アストロスから、こつぜんとムンドが消えた。遊園地が消えたのだ。 シャトランジの黄金幕は消えていない。そして、上空の透明なペガサスも消えていない。 そして、総司令部からはるか後方――海域に見えた、ずらりとならんだ駒。 「対局者が、また現れました!」 フライヤの声に、みなが集まって石板を覗きこんだ。 総司令部は、現在、シャトランジ! 盤のほぼ中央にあった。 今度は、まえのチェスの駒とは違い、はっきりした色で現れている。真っ白な駒だ。やはり、前に敷かれたときと同様、ポーン(歩兵)はなかった。 「――ん?」 だれもが気づいた。 「なんだこれは」 「シャトランジでも、チェスでもありませんよ――?」 「――なんだこれは」 シェハザールも、相手の駒が、チェスの駒でないことをいぶかしく思っていた。 チェスじゃない! と叫んだエーリヒだったが、動揺しているヒマはなかった。相手の駒が動きはじめたからだ。 シェハザールの声が、エーリヒとクラウドにも聞こえた。 「フィール(象)をh-6へ」 アストロスの星守りが嵌められたフィール(象)が、ズズズ、と音を立てて、h-6まで移動した。 「次は君の手だ、エーリヒ」 「い、いや、いやはや――」 クラウドが興奮気味に言ったが、さすがのエーリヒも戸惑っていた。味方は、ほぼすべて、見たことがない駒に変化していたからだ。 デビッドのルークは「弓騎士(アーチャー)」に。 ベッタラのナイトは「剣士(ソードマン)」に。 ノワのビショップが「暗殺者(アサシン)」に。 エマルのビショップが「女闘士(アマゾネス)」に。 ニックのナイトが「天馬(ペガサス)」に。 ルークのイシュメルが「守護者(ガーディアン)」に。 キングとクイーンは変わらないが、他の駒は、どんな動きをするのかまったく分からない。 「……」 エーリヒは額に汗して、思考のために腕を組んだ。 味方の駒の手前に、一列にハイダクが並んでいる状態だ。ふつうならば、最初から敵の歩兵がめのまえにいることもない。こちらに、ポーンも存在しない。そもそも、開始の状態からして通常と違う。 これでは、ハイダクが一歩進めば、こちらがわのどの駒も取れる。 最初から、「シャー・マート」(王は死んだ)の状態だ。チェスで言うと「チェックメイト」状態――。 だが、シェハザールが、キングを取りに動かなかったところを見ると、ハイダクでは「王」は取れないのか。 ふつうならば、チェスと同じく、相手のほうまで来たハイダク(歩兵)は、フィルズ(将軍)となる。それもない。かつて、このアトラクション内で、ルナを「シャー(王)」にして、白ネズミの王と対局したときは、ハイダクはフィルズになった。 エーリヒの想像は、なかば正解だった。あとでルール・ブックが出てきて判明するが、ハイダクのままでは「シャー・マート」できず、ハイダクがフィルズと化すのは、アストロス全域を、黄金盤が覆いつくした状態になったのちであった。 いま、おそらく、ハイダクがキングを取りに向かっても、粉みじんになっていたことだろう。 キングだけではない。ハイダクでは、どの駒も取れなかった。 その理由を、ふたりの「アリーヤ(棋士)」がわかるのは、もうすこし先だった。 シェハザールはチェスもシャトランジもたしなんだことがある。 このシステムに関しては素人同然だったが、それはエーリヒも同じだ。ただ、ラグ・ヴァーダの武神は、「シャトランジ!」の起動を、この目でみたことがある。 「ン?」 エーリヒは、なぜか、左端のルーク手前のハイダクだけがないことに気づいた。 「なぜ、ここのハイダクだけがないのだ?」 対極表のとなりに表示されている、対局の記録を見ていたクラウドが、信じられない声で言った。 「俺たちが来るまえに、月を眺める子ウサギが一度対局したんだ。キャスリングで、キングがそこのハイダクを取った」 エーリヒは、耳を疑った。 「……もういっぺん、どうぞ」 「キャスリングで、キングがハイダクを取った」 「……」 キャスリングは、チェスのルールであり、ルークとキングに適用される。キングとルークの間に駒がある場合はつかえない。すなわち、最初は無理。 エーリヒはもはやあきらめた。頭をリセットすることにした。この「シャトランジ!」とやらは、チェスのルールもシャトランジのルールも超越している。 エーリヒは対局表をにらんでいたが、長考している余地はない。長引けば長引くほど、宇宙船が持たなくなる。 駒に触れてみると、彼らの動きが、手元のデジタル盤に表示された。 (ふむ……動き自体は、チェスの駒と変わらんようだ) 弓騎士(アーチャー)と守護者(ガーディアン)はルークと同じ。縦横どこまでも動ける。 剣士(ソードマン)と天馬(ペガサス)はナイトと同じ動き。おそらく、間の駒も跳び越せるだろう。 暗殺者(アサシン)と女闘士(アマゾネス)はビショップと同じ。斜めにどこまでも行ける動きだ。 ちなみに、シャトランジのほうは、戦車(ルフ)がルークと同じく縦横どこまでも進める動き。 ファラス(馬)がナイトと同じ、フィール(象)が、斜め四方にふたマスずつ進める。間にある駒を跳び越せる動きだ。 キングとシャーは、同じように、縦横ナナメ、ひとマスの動きだが、フィルズ(将軍)は、斜め四方にふたマスずつ動ける。 チェスのクイーンは、縦横ナナメにどこまでも進める動きだが、今の場合、制限がありそうだった。――動かせる回数に。 こちらがわのチェス駒は、形と名称こそ違えど、動きはほぼ同じ。 だが、多少、ちがう部分がある。 (……) 左端ルークのまえだけが空き、横一列、目前にハイダクが迫っている状態――。 (ルナは、いや、月を眺める子ウサギは、なぜ、こんな状態で残したのか) 「ルーク、いや――弓騎士(アーチャー)を、a-2へ」 エーリヒの声とともに、弓を携えた騎士の形を模した巨大な駒は、空いた直前のマス、a-2へ進んだ。 「――?」 エーリヒの予想は当たった。 a-2にすすんだアーチャーは、ゆっくりと、方向を変えた。――右の方向へ。 「なにが起ころうとしているの」 フライヤたちは、もはや石板ではなく、目前でくりひろげられるシャトランジ! の勝負を見つめていた。 『お? お? お?』 デビッドは、勝手に自分の身体が横を向くのを感じたが、めのまえに、ずらりとハイダクが並んだ光景を見た瞬間に、役割を悟った。 |