「おふォ!?」

 アズラエルは、戦慄して飛び起きた。ラグ・ヴァーダの武神より恐ろしい母親が、ゴキボキと指を鳴らしてこっちに来る夢を見た気がした。

 「お目覚めですか」

 シグルスが、ソファに座っていた。

 「おう……」

 

 ルナは、アズラエルが寝室へ運んだ。カザマも寝室で休んでいるのだろう。セルゲイとグレンは、床で行き倒れている。ソファでいびきをかいていたはずのペリドットの姿はなかった。

 「ペリドット様は、先ほど起床して、軍のほうへ向かわれました」

 「そうか……」

 「ザボンさんが、アストロス滞在中は、この部屋を自由に使ってくれと仰ってました」

 アズラエルは、ほっぺたに残った絨毯の模様をなぞりながら、大あくびをした。ここへ来てから、数時間しか経っていない。窓の外は、夕暮れだった。

 「地球行き宇宙船には、まだもどれません。一週間後には、入れると思います。――どうなさいます? 湯は使われますか。それとも、お食事を先に?」

 「風呂、はいるか」

 アズラエルは、伸びをして、立った。

 

 アズラエルが浴室から出てくると、二番目に起きて来たのはルナだった。ルナは目をこすりながら、アズラエルと入れ替わりに、浴室へ入った。

 だれかが浴室から出てくるたびに、だれかが起きる。

 それを繰り返しているうちに、いつのまにか、食事の用意がされていた。ルーム・サービスの豪勢なメニューが、テーブルに並んでいる。

 だが、なかなか、みな食事に手をつけなかった。どことなく、ぼうっとしていた。

 

 無理もない。

 想像を絶する戦いが終わって、まだ、ひと晩も経っていないのだ。

 ルナは、ソファに座っていながら、まだこっくりこっくりと頭を揺らしていた。グレンもアズラエルも、まだ夢の中にいるような顔をしていたし、カザマも、ひどく静かだった。疲れが抜けていない顔をしていた。

 ルナは一週間もたって、ようやく気づくのだ。

 丸五日、彼女は寝ていなかったのである。

 だれもがアホ面で、時の流れに身を任せていたのだが、アズラエルはようやく気付いた。

ルナに、一等先に言っておかねばならないことがあった。

 

「ピ、ピ、ピ、ピ、ピエトが!?」

 シグルスがグラスについでくれたジュースを、ぼんやり礼を言って受け取ったルナは、アズラエルから聞いた話に目を丸くし――あやうくジュースを落としかけ、横のグレンがキャッチした。

そのままルナは立ち上がり、ぺぺぺぺーっとそこらじゅうを落ち着きなくうろつきまわり、「ピエト……」と床を見つめた。

 

 「だいじょうぶだ、命に別状はない」

 アズラエルは言い、

 「うろたえるんじゃねえよ。――もしピエトが傭兵になったなら、」

 テーブルにもどされたルナのジュースを、一気飲みした。

 「この程度じゃすまねえことも、この先起きてくる」

 「……」

 ルナはうさ耳をぺったりと垂れさせたまま、ぽてぽてと、ソファにもどった。

 

 「悪いニュースばかりじゃねえ。リサとミシェルも、降船を取り消した。もどってくるぞ」

 「ええっ」

 ルナは、うさ耳を跳ね上げた。

「このまま地球に行くそうだ」

 「ほんとうですか」

 嬉しげな顔をしたのは、カザマだった。

 「ああ。ピエトが動けるようになったら、いっしょにもどってくる」

 ルナの表情も、すこし明るくなった。

 

 ルナがクルクスに到着するまえ、ジュエルス海の沿岸でひと晩停泊したときに実行されたリハビリ――最後のリハビリ。

 第二次バブロスカ革命の、前世。

 あれはおそらく、ルナだけのリハビリではなかった。

 うさぎさんと、その仲間たちのお話だった。

 第二次バブロスカ革命の仲間、全員のリハビリだったのだ。

 (ミシェルの魂のキズは、癒されたんだろうか)

 ルナは思った。

 ミシェルが牢屋から助けたかった「先生」は、リサだった。

 ZOOカードにあったとおり、ミシェルは確かに、リサのことしか考えていなかったのだ。

 (ミシェルは今度こそ、たいせつなぽっくりさんと、幸せになるんだ)

 

 そして、ピエトも。

 ルナのために、アズラエルを呼びに行ってくれた、ピエト。

 

 「ピエトがもどってきたら……」

 ルナにジュースがふたたび手渡されようとしたが、ルナは目を真っ赤にしてスカートをにぎっていたので、今度はグレンが受け取った。

 「おもいきり、甘やかしてあげなくちゃ」

 「おいおい」

 アズラエルは苦笑し、シグルスは三度目の正直で、ルナのためにジュースを注いだが、浴室からもどってきたセルゲイに「ありがとう」と言って取られた。

 シグルスは、肩をすくめて、四度目の正直でルナに手渡したのだった。

 

