「――なにが起こった」

 クルクスの上空から、黒煙が消えた。マルコとフィロストラトは、ふたたび上空へ向かった。いままで黒雲にさえぎられて見えなかった果てが、見渡せる。

病院の窓から見ていたヒュピテムとスタークが、真っ先に、原因に気づいた。

 「夜の神様が、消えた」

 ヒュピテムが、つぶやいた。

 「――ほんとだ」

 クルクスの玄関口にいた、黒衣の神がいなくなっている。

 「ええっ!? うおあ!? どこ行ったんだよ!?」

 焦ったのはスタークだった。クルクスの上空を覆っていたのはやはり、夜の神の力だったのか。それがなくなって、今ははっきりと、燃える地球行き宇宙船が、スタークたちの視界にも入った。

 夜の神がいなくなったせいで、ラグ・ヴァーダの武神の黒雲が、玄関口から入ってこようとしている。

 ――ぞぶり、ぞぶりと不気味なうねりを湛えて、入り口の街並みを飲み込みながら。

 

 「うげーっ! こっち来る!」

 「……!」

 スタークは焦り、ヒュピテムも汗をにじませた。

 「なにしてんだよーっ! どこ行ったんだ! 夜の神様は!!」

 「あれは――マルコどのと言ったか」

 クルクスの正面道路を、入り口に向かって飛んでいく二人の天使がいる。

 「マルコ! フィロー!!」

 スタークは窓に張り付き、それから、看護師がいないのを確かめて窓を開けようとしたが、厳重にロックがかかっていて、開かなかった。しかたないので、スタークは、窓の内側から叫んだ。

 「マルコーっ! やっちまえ! 勝ったら、嫁になってやるから!!」

 マルコが、満面の笑みでスタークを振りかえるのが見えた。

 「ウソ!? 聞こえてた!?」

 そういえば、あの天使たちは、おそるべき地獄耳だったのだ。

 

 「聞こえた? マルコ」

 「もちロん!」

 マルコの顔は喜びに火照っていた。

 「マルコは理想が高すぎて、いつまでも結婚できなかったけど、やっとできそうだね」

 「百歳そこそこのガキに言われたクない」

 マルコはしかめっ面をしたが、めのまえのおぞましい漆黒の泥土に、顔を引き締めた。

 「クルクスを守ルぞ、フィロストラト!」

 「ああ!」

 夜の神がいなくなったことで、クルクス内に浸食してきたラグ・ヴァーダの武神を食い止めようと、ふたりが剣を構えたときだった。

 銀色のきらめきが、城の方から、ゆっくりとこちらへやってくるのが見えた。

 「――月の、女神さま」

 フィロストラトのつぶやきが、それが誰かを示した。

 

 メルーヴァ姫の姿が見えたとたんに、コールタールのようなラグ・ヴァーダの武神の手が、形を成して伸びた――。

 フィロストラトはギリギリでかわし、マルコは空へ逃げた。そして、空から一閃した。

 太陽の炎が、武神の腕をぶった斬り、入り口の家屋をもまっぷたつにした。

 「しまった!」

 切り離されてもなお、武神の手は、姫をつかみ締めようともがき――銀色の光に弾かれた。

 

 

 

 アストロスから見えた太陽――地球行き宇宙船の大きさが倍になったのは、アストロスにいた者すべてに見えた。

 

 サルーディーバは、もはや持たなかった。自らの身体とともに、街が燃えゆく光景が、彼女の網膜に残った「最後」の光景だ。

 サルーディーバは、火に包まれて、意識を失った。

 

 「カルパナさん! 海に潜って!!」

 セシルもダメだった。カルパナをかばい、海に潜るのが精いっぱいだった。

 岸辺から、みるみる蒸発していき、海水の上にも火がある。海水の温度は、信じられないくらいに急上昇していた。まるで風呂のようだ。

 セシルは海から、必死で、K19区の――遊園地の火だけを、みずからがつくった水源に集めた。

 

