「別れの挨拶とはいいがたかったが、さよならは交わすことができてよかった」 「ああ」 ベンとも、いつかどこかで会えるだろうか。 「ルナちゃんは、怒るだろうなあ、君が、突然いなくなってたら」 「――ルナがわたしを必要としたなら、」 エーリヒは、間髪入れず告げた。 「すぐにかけつけよう。むろん、君もだ」 クラウドは、少し驚いた顔をし、 「エーリヒ、俺はさ、ひとつだけ、確かめたかったことがあるんだけど」 もしかしたら、ピーターは、クラウドがあんな真似をしてオルドを帰さなくても、もとから呼びもどすつもりだったのでは? 「君は、とことん、“真実”にたどりつかねば、満足しないのだな」 クラウドの言葉に、エーリヒは安易な言葉を返さなかった。彼はため息をつき、それはだいぶ良くない癖だ、とたしなめた。 「――エーリヒ」 「なんだね?」 「……アーズガルドが、L22に拠点を置きはじめたのは、俺の推測にすぎないが、ピーターの父、サイモンのあたりから、だった気がするんだが、」 「ピーターの代には、ドーソンの衰亡とともに、L22、つまり軍事惑星の玄関口は、かんぜんにアーズガルドの手中にあるね」 「――!」 ドーソン派のアーズガルドの人間が、ドーソンの監獄星おくりとともに、巻き添えを食うようにして、いっしょに流刑された。 オルドは、そのためにアーズガルドの人材が半数になり、家の力が脆弱になって、ピーターには傭兵グループと対決する器も力もないと懸念してもどった――クラウドも、オルドの、そんな心のスキを、揺さぶった。 (だが) そもそも、ドーソンがかつての罪を裁かれはじめたキッカケ――L19のロナウドの尽力と表ざたにはなっているが、あのバブロスカの本を書いたバンクスを、保護していたのは――アーズガルドだ。 エリックを牢からいち早く出し、バンクスとともに本を書ける環境を用意したのはロナウドだが、彼の晩年を看取ったのは、アーズガルド。 しかしあのバブロスカの本には、一字たりとてピーターの名は記されていない。サイモンの名も、だ。 ピーターの名は、オトゥールの影になって、いつでも表には現れない。 けれども、アーズガルドはドーソンとともにL18を拠点にしているから、L19のロナウドよりは、ずっとはやく動けるはずなのだ。 クラウドは、ララの言葉を思いだした。 『ヴォールドも周りも、ピーターが頼りないと思ってる。それがくつがえりゃ、状況も変わる。なにせアーズガルドは、存在感がないと言われながら、なんだかんだいって、三つの名家にかくれて生き残ってきた、老獪な一族だってことさ――』 アーズガルドは、半数がいなくなって脆弱になったのではなく。 ドーソンに組みする者がいなくなって、ピーターの思いどおりになるアーズガルドに作り替えられたのだとしたら。 ピーター自らが、あの状況をつくりだしたのだとしたら。 ピーターとアイゼンが、幼いころ、この宇宙船で「地獄の審判」を乗り越えたことも、クラウドの中には、ずっと引っかかっていた。 「まさか、エーリヒ」 「君の推測は、あたりだ」 エーリヒはうなずいた。 「わたしは、きっと失業後は、L22の心理作戦部に在籍することになるだろう」 ――また会おう、クラウド。 もどってきたジュリとともに、ステーションの人ごみに消えていくエーリヒを、クラウドただひとりが、見送った。 ジュリはエーリヒと腕を組み、クラウドに手を振った。 エーリヒとジュリが乗った宇宙船が出航するのを窓越しにながめ、クラウドは階段を降りた。 エーリヒが、「第二次バブロスカ革命の記録」を所持していることは、だれも知らない。 彼がそれを、アーズガルドにわたすのか、ロナウドに渡すのか、それも、クラウドは知らない。だがエーリヒに任せておけば、ほぼ間違いはない。 『わたしは、きっと失業後は、L22の心理作戦部に在籍することになるだろう』 エーリヒはそう言った。L22と言ったのだ。