二百話 メルヴァの血脈



 

 アントニオは、ずいぶん筆跡の乱れた手紙を、何度も読みかえした。

 (サルーディーバ、さま……)

 文面の意味を理解して、目頭が熱くなるより先に、サルーディーバが死んだという衝撃のほうが大きかった。

 (まさか、ほんとうに)

 連日のニュースは、革命家メルヴァの死と、ユージィンの死しか放送していない。サルーディーバが死んだとなれば、それこそニュースは彼の死で埋められるはずだ。

 だが、そんなことは、どのチャンネルも放送してはいない。

 先日L03に連絡を取ったときは、武神の亡骸を葬ったことしか、知らされなかった。

 

 (ウソだろ)

 ――サルーディーバは死んだ。

 ラグ・ヴァーダの武神の亡骸を、葬るために。

 その事実は、表向きには秘された。サルーディーバが死んだとなれば、王都もL03も、ますます大混乱となるからだ。

 

 アントニオは立って電話に向かい――それから、迷うように手を泳がせて、ぐしゃぐしゃと髪をかきむしり、ソファに座った。

 アントニオは、中央区役所の役員執務室となりの会議室で、この手紙を読んでいた。この手紙は速達だった。現在、居住者に配達されるべき荷物や通信は、区役所に留め置かれている。

 

 これは、L03の現職サルーディーバが、アントニオに宛てて書いた手紙だ。字も見慣れた彼のものだったし、アンスリーノは、アントニオの正式な名。それを知っているのは、彼以外にはおらず、まさしくこれは、サルーディーバ直筆の手紙だ。

ラグ・ヴァーダの武神との対決直前にしたためた、手紙であった。

 いつも静謐さしか感じさせない彼の字が、乱れに乱れ、ところどころ汚れている。血なのか、煤なのか、泥なのか。彼の部屋で書かれたものではない。王都の戦いの苛烈を、アントニオにも思い知らせた。

 

 (最後の最後で、太陽の火だけを倍加させたあの瞬間に、L03で、亡骸のかけらも燃えたって話だった)

 すべてが終わって一週間ののちに、ようやくL03と連絡が取れて、その事実を知ることができたのだ。報告は短かった。王都も混乱を極めていて、長話をする余裕はなかったのだ。

 

 アントニオには、ほとんど記憶がないが、これだけはわかる。予定より早く、太陽の神が発動してしまった――L03で、武神が復活し、暴れ出したことで、L05の神官たちは、宇宙船でおこなわれる千転回帰を待たずして、太陽の神を召喚せねばならなくなった。

 千年前、二千年前とは比べ物にならない、武神の反乱であった。

 今度は封印などではない――あとかたもなく滅ぼされる。

 そう悟り、追いつめられた武神は、力の限り暴れた。

 王都は疫病と黒煙とで、多数の死者が出た。黒煙がおおうところ、水は毒と化し、草木は枯れ、ひとびとは疫病でバタバタと倒れたという、アストロスよりひどい状況だった。

 

 手紙にあったとおり、L03の犠牲者は甚大なものだった。

 イシュマールもアントニオも、ペリドットも、思わず絶句するほどの惨状だった。

 五百名を超える神官たちは――ラグ・ヴァーダの武神の亡骸のカケラと、相討ちした。

 L05の大僧正をふくめ、神官たちは全滅――文字通り、全滅だった。L03の神官たちもほとんど倒れた。

 

 「なぜ、夜の神と月の女神の神官の力を借りなかった!!」

 激怒したイシュマールの声が、半壊状態の真砂名神社に響いたが、すべては遅かった。

 夜の神の神殿の神官、アイゼンと、月の女神の神殿のマホロは、L03に入れなかったのだ。

 L05の神官たちが王都トロヌスに到着したとたんにうごめきだした武神のカケラは、想像を絶する戦いを、彼らに強いた。

 

 L05の神官たちに遅れ、L03入りしようとしていたアイゼンたちは、L09で足止めされた。L03で尋常ならざる事態が起きたと知った――それが、五日目。彼が、もどってこないサルーディーバ専用機に見切りをつけ、私用機である宇宙船で、中継地L05にわたったのが六日目。

 そこで知ったのは、ふたりにも予想外の事態だった。

 L03では武神が暴れ出し、どの宇宙船も向かえないと言われた。

 アストロスと同じ状態だった。マクハラン少将の宇宙船が、武神の黒もやによって爆破され、海に沈んだように、L03でも同じことが起きたので、危険だと判断されたのだ。

 王都も、黒雲と疫病で、もはやだれも入れない状況であると。

 

