ミシェルも、目を覚ました。身体が揺れる。倒れていたミシェルを、心配そうにのぞき込んでいたのは、どこかで見たことのある――しかし、会ったことがない少女だった。

 「――!!」

 ミシェルは飛び起きた。ミシェルが乗っているのは、荷台の上だ。

 「セプテンおじーちゃん……」

 ミシェルは、眼下に広がる海を見て、叫んだ。

 「え? ここどこ? あたしなにしてた?」

 あちこちを見渡し――「どうなったの?」と、めのまえの、少女に聞いた。

 「ここは、アストロス」

 「え?」

 「ぜんぶ、終わったのよ――あなたの槍で、ラグ・ヴァーダの武神は、滅びたわ。完全に」

 ミシェルは、少女とともに、彼方にある山岳を見つめた。そこには、山岳だった空間があった。山岳は、欠けていた。長く連なる山脈の端が、けずられたようになくなっている。

 

 「……」

 ミシェルの記憶は、千転回帰で、アントニオが爆発を起こしたときから止まっていた。

 セプテンおじいさんは、後ろを振り返って、微笑んだ。

 ミシェルは、いっしょにそりに乗っていた、黒髪の女の子を見つめた。とてつもなく綺麗な女の子だった。彼女も、目を潤ませて、ミシェルを見つめていた。

 「あの――あなたは、」

 「わたし、マリアンヌよ」

 彼女の目から、ついに涙がこぼれた。

 「覚えているわ。あなたが、あたしのお墓に、クラウドと来てくれたこと」

 ミシェルは、目を見張った。

 マリアンヌの身体が、虹色に輝きながら、消えようとしている。ミシェルは慌てて、彼女の手を取った。

 

 「わたし、行かなくちゃ」

 マリアンヌは言った。そろそろ、シェハザールたちを迎えに行かなければならない。彼らは、いま、アストロスをさまよい歩いていることだろう。メルヴァを捜して。

 

 「あた、あたしね、あなたと、はじめて会った気がしないの!」

 ミシェルは叫んだ。本当の気持ちだった。ずっとずっと、ZOOカードの世界で会っていた。ラグ・ヴァーダの武神との決戦まで、ずっといっしょにがんばってきた仲間だと、ミシェルはそう思っていた。

 消えゆくマリアンヌを目の前にして、たくさんの言葉は言えなかったけれども、それだけは伝えたかった。

マリアンヌは、嬉しそうに微笑んだ。

彼女はみるみる、消えていく。光となって。

 

 『今度出会うときには――』

 「うん――」

 いっしょにしたいことが、山ほどあるの。

わたしも、ルナやあなたや、アンジェたちと一緒に、お茶をしたかった。リリザの遊園地で遊んだり、女の子の話をしたかった。

彼女は、そう言おうとしたのだと思う。

ミシェルには、半分しか聞こえなかったけれども。

 

 

 

 ルナは、クルクスの入り口で、待っていた。

 さっきまでは、メルヴァを。

 今は――アンジェリカを。

 

霧がますます深まってくる。

 めのまえですら、真っ白い霧で覆われて、なにも見えなくなった。

 それは、ルナが願ったことだった。

 黙っていれば、すぐに、L20の軍隊がメルヴァを捜しに来てしまう。メルヴァは、L系惑星群の指名手配犯の革命家なのだ。たとえ死んでいても、すぐに連れて行ってしまうだろう。

 ルナは、少しの時間だけでも、アンジェリカとメルヴァを会わせたかった。

 L20の軍隊にメルヴァが連れて行かれてしまっては、それもできない。

 

 ルナは、メルヴァを、しずかに横たえた。ルナ一人ではできなかったかもしれない。なにせメルヴァは、アズラエルほど大きく、重い。抜け殻になってしまったはずの身体は、想像以上に重かった。

