「なんだ? 俺は、連行されるんじゃないのか」

 紅葉庵の外に、彼を連行するべき車はなかった。停まっていたのは工事用車両だけだ。

 「連行にはおよびません。われわれは、あなたに多少、お伺いしたいだけでして。――歩きながら、お話を」

 特務機関の男は、グレンとともに、大路をゆっくり歩きだした。

 「レオン・G・ドーソン――最終階級、中佐、は、ルパート・B・ケネスという名で乗船していました。あり得ないことなので、だれも気付かなかったわけですが、調査の結果、ベン・J・モーリス氏と、ルパートの生体認証は、99・99999パーセントの合致を証明しました」

 「……」

 「ベン氏の担当役員であったソフィー派遣役員に確認したところ、アンダー・カバーの降船が決まった日の前後、ですか――ベン氏が、宇宙船の乗降船許可証を紛失したとのことで、あらためて生体認証からやりなおし、許可証の再発行に至ったという報告がありました。――われわれは、おそらく、それがベンではなくルパートであったとみています」

 グレンは、黙って聞いた。

 「ルパートは、そのとき発行された許可証で、先日の混乱に乗じ、宇宙船に乗り、ベン氏を装い、あなたに接近した――そういうことでしょう」

 男は、ぴたりと止まって、グレンを見た。

 

 「“テセウス”、というものをご存じで?」

 

 「テセウス?」

 グレンは、聞き返した。男は、携帯電話のような装置を手にしていて、ボタンを押した。ピッと音が鳴り、青いランプが点滅した。

 

 「どうやら、ご存じないようですな」

 男の口もとが、ふたたび笑顔に歪んだ。

 「よろしいです。もう結構。では、快適な船旅を」

 どうあっても快適さとは無縁な男の口から、定型の挨拶が出てきて、グレンは戸惑った。取調室のようなところで、なにか知っていないか、根掘り葉掘り聞かれるものだと思っていた。

 男は一礼し、大路の外にとまっている、黒塗りのリムジンに乗り込んでいった。

 グレンは、大路の真ん中に取り残された。

 

 「グレン氏は、まったく何も知りません」

 リムジンの中では、青いライトを点滅させた小型装置を持った男が、そう報告していた。

 「クラウドも知らない。引っ張りたいのはエーリヒだが、あの男を連れて行くには、踏まなければいけない手順が多すぎる」

 「――べつの方向からたどりましょう」

 「テセウスの装置は破壊済み、資料も研究者も、すでに消滅が確認されているとなれば」

 「ほんとうに、モーム博士がテセウスを?」

 「暗殺のウワサがある」

 「第一被験者ミンシアの資料は?」

 「ありません。一人娘のシンシアも、死亡しています」

 「では、まず、第二被験者、レオンを直接殺害したベン・J・モーリスに接触を」

 リムジンは五人の正体不明の男たちを乗せたまま、K05区を走り去った。

 

 

 

 「……エーリヒ、降りちゃうの」

 「うん」

 エーリヒはあっさりといったが、ルナとミシェルの顔がみるみる、泣き顔に歪むのを見て、焦ったように――表情筋は変わらなかったが――手を組んだり、膝に置いたりした。

 「いつ降りるの」

 「来週には」

 「――そんなに早く!?」

 

 ルナたちが絶句するのも、無理もなかった。すでにルナたちに別れを告げた人間が、たくさんいたからである。

 マミカリシドラスラオネザが、明日、母星にかえる。そして、バーガスとレオナ、チロルも、メフラー商社のメンバーと一緒に帰ることが決まったばかりだった。

 エーリヒが降りるというなら、ジュリも降りるのだろう。

 

 「マタドール・カフェのミルク・セーキを飲んでから降りたかったが、そうもいかんようだ」

 マタドール・カフェの開店は、まだまだ先だ。

 「君たちに会えてよかった」

 「――!」

エーリヒの口から出た、確実な別れの言葉に、ふたりは絶句した。

「――マジで」

「マジで」

 エーリヒは、しかたなくうなずいた。

「うそでしょおおお」

ミシェルは遠慮なく泣いたが、ルナは口をとがらせたまま、うつむいていた。

 「――お別れじゃないもの」

 「ルナ」

 ルナは、エーリヒを見た。

 「これで、お別れじゃないの。だって、あたしは、宇宙船の役員になって、四年に一度の出航まえには、かならずエーリヒに会いに行くの」

 「……!」

 これには、エーリヒのほうがおどろいたようだった。彼は、ちいさく言った。

 「……それは、ずっと私の友人でいてくれるということかね?」

 「「あたりまえじゃない!!」」

 ルナとミシェルは、口をそろえた。そして、ふたりは、想像を絶するものを見た。あとで、クラウドたちに言っても、だれにも信じてもらえなかった。

 