 

 

 ラグ・ヴァーダの武神との決戦が終わって一週間。

 ルナがボケウサギだったどころか、アズラエルたちもボケライオンに、ボケタイガーだったわけだが、のんびり過ごしたわけではなかった。なにせこの一週間、ひっきりなしに仲間の合流と、訪問客があったからだ。

 その日のうちに、ミシェルとクラウド、エーリヒが合流し、ミシェルとルナは抱き合って再会を喜び、やっとルナはボケウサギではなくなったし、ミシェルも元気を取りもどした。

ルナはしばらく、エーリヒにべったりひっついて離れなかったのだが、エーリヒは、ジュリを迎えにいかなくてはならないので、うさぎはアズラエルに引き取られた。彼は、ケージに入れられたうさぎをしり目に、メンケント・シティに向かった。

 

 次の日には、ララが「10分しかない、10分しかない!」と叫びながらルナとミシェルの無事を確かめに来て、ふたりに口づけし、嵐のように去っていった。

 「屋敷のことは、あたしに任せておくれ!」

 という謎の言葉を残して。

 さらに翌日には、ベッタラとニックが合流し、セシルとネイシャが来て――スイートルームは大所帯になった。

 

 ベッタラは、ずいぶん落ち込んでいた。

 「――ワタシが、フィルズを倒したかったのです!」

 逞しい肩をすっかりしょげ返らせて、彼は言った。大好きなネクターにも手を付けず。

ベッタラの駒「剣士(ソードマン)」は、あっさりフィルズに砕かれてしまった。あれには、チラ見していたアズラエルたちもおどろいたのだ。

 「仕方ないよ。俺たちも、終わる寸前にルール・ブックがでてきて分かったんだけど、フィルズは、太陽の神の星守りを持った者しか倒せなかったんだ」

 クラウドがそう言ってなぐさめた。

 「そうなの!?」

 「そうだったのですか!!!」

 ニックとベッタラは仰天し、「では、ワタシが太陽の星守りを持って、戦いたかった……!」とあきらめきれずに叫んだが、太陽の星守りはエマルだったと聞いて、急にだまった。ベッタラも、エマルの迫力にはかなわないものを感じたらしい。

 ベッタラは言った。

 「エーマルさんが、アノール族でないことが、不思議です」

 

 「それより、さっき、お兄ちゃんに会って来たんだけど」

 ニックは言った。

 「グレン、アズラエル――シュバリエたちの敵を取ってくれて、ありがとう」

 ラグ・ヴァーダの武神にやられたシュバリエとヤーコブ、アンリ。身体に大穴があいたアンリは助かったが、ヤーコブはダメだったという。シュバリエの遺体も、見つからなかった。残ったのは首だけだ。

 「シュバリエは、幼馴染みのお兄さんでね。僕を、可愛がってくれたひとだ」

 勇敢な、ひとだった。

 ニックは目を潤ませ、

 「さっき、別れの挨拶を済ませてきたよ――ぼくも、すこしは敵を取れたかな」

 ニックは、モハの「ルフ(戦車)」を打ち破った。十分に彼は活躍したのだ。ニックを励ますように、彼の肩にベッタラの分厚い手が置かれた。

 ニックはしばらく黙っていたが、やがて、思い出したように言った。

 「そ、そうだ。敵方の駒は、みんなすでにエタカ・リーナ山岳で死んでいたっていう話なんだけど、じつは、ぼくが倒した――モハ? さんだっけ。彼だけは、無事だったらしいんだ」

 「それ、ほんとう?」

 クラウドが興味をしめした。

 「うん――モハさんだけは、無事だった。僕たちみたいに、駒が倒された場所で意識を失っていた。L20の軍に救助されたよ。――どうして彼だけ生きていたのか、これから調査するって、お兄ちゃんが、」

 「お兄ちゃん?」

 さっきから、ニックの口から出るお兄ちゃん、がだれなのか分からなくて、グレンが聞いた。

 「あれ? お兄ちゃんは、みんなのこと知ってたよ」

 ニックは首をかしげた。

 「マルコっていうんだけど、会ってない?」

 「マルコ――俺のこと、お義兄さんって呼んだやつか」

 アズラエルは膝を打った。ニックもすでに、聞いていたようだ。

 「お兄ちゃんはね、理想が高くって、なかなか結婚できなかったんだけど、まさか、こんなところで、運命の相手に出会うなんて、びっくりだよ!」

 ニックは嬉しげに両腕を広げ、

 「それがまさか、アズラエルの妹さんだなんて! スタークさんとお兄ちゃんが結婚したら、ぼくとアズラエルは親戚か~」

 ニックは、今の時点では気づきもしなかった。

 兄弟そろって、運命の相手と出会ったということを。

彼の魂は、ラグ・ヴァーダの武神を倒すまで妻帯しないと決めていたのだ。けれども、ニック自身もすでに、運命の相手と出会っていたのである。

 



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