 だが、アイゼンは、怯むことのない男である。マホロをL05に待機させ――彼女は、ずっと祈祷をつづけていた――「俺が守るから、宇宙船を出せ」と言い張ったが、おびえた操縦者たちが、出さなかった。

 今回ばかりは、タキもアイゼンを行かせなかった。

 しかたなく、L05で祈祷に入ろうとした時点で、決着がついたという報告がもたらされた。彼らがようやく王都に着いたのは、九日目。

 

 ――すべては、終わっていた。

 

 死者であふれた王都を、アイゼンとマホロが清めている。戦いで命尽きた神官たちの魂を天へ送るために。

 死者の導きをする夜の神と月の神は、まさしく、このためだけに呼ばれたようなものだった。

王都トロヌスは、けがれた地として恐れられ、原住民が寄り付かなくなったことだけは幸いだった。この混乱に乗じて攻め込まれては、一巻の終わりだった。

 

 (サルーディーバが死んだなんて)

 五百人を超えるL05の神官が倒れ、L03の神官たちも没し、ついにサルーディーバ自らが、ラグ・ヴァーダの武神を、その身と引き換えに滅ぼした。

 彼の死を隠した理由も分かる。L03の象徴となるサルーディーバが死んだことが知れ渡ったら、L03は大混乱だ。

 あとを継ぐサルーディーバの存在も、L03にないのだ。次期サルーディーバであった彼女もまた、地球行き宇宙船をまもり、力をつかい尽くした。

 

 アントニオは、まだ、真実をたしかめることはできなかった。聞くとしたら、ユハラムか、メメか。王宮に残り、サルディオーネたちの代わりに表向きを取り仕切っているのは彼らだろう。

 五度目に読み返したとき、アントニオはようやく、動揺も入り混じったぐちゃぐちゃな考えを整理し、落ち着くことができた。サルーディーバが死んだという事実以外のことが、目に入ってきた。

目頭が、熱くなった。

 サルーディーバは、アンジェリカと、彼女の姉、サルーディーバの心配ばかりしている。

 彼は、アンジェリカの腹に、アントニオの子が宿ったことを知っていた。

 (ご心配には及びませんよ――真砂名の神は、サルちゃんを見捨てたりなんかしていない)

アントニオは、いまここに、亡きサルーディーバがいたなら、安心させてやりたかった。

 彼女は、ほんとうに愛する人の子を産み、地球で、おだやかに暮らすだろう。

 (サルちゃんの新しい名前は、サルビアって言うんですよ)

 彼女が愛した男が、つけてくれた名だ。

 アントニオはひとり、中央区役所の会議室で、冥福を祈った。

 手紙には、アンジェリカと彼女の姉にだけ、とあったが、サルビアに、現職サルーディーバの死を告げる気はなかった。この手紙は、アンジェリカにだけ見せるつもりだ。

 

 「アントニオさん、L03の王都から、直通の電話です」

 ティッシュで鼻をかんでいたアントニオに、役員が、子機を持ってきた。

 「――ありがとう」

自分から電話をする前に、あちらからくれたようだ。アントニオは、電話を受け取った。

 「はい」

 『アントニオさまですか――ユハラムです』

 「ユハラムさん、」

 アントニオは、一瞬、言葉を詰まらせた。

 『お手紙は、読んでいただけましたか』

 「ええ。今朝、こちらへ着いたんです」

 『そうでしたか……』

 ユハラムは息をつめ、ひとつ、深呼吸をした。

 『その手紙の内容は、ほんとうです。わたしが、お送りしたのです』

 手紙を託されたのは、ユハラムだったか。

『どうか、秘匿してください。話すのは、アンジェリカと、サルーディーバ様だけに――ですが、わたしの気持ちでは、サルーディーバ様にはお話しせず、メリッサとアンジェリカさまに留めておいたほうがいいと思います』

 「俺も実は、そう思いました」

 アントニオは、メリッサとアンジェリカ、ふたりだけに告げるつもりだった。本来なら、アンジェリカにも告げたくはない。だが、そうするよりほか、なかった。なぜなら、ZOOの支配者であるペリドットとアンジェリカは、だまっていても、ZOOカードでそれを知ってしまうからだ。

 『よかった。では、そうなさってください。……サルーディーバ様は、ラグ・ヴァーダの武神のカケラと、ともに逝かれました。骨ひとつ残さず――炎上された。見事な、ご最期であったと――』

 ユハラムは、声を詰まらせながら、サルーディーバの最期を語った。

 

 



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