アーズガルドではなく。 アーズガルドの戦略下にあるL22であることはたしかだろうが、心理作戦部が、L22の軍部につくられるということか。 (L18は、どうなるっていうんだ。まさか、ほんとうに――) ララの計画が、成るというのか。 エーリヒはあのあと、クラウドに言い含めた。 「わたしは、こうなったからといって、オトゥール坊ちゃまやバラディア公にたいして、腹に一物あるというわけではない。ましてや、裏切りや敵対なんて言葉は死んでもつかってほしくはないね」 クラウドの言葉を待たず、エーリヒはつづけた。 「わたしのポリシーは一貫して変わらんよ。――心理作戦部という部署に、私情をいっさいはさまないという点では」 「……たしかに、君のポリシーは揺らがない」 クラウドもみとめた。変人ではあったが、エーリヒは心理作戦部の、人望厚き隊長だったのだ。彼の変わらない姿勢を畏敬し、部下はついてきた。 「心理作戦部の存在意義は? クラウド、心理作戦部は、本来なら、どの名家の影響も受けない中立地帯であらねばならない。軍事惑星の存続のためにね――そういう意味では、アーズガルドに籍を置くというのはもっともよい状態なのだよ。わたしは、ピーター氏を、オトゥール坊ちゃまたちほど、人間として信頼しているわけではない。けれども、彼が目指す方向は、すくなくとも、その方向と合致している」 「……」 「ピーター率いるアーズガルドが、ヤマトとつながっていることに不安を覚えるかねクラウド? ピーターは、ヤマトの言いなりではないかと?」 エーリヒは自分で言って、首を振った。 「ピーターが、ヤマトの現頭領に協力的かといえば、それはそれで、ちがうのだよ」 「――え?」 「ピーターはどちらかというと、ヤマトの現頭領の意志には沿っていない。敵対ではない、協力関係にはあるが、おたがいの意志と目的は、それぞれちがう」 「……」 「“軍部”の意志と、“傭兵”がのぞむものとは、まったく違うのだよ」 エーリヒとまったく同じことを、シグルスもかつて言った。 そのうえで、クラウドには、「中立」でいてほしいと。 ララに着くこともせず、だからといって、エーリヒの傀儡になることもなく。 すくなくとも、クラウドは自由だった。エーリヒは、ベンもクラウドも解放した。 「エーリヒ、俺は……」 「これからの軍事惑星群は、もっとも、“バランス”というものがもとめられる時期に入るだろう。揺れ動く軍事惑星のバランスをとる――軍部と、傭兵のバランスを――おそらくそれを、アーズガルドが担うのではないかと、わたしは考えている」 「……」 クラウドの迷いを見抜いたように、エーリヒは言った。 「君の居場所は、心理作戦部ではないよ――それだけは、言える」 「俺の居場所は、ミシェルのそばだ……」 「君は、この宇宙船という、大局が見える場所にいて、“真実をもたらす”べきだと思うが? 軍事惑星における、あらゆる真実をね」 クラウドは目を見開いた。 「オルドの真の“望み”を見抜いたことでさえ、オルドに対して、真実をもたらしたものだとわたしは思えるが――それとも、軍事惑星群の未来に対してかな――すくなくとも、オルドが帰ったのは、オルドの意志だ」 「……」 「人の言葉に流されるような人間は、ピーターのもとにもどったところで、なにひとつ成し遂げられはせんよ」 「もしかして、俺をなぐさめてる?」 「そう聞こえるならば、そうなのかな? ともかくもクラウド。後悔したところで、なにひとつ前に進みはしない」 (俺は、後悔していたのかな) ライアンたちとオルドを引き離したことにずっと、罪悪感を? (ルナちゃんは、宇宙船の役員になるって希望しているみたいだけど――だとしたら、ミシェルも同じことを言いだすかな) クラウドの揺らがない意志は、たったひとつ。ミシェルのそばにいること。 (だとしたら、俺の永久就職先も、この宇宙船なのかもな) |