皆は呆気にとられて見ていたが、強敵そうに見えた敵の駒が一撃で粉砕されたので、飛び上がって喜んだ。 だが、勝負はここからだった。 モハのルフがh-3に動いた。ニックの「天馬(ペガサス)」がピンされている。 ベッタラの「剣士(ソードマン)」が動いた。フィルズ(将軍)を取りに――。 だが、先ほど、名勝負を繰り広げたベッタラは、フィルズの刀に、一撃で破壊された。 「――!!」 歓声に沸いていたフライヤたちも、静まりかえった。 そこには、黒煙を噴き上げるフィルズ(将軍)がいた。 口から耳から、兜からも噴き上げる猛炎――恐怖さえ与える相貌だった。まるで、いまアストロスの兄弟神と戦っているラグ・ヴァーダの武神が、駒となって盤上に現れたようだった。 夜の神の星守りを持つ最強の将軍ツァオは、他の駒の二倍もある大きさで、とてつもない強さを誇っていた。 フィルズ――ツァオが、黄金盤に黒い足跡を残し、地を揺らしながら、e-5に進んだ。 アストロスの星守りを持つ天馬、ニックの圏内だ。まるで挑発しているようだった。おまえがかかってきても敵ではないと。 エーリヒは挑発に乗らなかった。ノワを、d-2へ下げた。 モハのルフが、f-3へ、ニックを取りに動いた。戦車から身を乗り出したモハの一撃は、ニックの天馬を捉えることはできなかった。横へ凪いだ槍は、空中を斬っただけだった。ニックの駒は、天空にあった。 モハの頭上から、真っ白な槍が振り下ろされる。それは、ひと突きに、モハの胸を貫いた。 「モハさま……?」 クルクスの病院にいたヒュピテムは、モハの呼びかけを聞いた気がした。 これで、シェハザール側は、シャー(王)とフィルズ(将軍)を残すのみとなった。 デビッドの駒が、a-2から5へ。フィルズをピンする。 デビッドのアーチャーは特別で、その場から動かなくても、自分の進む先に敵駒があれば、矢を放てるようになっていた。しかも、ワンカウントはされない。 「ペガサスをe-5へ」 エーリヒは、ニックをフィルズ取りに動かすと同時に、デビッドのアーチャーから矢を放った。 だが、その二ヵ所からの攻撃も、フィルズには効かなかった。 フィルズは放たれた何本もの矢を刀剣で防ぎ、さらに一本の矢をつかみ締め、アーチャーに向かって投げ返した。 『うおあっ!?』 デビッドのアーチャーは破壊され――デビッドは、駒から投げ出された。アーチャーの形をした空色の駒が、煙になって消えていく。 フィルズの攻撃はそれだけにとどまらなかった。返す刀で、ニックのペガサスを、一刀両断にしたのである。 「――!?」 二つの駒が、一斉に消えてしまった。 「デビッド! ニック!」 クラウドは思わず叫んだが、エーリヒが止めた。 「見たまえ! 死んではいない」 どうやら、敵側と違い、こちらの駒は、なかにいる人間が無事だ。操縦盤から見える、ひろい盤の上では、倒れたデビッドとニックが、それぞれの星守りの光に守られたまま、意識を失っている。 エーリヒとクラウドはそれを確かめて安堵の吐息を漏らしたが、ふたつも駒が取られた痛手はぬぐえない。 フィルズはd-4へ進んだ。エマルの駒の隣に。 (フィルズでは、キングを「シャー・マート」できん) 進めるマス上に、キングはいないから取れない。 (だが、クイーンは取られる) クイーンを取られたら、どうなるのかエーリヒにもわからなかった。宇宙船にいるミシェルは動けなくなるのか。――そうしたら、計画は台無しになる。 だが、残った駒では、フィルズは倒せない。 ノワでは、同じ夜の神同士――同じ星守りの駒は取れない。イシュメルをぶつけてみるのも手だが、そうなれば、キングを守る駒がなくなる。 エマルの駒では、すれ違ってしまって、フィルズと対決できないのだ。 いちかばちか、エーリヒは、イシュメルの駒を動かした。 「守護者(ガーディアン)」を、d-4へ!」 イシュメルは進んだ。ふたたび、三十分にもわたる攻防が繰り広げられたが、やはりエーリヒの予想は当たった。イシュメルは負けた。 「ああっ、また、味方の駒が!」 総司令部からも、絶望の声が漏れた。 エーリヒも、腕を組みなおして盤をにらんだ。 やはり、「守護者」としてなら存分に力を発揮するが、攻めに転じると、力が半減する。 フィルズは、c-3に進んだ。どうすることもできない。このままでは、クイーンが取られる。 駒だけの力の強さで行けば、ラグ・ヴァーダの女王の星守りを持つ、ミシェルのクイーンでは、刀剣の勝負に勝てはしない。 さすがに、エーリヒの無表情顔にも、いやな汗が流れた。 だが、エーリヒとは対照的に、じっと対局表を見つめていたクラウドは言った。 「これは、賭けなんだけど」 「なんだと!? ノワのビショップと、エマルのビショップを入れ替える方法!?」 