 ――エーリヒが、微笑んだ、なんて。

 

 

 

 別れの日は、瞬く間におとずれた。

 アストロスのスペース・ステーションでは、大勢の人間が――ラグ・ヴァーダの武神と戦った仲間たちが、マミカリシドラスラオネザの見送りのために集まっていた。

 「まさか、君が船客だったなんて」

 クラウドは素直に驚きを口にした。

 「ふふ……わたしの貫録では、勘違いするのも仕方あるまい」

 マミカリシドラスラオネザとベッタラは、ラグ・ヴァーダの武神との決戦のために、ペリドットが担当役員となって招いた船客であったと、皆が知ることになったのは、すべてが終わってからだった。

 マミカリシドラスラオネザを母星L42まで送るのは、ペリドットではなく別の役員だったが、見送りにはペリドットも来ていた。戦友勢ぞろいの見送りに、マミカリシドラスラオネザは、上機嫌だった。

 

 「そなたに名を呼ばれるのも、これでしばらくないかと思うと、胸が痛い……」

 常にオーバーリアクション気味のエラドラシス最強の呪術者は、クラウドの手を離さず、涙ぐんでいた。

 「あは……じゃあ、最後にもう一回だけ」

 クラウドは、ここに来て、すでに20回以上も彼女の名を呼んでいた。「クラウドに名を呼ばれるまでは宇宙船には乗らん!」と彼女が駄々をこねたためだ。クラウドは、すでに喉もかれ塩梅だったが、心を込めて、もう一度、彼女のフルネームを呼んだ。

 五分以上の詠唱がおわると、マミカリシドラスラオネザは、頬を真っ赤にして、ようやく立った。

 「クラウドよ」

 「うん?」

 「われわれがそなたに、かなえると約束した三つの願い、決して忘れるでないぞ」

 「ああ」

 「一難あるときは、かならず私を呼べ。力になろう」

 「ありがとう」

 マミカリシドラスラオネザは、クラウドと力強く握手をした。

 

 「マミカリシドラスラオネザさん、ほんとうにありがとうございました。あなたは、わたしたち親子の恩人です」

 セシルとネイシャも、深々と頭を下げた。

 「宇宙船を守った褒美を、マーサ・ジャ・ハーナの神から頂戴したようだな」

 セシルの目がはっきりと見えるようになったことを、マミカリシドラスラオネザも知ったようだった。

 「許された生を、せいいっぱい、生きるがよい」

 マミカリシドラスラオネザは、親子を祝福するかのように、肩を抱いた。

 

 「そういえば、ルナ・D・バーントシェントと、ミシェル・B・パーカーがおらぬが……」

 二人の姿が見えないことを、マミカリシドラスラオネザは、残念がっていた。クラウドは、苦笑しつつ、言った。

 「もうすぐ来るよ――あ、来た来た」

 

 「マミカリ、」

 「しどらすらおねざさ~ん!!!」

 感涙ばかりの別れの涙のなか、気が抜けるような声。ロビーを、一生懸命走ってくるうさぎとネコのほうに、だれもが視線をやった。

 「ま、間に合った……」

 「ふひえ……」

 ミシェルも膝に手をついて息を整え、ルナは汗みずくで、マミカリシドラスラオネザに、ひと抱えもありそうな箱を突き出した。

 「はい!」

 「わたくしにか」

 「うん!」

 すでに、おつきの者は、別れの花束やら贈り物やらを、両手いっぱいに持たされている。マミカリシドラスラオネザは、ルナから直に受け取って、箱から香る、香ばしい匂いに笑みを浮かべた。

 

 「これは――エビフライではないか!」

 「エビフライの宴会をするまえに、お別れになっちゃったでしょ?」

 「覚えていてくれたのか」

 ミシェルの台詞に、マミカリシドラスラオネザは嬉しげにうなずいた。

 「ほんとは、自分たちで作りたかったんだけど、」

 「いま泊まってる場所はキッチンがなくて」

 「お願いしたら、ホテルのシェフさんがつくってくれたの」

 ルナとミシェルは、かわるがわる言った。

 いつもルナたちがつくっているエビフライとは違い、なんだか倍もありそうなエビの、豪華絢爛大迫力フライだけれども、ちゃんとタルタルソースもつけてもらった。

 

 「ありがたいことだ……!」

 マミカリシドラスラオネザは、感涙し、ふたりを抱きしめた。

 「いつかかならず、わたくしの住むラージャ村においで」

 「うん!!」

 

 何度も何度も振り返って、別れの言葉を叫ぶマミカリシドラスラオネザは、周囲に急かされるようにして、宇宙船に乗っていった。

 



*|| BACK || TOP || NEXT ||*