エーリヒに呼ばれて、ルナとミシェルが立ったところで、室内の電話が鳴った。

 クラウドが取った。

 「はい、クラウド」

 『……どうも。E.C.Pの者ですが』

 クラウドの背が反射でこわばった。同業者のにおいを嗅ぎつけた反応だった。

 『グレン・J・ドーソンさまはいらっしゃいますか』

 「失礼ですが、どんなご用件で」

 クラウドの口調が変わったことに、アズラエルもセルゲイも気付いて、顔を上げた。

 『用件をここで明かすことはできません。ご本人に直接お伺いしたいことがあるだけです。L18の心理作戦部、もとB班副隊長の、クラウド・A・ヴァンスハイト様ですね?』

 相手は、柔和な語り口だが、奥には、微塵も揺らがない冷酷さをたたえている。

 『当方の質問は、軍事惑星群の時事とはなにひとつ関係がありません。ユージィン氏の一件にもかかわりがありません。われわれが調査するのは、あくまで、地球行き宇宙船で起きた事件に関してです』

 クラウドには分かった。――レオンのことだ。

 『グレン様がご不在であれば、失礼いたします』

 電話向こうで、ピッと電子音がした。相手は、電話を切った。

 

 ルナとミシェルは、エーリヒとジュリが宿泊している部屋に連れてこられた。

 エーリヒは、リビングに置いてあった、ふたつの包みを、ふたりに手渡した。ルナに渡した方は、正方形の、ずいぶん大きくて重い包みで、ミシェルの方は、それなりに大きな、長方形のつつみだった。包装紙でつつまれ、蛍光色のリボンがかけられている。

 「開けてくれたまえ」

 ソファに座ったエーリヒがうながした。

 「?」

 ふたりは訝しげな顔をしながらも、丁寧に、紙包みを開けた。

 

「これって――」

 ミシェルのつつみは、あたらしい油彩道具のセットだった。飴色の木箱に、パレット、筆、洗浄液、絵の具を溶かす油と、二十四色の油絵具が入っている。

 「クラウドには、油絵具がいいのではといわれたが、あまりにいろいろな種類があってね。わたしには選べなかった」

 「あ、ありがとう! エーリヒ!」

 真砂名神社にあったミシェルの油彩道具は、すっかり焼けてしまった。ミシェルは喜びと、戸惑いが混じった声音で、礼を言った。

 

 「ふわ……!」

 ルナも中から出てきた分厚い本を見て、うさ耳をこれでもかと立たせた。

 重いはずだ。中から出てきたのは、巨大な図鑑だった。全世界の動物と鳥、海の生き物、虫などがすべて、絵入りで記録された図鑑。

 ルナはさっそく、床にひろげて、叫んだ。

 「これ、こういうの、欲しかったの!」

 「ZOOカードをこれからも扱っていくというのなら、あってもよいのではないかと思ってね」

 ルナのZOOカードは、まだ銀色の光を灯していた。ルナが「ZOOの支配者」でいられるのは、ラグ・ヴァーダの武神との決戦が終わるまでとのことだったが、まだつかえるらしい。

 先日、ルナが「うさこ!」と呼んだら、「呼んだ?」といって、すぐにピンクのうさぎが出てきたからだ。

 

 しかし、いきなり、どうしてプレゼントなんか――。

 ルナとミシェルが不思議な顔をしているのを見て、エーリヒは説明した。

 「これは、来年、君たちの誕生日に渡そうと思っていたものだ」

 「――え?」

K38区の屋敷の、耐火金庫にしまってあったものだった。屋敷は燃えたが、これらは無事だった。

 「渡せなくなったから、今、渡すのさ」

 ふたりは、目を見張った。エーリヒは、無表情ではあったが、いくばくか感傷的に告げた。

 「別れのときが来たということだよ」

 

 

 

 墓地でアンジェリカと別れたグレンは、シャインで、急ぎK05区に飛んだ。

 真砂名神社の階段下に出たグレンは、そのまま紅葉庵だった場所に飛び込んだ。大路は建設業者の人間でいっぱいだった。紅葉庵も修繕中だ。

 「ナキジン、いるか」

 「おお、グレン!」

 ナキジンが、奥から出てきた。グレンが来た用件は分かっていた。

 レオンの遺体は、あれから、紅葉庵の一室に置き去りにされていた。すぐ病院に運ぼうにも、運ぶべき病院のスタッフたちはすでに避難していたし、しかたなくナキジンたちは布団に寝かせ、線香をたいていた。