 マミカリシドラスラオネザは、神官全員を周りに集め、彼らと自分を守ることに徹した。もはや、それしかできない。火の玉につつまれた彼らは、マミカリシドラスラオネザの祈りが一瞬でも途切れれば、燃え尽きる。

 イシュマールも、最後の力を振り絞り、ペリドットとアンジェリカのいる祈祷所だけは燃えないように、祈祷をつづけた。

 

「うぬっ……うぐ、ぐうううううう……」

 ナキジンたちは、襲いかかってきた業火になすすべもなく、頭を抱えていたのだが、業火は、誰をも襲ってはいなかった。だが、すでに商店街はどの店も炎につつまれている。

 階段下、寿命塔のまえで、業火を食い止めているのは、百五十六代目サルーディーバだった。さすがの彼も、両手で錫杖をかざし、歯を食いしばって踏ん張っている。

 

 バチバチと爆ぜる大火。熱気だけで、倒れそうだった。

 「ばあちゃん!」

 紅葉庵の看板娘が、倒れた。

寿命塔を囲む者たちも、つぎつぎと、商店街を炎上させる熱気にやられ――百五十六代目サルーディーバも、踏ん張った足が、一歩、二歩と下がってくる。

 「もう、ダメなの……」

 じわじわと、石の大地すら燃やす火勢が、皆を寿命塔へ追いつめていく。

 絶体絶命だった。

 皆が、大路で焼け死ぬのを、覚悟したときだった。

 

 「こうなったら、大盤振る舞いじゃ!」

 それがナキジンの声だと、皆はすぐには気づかなかった。

 彼は、寿命塔に、ごっちんと頭をぶつけ――突っ込んだ。

 

 「ナキジン!!」

 カンタロウが叫んだが、間に合わない。

 「わしゃあ、100年分じゃあーっ!!!!!!」

 

 「ナキジーン!!」

 だれも止めることができなかった。寿命塔から、ゴゴゴゴゴ、と唸り声がして、虹色の光が迸った。

 「オヒョオオオオオオ」

 ナキジンの悲鳴が大路に響き渡る。

 

 業火が、ふっと消えた。

 

 ナキジンのハゲ頭が、寿命塔から出てきたときには――大路を燃やし尽くそうとしていた炎は――跡形もなく消えていた。

 「ナキジン!」

 「おお――しっかりせい!」

 寿命塔から手を離したナキジンは、寿命塔のまえに、大の字に転がった。

 

 地球行き宇宙船を核とした太陽は。

 まるで、船内を燃やし尽くしていた炎をすべてエマルに注ぎ込むように、コロナを燃やし、色めき立った。

 エマルがまとう炎が、小爆発を起こした。

 フィルズの黒い炎を飲み込むように、爛々と燃えさかる朱色と赤の乱舞――。

 

 押されていたエマルの威勢がよみがえった。ビリビリと大気さえ震わせるエマルの気勢が、アストロス全土に響いた。

 エマルのコンバットナイフが、ついに、炎をまとって、ツァオの首を横殴りに一閃した。

 太陽の火が、厚く覆った黒雲を、引き裂いた。

 だれも、触れることすらできなかったフィルズに届いたとどめの一撃――フィルズの巨大な身体が揺らめく――瘴気がぶわりと縮み――膝をついた。

 指先で回したコンバットナイフが、フィルズの胸に突き立てられた。

 

 「――!!」

 シェハザールの瞠目に遅れ、ツァオの口からすべての瘴気が迸って、天に突き抜けた。

フィルズが足元から瓦解していく。

黒い鱗が剥がれ落ちるように鎧はこぼれ落ち――ツァオの姿が現れた。ツァオの姿をした黒煙は、空中に溶けていくように、消えた。

 

 「勝った――!」

 「勝った、おい、勝ったぞ!!」

 歓声の湧きかける総司令部に、フライヤの緊迫した声が通った。

 「まだです!」

 

 「クイーンを、e-8へ」

エーリヒは、そのときを逃さなかった。

 「チェック・メイト」

 



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