラオネザの汗を拭いてやりながら、再生ボタンを押す。機器から大音量で流れてきたものは――クラウドの声だった。 『ラーヤラーヤ・パジャトゥーラ・マミカリシドラスラオネザ・ラージャラージャ・モヘンダリ・マミーカリーシドラスラーオネザ・エラドラシス……』 彼女の名をくりかえすクラウドの声が響いたとたん、マミカリシドラスラオネザはうっとりと頬を赤らめた。 「はああ……快感……♡」 とたんに、よみがえった。 「太陽の火など、わたしひとりで鎮火してくれる!!」 一方、燃えるままに任されていた宇宙船西南地区。セシルとカルパナは、燃え広がる炎に恐れをなして、海の中にいた。 ふつうならば、燃えるはずのない、なにもない砂地が燃えている。 海岸に打ち上げられる枯れ木などが燃えているのではない。なにもない場所で――砂地で、炎が立っているのだ。 岸辺に上がる海水すらも蒸発していく炎。 二人はもはや、陸地には居られず、海に避難していた。 だが、「八転回帰」がはじまったとたんに、一瞬ですべての街から炎が消えた。 「セシルさん……!」 カルパナは、美しい盲目の女魔術師の姿を見た。カルパナを水中に残し、セシル一人が海岸にあがっていく。海岸の炎はすっかり失せ、白い街をつつんでいた炎もたちどころに消え去った。 セシルが手を広げた中には、コバルト・ブルーの水源がある。炎はまるで、そのなかに吸い込まれるように、次々と鎮火していった。 イシュマールの卒倒とともに、宇宙船東北地区は火炎につつまれた。 真砂名神社も例外ではない。 身代わりとなってくれる絵は、二枚とも、一瞬で焼け焦げてしまった。 もともとこの地が火元であり、至近距離で太陽の神の絶大な力を受けたイシュマールの身体は、老齢もあって耐え切れなかった。 千転回帰は、想像を絶するものだった。 ひとではなく、神を直接召喚することの対価。 アズラエルたちアストロスの武神を招いたときとは、ケタ違いだ。 「うあああああ!!」 アンジェリカも苦しげにうめいた。四神を一気に回帰するのは、アンジェリカにとってもおのれの能力を超えることだった。 太陽と夜、昼と月の神の絶大なる力の負荷が、アンジェリカひとりの身体にのしかかる。 「耐えろ! なんとか耐えてくれ、アンジェ!」 ペリドットも必死な声で叫んだ。 「――!」 奥殿も、バチバチと火が爆ぜ、焦げ臭いにおいと煙が漂ってきた。イシュマールが倒れたために、こちらまで、太陽の熱気が押し寄せる。 (アンジェリカひとりでは、やはり――) ペリドットには、神の千転回帰は、ひと柱ずつとはいえ、五分から十分が限度だった。八転回帰をしながら、千転回帰はできるだろうか。 「――ペリドット様!」 「……!」 アンジェリカの悲痛な声に、ペリドットが、ひと柱でも肩代わりしようと手を挙げたとき、ふっと、熱気がやんだ。 ふたりの耳にも聞こえた、ジャラン、という錫杖の音。 百五十六代目サルーディーバが、奥殿に現れていた。ミシェルの姿をした彼が錫杖で地面を打ち鳴らすと、東北地区の火勢は、みるみる消えた。彼が持つ錫杖に、火が吸い込まれていく。 「うおおっ! 消せ! 消せ消せ消せ!!」 中央区の役員執務室ビルも、大火災に見舞われていた。バグムントとチャンが、大慌てで消火器をつかったが、火がなかなか消えなくて、うろたえていたところだった。 もちろん、消火システムはとっくに作動している。だが、ふつうではない火に対しての効果は、ゼロと言ってよかった。 「手ごわい火ですね!」 さすがのチャンも、打つ手なしかと思ったときだった。最初の火勢の時のように、真砂名神社に向かって火が吸い上げられていく。 「たす――たすかった――」 バグムントと室長が、へたりとしゃがみこんだ。 「われわれも、ここにいるのは危ないかもしれません」 チャンが言った。 「シェルターに避難しますか」 「地球行き宇宙船が燃えちまったら、シェルターもクソもねえが、このままじゃ、焼け死んじまうな」 「移動しましょう!」 バグムントと室長たちもうなずいた。そこへ、チャンの携帯電話が鳴った。 |