八転回帰に集中していたペリドットのもとに、クラウドからの電話を運んできたのは、神官の一人だった。 「知らんぞ! そんな方法!」 いくらペリドットでも、シャトランジ! のシステムは専門外だ。だが、クラウドは食い下がった。 『ルナちゃんが、最初の対局のときに、キングを、宇宙船からアズに入れ替えてる!』 「――!?」 『もしかしたら、ZOOカードでなんとかできるんじゃないかと思って。君たちも大変なのは承知してる。でも、このままじゃクイーンが取られる!』 クラウドの焦り声に、ペリドットは、唸った。 「ええい――くそ、どうするか――おい、電話は切るなよ――よし、」 彼はやけくそで、片手で八転回帰を、もう片方の手で、ムンドのシャトランジ盤に向かって手をかざした。 「エマルの駒とノワの駒を“ムダールセ(移動)”!」 だが、駒はぴくりとも動かなかった。 「ええい! 交代! チェンジ! “インボカシオン(召喚)”! ノワのアサシンとエマルのアマゾネスをムダールセ――動いたか!?」 『ぜんぜん!』 奥殿のムンドの様子も、変わらない。 ペリドットは、いつぞやのルナのようになった。そう――はじめてZOOカードが与えられたときに、箱のふたを開けるため、おかしな呪文を唱え続けたうさぎと変わらぬ様子に。 「移動! 移動移動移動! 交代! 交代しろ、早く交代だ! どうしたらいい――分からんぞ――変更しろ! 位置を! 交代だ! 変化、入れ替え! ええと――」 「b-2のアサシンと、c-4のアマゾネスを“キャスリング”!」 エーリヒの言葉とともに、駒が入れ替わった。 「なんだと!?」 ふたたび盤に拳を叩きつけたのはシェハザールと、ペリドットだった。 『ペリドット、動いた! ありがとう!』 クラウドは電話を切った。ペリドットの大慌てはなんだったというのだ。 「人騒がせな!」 アンジェリカが、後ろで大笑いしていた。 「エーリヒ、どうやって方法を見つけ――」 電話を切った彼がエーリヒを見ると、彼はルール・ブックを手にしていた。ふたたびクラウドの眼球は、眼窩からおでかけした。 「どこにあったのそれ!?」 「たった五秒前に、この対局盤の引き出しから見つけた」 たしかに、引き出しがあった。 「引き出しまで、ルナ・ノワにすることはないだろう!? 気づかなかったよ!」 クラウドは頭を抱え、エーリヒも悔しげにぼやいた。 「ほんとうだよ。時間に追われると、まったく、ロクなことがない」 エーリヒは、クラウドにルール・ブックを預けた。 ルールとしてはこうだ。 エーリヒ側は、キングが動けない。そして、クイーンも一度きりしか動かせない。そのかわり、キャスリングが二回つかえる。 そのキャスリングは、通常のチェスのルールとは違い、ルークとキングだけにとどまらず、他の駒も入れ替えることができる。駒と駒の間に、他の駒があってもよい。入れ替える駒は、二基まで。 シェハザール側のシャトランジは、キングが動けない代わりに、フィルズが絶大なる力を発揮する。フィルズを止めることができるのは、太陽の神の加護がある駒のみ。 「今、これを見つけてよかったな」 クラウドも、冷や汗をぬぐった。どちらにしろ、ツァオのフィルズは、太陽の神の加護を持つ、エマルの駒しか取れなかったのだ。 「道理で、キャスリングというルールがこちらにあるわけだ」 対局してきて分かったが、星守りの加護だけでいえば、おそらく太陽と夜の神の力がトップなのだ。次点に「アストロス」。 だが、この「シャトランジ!」は、神の加護だけで勝負が決するのではなく、駒となった人物が持つもともとの技量も加味される。それには、本人の戦う意志に士気、役割も加わる。そして、守りとなる神との相性も。 イシュメルの「守護者(ガーディアン)」などは、守りに徹すれば最強だが、攻撃に転じると、力が半減した。 強引に駒とされたモハの士気は、低かった。ニックの駒に簡単にやられてしまったわけは、そこにあったかもしれない。 「勝負に出るぞ」 エーリヒは対局盤に目を移した。 これも賭けだ。 「キャスリング」したとしても、フィルズがクイーン取りに向かえば、意味がない。
(シェハザールならば――“賢者の青ウサギ”ならば、クイーンを取りに来る)
エーリヒとクラウドの目が合った。その一瞬の交差に、ふたりの考えは同じだと汲んだ。
(だが、ラグ・ヴァーダの武神は、強いほうを取りに来る)
ふたりの読みは当たった。フィルズは、クイーンの方へは行かず、キャスリングされて入れ替わったエマルの「女闘士(アマゾネス)」を、取りに動いた。
「フィルズ(将軍)を、b-2へ」 シェハザールの宣告。 エマルと、ツァオの戦いがはじまった。 |