アントニオが来たのは、五日後だった。 ペリドットと一緒に、エタカ・リーナ山岳の様子をたしかめて来たらしい。 エタカ・リーナ山岳の西側はすっかり崩落し、地形すら変わっていた。大規模な崩落のおかげで、ハダルの街の三分の一が海に沈んだというのだ。 シェハザールも、シャトランジ! のシステムも、ラグ・ヴァーダの武神の墓碑も、完全に海の底へ沈んだ。しかし、のこったエタカ・リーナ山岳の中央あたりの洞穴で、王宮護衛官三名の遺体が発見された。おそらく、シャトランジ! の駒となった人間だ。調査は、この先もつづけられるという。 アントニオは、皆の労をねぎらい、「じゃあ、また宇宙船で」と言って、帰って行った。 ルナたちがでかけることができたのは、一週間後だった。 宇宙船にもどることができるようになった日と、ちょうど同じ日であった。 「――ルナ!」 「おばーちゃん!!」 メンケント・シティの大学病院、普通病棟で、ツキヨとルナは感動の再会を果たした。 「よかったわ、無事だったのね」 コップを洗うために席をはずしていたリンファンも病室に戻ってきて、「ママ!」と飛びついてきたルナを抱きしめた。 「まったく、ひとっことも連絡を寄こさないで。心配したじゃないか!」 ツキヨは、タオルで目頭をぬぐいながら、アズラエルに怒った。 「悪かったよ。俺は非常事態で駆り出されていたし、それどころじゃなかったんだ」 「でも、ご無事でよかったです」 エマルとリンファンの担当役員、シシーもほっとしたように言った。 ルナとアズラエル、クラウドとミシェルは、バーダン・シティにいたことになっている。 メンケント・シティもバーダン・シティも、シャトランジの盤が敷かれてから、厳重な警戒態勢に置かれて、街を出るものも入ってくる者も、その場に留め置かれた。街の境界線にはバリケードが敷かれ、自由に出入りはできなくなっていた。 それは、ルナたちが連絡を取れなかったことのいい理由にはなったが、ふたりに心配をかけたことは否めない。 メンケント・シティにいた住民は、ほとんど不思議なほど、ナミ大陸で起きた戦いのことは、知らなかった。 バーダン・シティからは、シャトランジ! の駒が見え、海岸線に出た者たちは、ラグ・ヴァーダの武神の黒もやを目にしたが、彼らの目には、自然現象としか映らなかった。 もちろん、ニュースの記事にはならなかった。 なぜなら、勢い込んで、スクープとばかりに撮った記者たちのカメラには、なにも映っていなかったからである。 彼らがこの目で見たシャトランジ! の巨大駒も、その戦いも、黒いもやが武神の形を成すところも、まったく映っていなかった。彼らがカメラに収めたのは、ただの曇り空と海であった。 最初のメルヴァ軍の攻撃こそは放映されたが、その後の、太陽のごとく燃える地球行き宇宙船の様子も、カメラにも、映像にも映っていなかった。 「昨日、エマルがね、オリーヴとスタークを連れて来てくれたよ」 ツキヨの顔色はよかった。 「スタークに会えるなんてねえ……! あの子には、E353じゃ会えなかったから」 「スタークちゃんは、さすがにあたしのことはうろおぼえだったわねえ……でも、無理もないわ。ちいさかったもの。そうそう! 未来の旦那様にも会ったのよ」 リンファンが興奮気味に話すのに、ルナとアズラエルは顔を見合わせた。アズラエルは昨日、正式にマルコから、「スタークさんを妻にしてもいいですか」と聞かれたばかりだったのだ。 エマルときたら、スタークが男になったことを残念がっていたものだから、 「ええ、ええ、どうぞ! こんなどっちかわからないモンをもらってくれるなら、だれだって!」 と大歓迎でマルコとの結婚を許し、オリーヴは、「えーっ!? いいないいな! だれかあたしと寝てみたい天使はいない!?」と騒ぎだして、テッサやフィロストラトあたりが手を挙げるまえに、エマルのゲンコツを食らった。 ボリスと、「今度こそ一生離れないから……♡」と熱く誓った舌の根も乾かないうちにこれだ。 ボリスは「毎度のことだ」とあきれてなにも言わなかった。 