「姉さんは、ついに力を失ってしまった」

 「え?」

 グレンは、目を丸くした。

 「姉さんは、サルーディーバじゃなくなってしまったんだ」

 アンジェリカの告白に、グレンは、切れ長の目をこれでもかと見開き、それから、何と返していいか分からない目をした。

 「姉さんがサルーディーバのままだったら、あたしは姉さんに着いて地球に行けたけれども、姉さんがサルーディーバじゃなくなった今、あたしは、L03にいるサルーディーバ様のもとにもどらなきゃならない」

 「……」

 

 アンジェリカの声には、決意がありながらも迷いがあった。サルーディーバでなくなった姉を置いて、ひとりL03に帰ること、アントニオとの別れ――彼女の細い双肩には、L03の近代化を成し遂げる使命もかかってくるだろう。

 迷いも無理もない。ルナと同い年の少女が抱えるには、あまりに重い選択がいくつもあった。

 近代化を担うはずだったメルヴァの存在はすでになく、彼と一緒に、有能な王宮護衛官たちは、大勢、没した。

 アンジェリカの決意の中には、メルヴァの代わりに自分がそれを成し遂げようという、悲壮ともいえる覚悟があった。

 

 「グレンさん、なにか、姉さんに、いい名前はないかな」

 「――は?」

 グレンの声は裏返った。

 「姉さんは、これから――地球で、あたらしい人生を歩むんだ。あたらしい名前が必要でしょ?」

 「なんで、俺に聞く」

 「いいから。グレンさんだけじゃないよ。あちこちで、聞いて回ってるんだ」

 ルナとミシェルにも聞いたよ。アンジェリカは言った。

 「……名前、ねえ」

 グレンは、とびきり色彩豊かな花束の群生を見つめながら言った。

 

 「サルビアって、どうだ?」

 グレンの目に、花束の中でひときわ鮮やかな色彩を放つ赤い花が飛び込んできた。

 「サルビア?」

 「花言葉は、尊敬、尊重、賢さ、家族愛」

 「――家族愛」

 「赤いサルビアは、“燃ゆる想い”」

 「花言葉を知ってるなんて、意外だね」

 今度はアンジェリカがおどろく番だったが、グレンは、うんざり顔で言った。

 「むかし、赤いサルビアをもらったんだ」

 意味が分からなくて、返事を返さなかったら、殴られた。

 グレンが端的に説明するのに、アンジェリカは声をあげて笑った。

 「それで、調べたの」

 「ああ、だから、サルビアだけは覚えてる」

 「――でも、姉さんにぴったりな名前だ」

 アンジェリカは、嬉しそうに言った。

 

 ――家族愛。

 サルーディーバとして、実の両親からもかしずかれて育ってきた姉が、欲しかったもの。

 グレンも同じだ。

 孤独だったふたりが、それを築いていけるというのなら。

 

 「アントニオとは、わかれるのか」

 グレンの問いに、アンジェリカは苦笑した。

 「アントニオも分かってる。あたしがサルーディーバ様のもとへ、もどらなきゃならないことは」

 アンジェリカがもどらなければ、この世界から、「ZOOカード」という占術は、なくなってしまうのだ。

 「ZOOカードを、あたしがなくしてしまうわけにはいかない」

 「……」

 「それにね、」

 アンジェリカは、グレンの袖を引っ張り、かがませ、耳打ちした。

 「ほんとうか!?」

 グレンは叫んでしまった。

 「ほんとだよ」

 

 ――アンジェリカの腹には、アントニオの子が、宿っている。

 

 「ルナとミシェルは知ってるのか」

 「うん。おめでとうって言ってくれた」

 「そうか――よかったな。いつ気づいた?」

 「それがさ、ほんと、昨日のことなんだ」

 メルヴァと最後の別れを交わし、L20の軍の敷地内で倒れた。血相を変えてアンジェリカを抱え、医務室に飛び込んだサルーディーバに告げられたのは、妊娠だった。

 