 太陽の業火で、紅葉庵は炎上した。しかし、奥の部屋に安置されていたレオンの遺体は、ほぼ損傷はなかったが――。

 ナキジンは、グレンの腕を引っ張って、奥へ連れ込んだ。

 

 「すまん」

 開口一番謝られたグレンは、勘違いをした。

 「……謝ることじゃねえ。あんたはよくしてくれた」

 紅葉庵と一緒に、レオンの遺体は燃えてしまったのだと、グレンは思った。

 「そうではねえ。あのな、――その、レオンさんか――の遺体は、宇宙船の特務機関が持っていっちまったんだ」

 「――え?」

 寝耳に水だった。

 宇宙船の特務機関?

 「あのな、ヴィアンカの特派って知っとるじゃろ――まあ、おまえさんは」

 「ああ。特別派遣役員のことだよな」

 「そうじゃ。特派は女しかなれんで、そいで、男しかなれん、なれんというか、入れん特務機関があるんじゃ。そっちはな、宇宙船の秘密警察のようなもんでな、」

 グレンは、やっとわかった。

 「特派は、特務機関の連中に、隠語で“プランナー”と呼ばれてて、特派は、特務機関のやつらを“イノセンス”と呼んどる」

 「その特務機関が、レオンの遺体を?」

 「ああ。アントニオの火が消えてな、すぐじゃ」

 大路の入り口に黒いリムジンが乗りつけられた。彼らは、問答無用でレオンの遺体を、回収して行った。

 「ほんとは、特務機関の存在は、言っちゃいかんことなんじゃ! わしから聞いたというなよ?」

 ナキジンは、あたりを気にしながら、焦り声でささやいた。

 「――ああ」

 

 レオンの遺体を、宇宙船の特務機関が持っていった。

 今のグレンには、理由が分かっていた。

ベンの顔をしたレオンに銃を突き付けられたときから、意味がわからないことだらけだったが、この一週間のうち、エーリヒとクラウドから、半分以上もにごした説明を聞いて、理解はできた。

 レオンが、ベンの姿をしていた理由――。

 あれはやはり、レオンだった。まちがいなく。

 レオンは、この宇宙船の緻密な生体認証をだます変身を遂げていた。

 たしかにレオンは一度、死んだのだ。ツヴァーリ凍原で、列車ごと爆死した。

 そして、ユージィンによって、ベンの姿に「変身」させられ、ライアンたち「アンダーカバー」のメンバーとともに、宇宙船に乗った。

 なぜベンの姿だったかといえば、オトゥールが、ベンをグレンのボディガードにつけるため、宇宙船に送り込もうとしていたことを知ったからだ。

 グレンの暗殺のためか、監視のためか、最後まで目的は分からなかったとエーリヒは言った。

 

 グレンにもわからなかった。レオンは確かにグレンに銃は向けた。殺すとも言った。だが、ほんとうにそれをしただろうか。グレンを、撃てたのだろうか。

 レオンが持つ銃の先は、震えていた。

 心情的な意味だけではない。レオンの身体は、だいぶ弱っているように、グレンには見えたからだ。はたして、引き金を引く力が残っていたのかどうか――。

 だが、すべてが過ぎ去った今では、たしかめる術もない。

 

 「……」

 あの、階段下の、シャイン・システムを出たあたりで、レオンはベンに射殺された。

 特務機関がレオンの遺体を持っていったといえば、理由はひとつ。

 ――エーリヒたちがにごした部分だ。

 一度死んだレオンを、まるきりベンそっくりによみがえらせた方法を、知るために。

 

 「ナキジン、おまえ、俺に教えてよかったのか」

 「良くないわい! じゃが、年寄りは便利なもんでな、ボケたといえば、あとはなんとかなる」

 グレンが苦笑したところで、店先に、人影があった。

 黒いスーツにフロックコート、サングラス。特徴があるようでいて、それしか記憶に残らない不気味な人物は、帽子を取ってグレンに微笑みかけた。口は笑っているが、サングラスの奥の目は、グレンを探るように見つめている。

 「グレンさんですね?」

 男は言った。

 「特務機関の者です。多少、お伺いしたいことがあります。お話を」

 「……ああ」

 心配そうな顔のナキジンに見送られながら、グレンは大路に出た。

 



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