すさまじいしかめっ面だったのは、当のスターク本人である。ああ、これは、納得はしてねえな、と思ったアズラエルは、しかたなく、スタークの味方をしてやることにした。 「まずは、スタークを完全に攻略してから、俺のところに来いよ」 とアズラエルは言ったのだが、マルコは認められたと思ったのか、かがやくような笑顔になった。 「スタークちゃんが、天使さんと結婚したら、どんな大きな赤ちゃんが生まれるのかしら……」 「旦那様はとんでもない長寿だっていうから、どんなものかねえ」 「でも、マルコさんは、L02に来れば、自然と長寿になるからスタークちゃんだって、長生きするって言ってたわよ?」 「仕事はどうするんだい? あの子は、総司令官さんの、子飼いの部隊だっていうじゃないか!」 「そうね――仕事ね――でもあたし、もっと心配なことがあるの! 赤ちゃんがあんまり大きかったら、出産のとき、大変よ」 「それはそうだね。あたしも、エマルを生むときは大変だった!」 あの子は、5000グラムもあったのさ! とツキヨは言い、ルナとシシーは目を丸くした。 「でっかくなるひとって、やっぱ、赤んぼのときからおっきーんですねえ……」 シシーの呑気な声。 ひさしぶりの穏やかな時間に、ルナは、やっと日常を取りもどしたように笑い続けていた。 「おどろいた」 アンジェリカは、グレンの姿を認めて、目を見開いた。 「来てくれるなんて」 「アズラエルは驚かなかったくせに、俺は意外なのか?」 「アズラエルのほうも驚いたよ」 ここは、宇宙船の中央区の墓地だ。 中央区も軒並み崩壊気味だが、ここは墓石ばかりで、あまり荒れ果てたという感はなかった。 アンジェリカが佇んでいるのは、名前のない、ふたつの墓碑のまえだった。マリアンヌの墓を囲むように、同じスペース内に置かれたふたつの墓碑は、まだなまえこそ刻まれていないが、メルヴァと、シェハザールやツァオ、その仲間たちの墓碑だった。 シェハザールの遺体は見つからなかった。 この先の調査の進展具合では、ツァオやラフラン、他の遺体は見つかるかもしれない。だが、この墓のなかに、遺体や骨が入ることはない。 メルヴァの遺体は、すでにL20の軍が収容している。 エタカ・リーナ山岳にいた者たちとはべつに、アクルックス・シティの街並みで、つぎつぎと王宮護衛官たちの遺体が発見された。 皆が皆、走り尽きたように、倒れていた。 もっともクルクスに近い位置で見つかったのは、メルヴァの八騎士のひとりであるエミールだった。 彼らが見つかった位置と距離、走り続けた日数を数えて、軍は戦慄するばかりだった。 ひとの走れるスピードと、距離ではなかった。 それを考えれば、クルクスの玄関口までメルヴァを走らせた「もの」は、やはりひとではなかったのだろう。 グレンが置いた花束は、シンプルな墓碑を華やかに彩った。きのう、アズラエルとルナ、セルゲイが、一緒に来たとアンジェリカは言った。三人が三人、大きな花束を置いて行った。彼らの分だけではない。クラウドにミシェル、カザマにアントニオ――ペリドット、エーリヒ。 たくさんの人間が、交代でここへ来た。花束を持って。 ここだけ、まるで花畑にでもなったように、豪華絢爛だった。 「今度こそ終わったよ」 「――ああ」 グレンは、墓碑に向かって敬礼した。 「L03の礼儀は知らねえが――安らかに」 グレンの言葉に、アンジェリカは不覚にも涙が出た。メルヴァの遺体のそばに、ひと晩いることを、フライヤは許してくれた。あれからずっと――枯れるほど流した涙が、まだ枯れていなかったことにおどろいた。 「グレンさん、あたし、L03にもどるんだよ」 アンジェリカの言葉は、すでに決定事項だった。 「ここまで来て、地球まで行かねえのか」 「うん――あたしは、サルーディーバ様のもとへもどらなきゃならない」 サルディオーネとなる者は、神と契約をしている。それぞれ、絶大なる神力を授かる代わりに、契約を。 宇宙儀のサルディオーネも、水盆のサルディオーネも、それぞれ、トロヌスの王宮からは出られない。アンジェリカは、「生涯を、サルーディーバに捧げる道」を選んだ。 |