 「うんしょ」

 メルヴァの倍もあるような太い腕が伸びて来たかと思ったら、イシュメルだった。

 イシュメルは、メルヴァを仰向けに寝かせてくれた。彼の目は閉じられている。ルナはそっと、彼の頭を膝に乗せて、座り込んだ。

 (アンジェ)

 ルナは、なにも見えない霧の向こうに、呼びかけた。

 (早く来て)

 

 

 霧はますます濃くなって、病院の窓から見ていたスタークの視界から、ルナを消した。

「ルナちゃん……!」

スタークは、ルナのもとに行こうとしたが、看護師に止められた。

 「病院から、出ないでください」

 スタークはうんざりしたように叫んだ。

 「もう、戦闘は終わったぜ!?」

 「ちがいます。“逢瀬の霧”が出ているんです」

 「逢瀬の霧?」

 「ええ。この霧が出ているときに建物の外に出てはいけません。そういう言い伝えがあります」

 

 

 ラグ・ヴァーダの武神が宇宙に飲み込まれていくのを見届け、砂とほこりにまみれて、だれもが真っ白になった、ガクルックスのL20陸軍総司令部の面々は、最初に、司令部を守ってくれていたペガサスが消えたことに気づき――そして、地面を覆っていたシャトランジ! の盤が、なくなっていることに気づいた。

 

 「シャトランジが消えた!」

 軍人たちは、足を踏み鳴らして喜んだ。

 「やった!」

 「終わったのか!?」

 「倒されたのか――あの、黒い化け物は」

 呆然と立ちすくむもの、抱き合う者――歓声が上がるなか、バスコーレン大佐は、すぐさまフライヤに許可を求めてきた。

 「クルクスに向かったメルヴァを追います!」

 軍の再編成を、と言いかけたバスコーレンは、水のにおいに気づいた。

 「え、ええ、」

 フライヤの言葉を待たずして、今度は、霧が立ち込めてきた。ジュエルス海からくる霧だ。これは、異常現象などではない。ナミ大陸の中央から北は、季節柄、霧がかかる日が多い。

 

 「こんなときに、霧が――」

 バスコーレンが苦い顔をした。

 「しかし、一刻の猶予もなりません。クルクスに、メルヴァが入り込んでいれば、町民を人質に取ることも考えられます」

 「ええ、わかっています」

 ラグ・ヴァーダの武神は滅びた。

 そして、女王の槍によって、シェハザールのいる山岳が崩壊した。

 シェハザールがもはや、生きているとは考えにくいが、メルヴァの生死は確認されていない。

 ここからは、クルクスの様子は、肉眼では伺えない。

フライヤは石板を見たが、ふつうのアストロスの立体地図にもどっていた。神々が、クルクスで発動している証はなかった。

 さっきまでのことは、まるで夢幻であったかのように、石板は様子を変えなかった。

 だが、全身、泥と砂まみれの自分たちの格好が、その証だ。

 

 「この霧は、“逢瀬の霧”です」

 すぐさま出発しようとしたバスコーレンを、市長ザボンが止めた。

 「この霧が出ている間は、動いてはなりません」

 

 「どういうことですか」

 ここへきてから、アストロスの史記にも手を出していたフライヤも、初耳だった。

 「しかし……」

 バスコーレンは言った。

 メルヴァの行方も追わねばならないし、エタカ・リーナ平原に残されたままのサスペンサー隊の撤収も急がねばならない。シャトランジの駒となっていた味方の戦士たちの無事を確認することも必要だ。そして、崩落したエタカ・リーナ山岳の調査――事案は山積みだ。

 「一日か二日、どうか、動くのを待ってください。この霧の中で動けば、迷います。この霧は、特別な霧で、むやみに動けば、神隠しに遭うという伝承があります」

 フライヤとバスコーレンは顔を見合わせた。ザボンは言い直した。

 「伝承ともいえません。何人もの人間が、現実に行方不明になっています」

 



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