 「メルヴァの遺体安置所から出たばかりで――一瞬、メルヴァの子かと思っちゃった」

 「……」

 「でもまあ、そんなわけなくて。現実にはアントニオだよね」

 アントニオは、アンジェリカの骨が砕けるかと思うぐらいきつく抱きしめて、喜んでくれた。彼の涙と、真っ赤な鼻の頭を見たのは、はじめてだった。

 そのアントニオは知っている。

 アンジェリカと別れなければならないことを。

 だが、彼は、そのときは何も言わなかった。

 

 グレンの表情が和らいだのを見て、アンジェリカはいたずらっぽく告げた。

 「姉さんと、グレンさんの子を見たかったな」

 「――!?」

 さすがにグレンは絶句した。

 「……おまえの占いでは、そうなっているのか」

 「そうだよ。姉さんは、あんたの子を産む」

 グレンの目が、驚いたように見開かれ――それから、笑った。

 「俺が、姉さんをもらっちまってもいいのか?」

 「うん」

 アンジェリカは、かすかに微笑んだ。これから冬に突入するにしては、生ぬるい風が、頬を撫でていく。

 「姉さんを、どうかお願いします」

 

 

 

 「……」

 ルナとミシェルは、盛大に肩を落として、クルクス居城のスイート・ルームにもどってきた。

 アズラエルとクラウドには、容易に理由が分かった。彼らはすでに見てきたばかりだった。

 ――K38区の屋敷は、完全に炎上し、なくなっていたからだ。

 

 「あたしたち、これから、どこに住んだらいいの」

 ミシェルが途方に暮れた顔で言った。

 「あのお屋敷、気に入ってたのに。サイコーだったのに」

 

 K38区の屋敷にあったはずのシャイン・システムは、動いていなかった。K15区の宇宙船玄関口から、すぐに家に帰ろうとしたミシェルとルナは、シャイン・システムに入ってから、そのことに気づいた。しかたなく、出られる出口をさがしたが、K38区内は、どこも動いていなかった。

 「……」

 自宅にいちばん近いのは、隣の区画、K37区だった。

 ふたりは、K37区につき、外へ出て、愕然とした。

 よく買い物に来ていた街が――クラブ・ルシアンがあった街並みが――かつて露店も出ていたはなやかな商店街が、焼失していた。

 トラックやら業者の専用車などで道は埋め尽くされ、リフォームの真っ最中だった。

 

 「ほんとに、すごかったんだよ、アントニオの火……」

 間近で見ていたミシェルは、真剣な顔で言った。

 ルナは、船内がこれほどの惨状だとは思っていなかった。ただただ、呆然と焼失した街並みを見つめた。

 K37区の駐車場まで歩くと、タクシーが何台か常駐していて、ふたりはほっとした。バスは動いていないようだ。

 K37区もほぼ全焼していたが、K38区もおなじだった。

 ルナたちは、自分の家があったあたりで、降ろしてもらった。どの家も全部焼けていて、どこを走っているか分からなくなったのだ。

 

 「――ここだよ!」

 ようやく見つけた我が家は――我が家があった場所には、なにもなかった。煤の匂いと、真っ黒な残骸が、残っているだけだった。広い敷地は、焼け野原だった。

 先に来ていたエーリヒたちが、残っていた耐火金庫や、焼け残っていた品物は運んでいた。

 ルナとミシェルは、呆然としながら、タクシーで来た道を、歩いて帰ったのだった。

 

 「ピエトが帰ってきたら、きっと泣いちゃうよ……」

 ルナはうさ耳をぺったり垂らした。おそらく、ピエトが大切にしていたピピの思い出の品も、ぜんぶ焼けてしまったのだ。

 「ひとつきもすれば、船内はリフォームされるよ。それまで、待機しよう」

 クラウドは言ったが、あの屋敷がもとの姿を取りもどすとは、だれも言ってはくれなかった。

 

 「ああ、ルナ。もどってきたかね」

 エーリヒが、リビングに顔を出した。

 「ミシェルもいっしょか。ちょうどよかった。ちょっと、こっちに来たまえ」

 



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