アンジェリカは、エリアE002で、E353行きの宇宙船を待っていた。

 人ごみのロビーで、行きかう人々をながめていた。

 アンジェリカたちのように、アストロスからL系惑星群にむかう人間は、ごく少数だ。アストロスから他星に避難していた者たちがもどりはじめているのか、アンジェリカたちと反対側の通路は、大層なひとごみだった。

 メリッサは、携帯電話が鳴ったので、ひとが少ない場所へ移動した。うるさくて、電話の声が聞き取れないのだ。

 ひとり待合室にのこされたアンジェリカは、混みあう通路をながめながら、ぼやいた。

 

 「……ルナとミシェルに、挨拶ぐらい、してくればよかったかな」

 

 アンジェリカは、だれにも告げずに発ったのだった。理由は単純だ。おおげさに見送られるのは嫌だった。それに、ルナとミシェルはこの先もつきあいは続く。電話だけになってしまうだろうが、ルナにZOOカードを教えるのはアンジェリカの役目だし、これからも、ふたりの声は頻繁に聞けるだろう。

 

 「……」

 メルヴァの死は尾を引いている。正直、妊娠が分かったことも、素直に喜べない。だが、気分が落ち着くまでと、宇宙船に残ることもできなかった。

 

 生涯、サルーディーバにつかえると誓ったゆえに授けられた、「ZOOカード」の占術。

 姉がサルーディーバでなくなった今、現職サルーディーバのもとへもどるしかなく、アンジェリカは、いつ「ZOOカード」がつかえなくなってしまうかと、戦々恐々としていた。

 しかし、彼女が、鬼気迫る思いで膝に抱えた化粧箱は、まだ紫色の光をやどしている。

 

 「もうすこし、落ち着いてから発て」といったペリドットの言葉も、「もう少し待ってよ――せめて、一ヶ月」と泣きそうな顔で言ったアントニオもふりきって、出てきてしまった。

 アンジェリカだって、降りたくて降りるわけではない。

 けれども、降りなくてはならないのだ。ZOOカードのために。

 心の中は、不安と心配でいっぱいだ。

 たったひとりで子どもを産んで、育てていけるのか。

 もちろん、あちらにはユハラムもいるけれども、無事にL03にたどり着けるかさえもさだかではない。

 L03でラグ・ヴァーダの武神の亡骸は滅びたという話だが、王都は惨憺たる状況だと聞いた。

 数ヶ月、宇宙船を乗り継いで旅して――L03につくころは、臨月ちかい。

 場合によっては、L05の両親のもとで産んだ方がいいとメリッサは言ったが、とにかくアンジェリカには、「ZOOカード」の存在が第一だ。

 どんな状況下であれ、サルーディーバのそばにいなくてはならない。

 

 それに、グレンにサルーディーバを託してきたけれども、あの姉が、グレンに「いっしょに暮らそう」といわれて、素直にうなずくわけがない。そのあたりを、ちゃんとルナやミシェルにお願いしておくべきだったと思ったし、万が一、それを断ったところで、サルーディーバがひとりで暮らすのは、まだまだ無理だった。

 アンジェリカと同じく、サルーディーバも、メルヴァやシェハたちの死を悼み、その悲しみはふかく尾を引いている。

 そのサルーディーバを、ルナたちとの同居――ルナだけならいい。グレンもいる屋敷のルーム・シェアに持っていくのは、かなりたいへんな作業であることは、アンジェリカも分かっていた。

 

 (冷静にいって、姉さんは、めんどくさい女の極致だと思う)

 

 いくらグレンでも、匙を投げるのではないか。アンジェリカは考えていた。あの姉と、ルーム・シェアするのは難しい。世間知らずの極致と言っていい――一般人とは感覚がズレているし、掃除しかできないあの姉と。

 「だいじょうぶかなあ……まあ、姉さんが屋敷で暮らせなくても、アントニオもミヒャエルもいるけど、」

 アンジェリカの取り越し苦労を、ルナたち屋敷のメンバーが聞いたなら、即座に否定しただろう。とにかく、あの屋敷はカオス屋敷なのだ。いまさらサルーディーバひとり加わったところで、たいした事態ではない。

 

「……やっぱり、姉さんがルナたちのお屋敷に入るのを見届けてから、発つべきだったかなあ……」

 

 地球行き宇宙船の街並みは、まだもと通りにはなっていない。やっと、出入りは自由になったが、ルナたちの屋敷は、地球行き宇宙船の出航ギリギリにならないと、完成しない。ララがそう言っていた。

 「そんなに待てないよ……」

 アンジェリカは顔を覆った。帰り道だけでも数ヶ月。そのあいだ、いつ、サルーディーバから離れていることによって、ZOOカードがなくなってしまうか。

 それだけが気がかりでならなかった。

 

 「それに――」

さみしいな、という言葉を、アンジェリカはいっしょうけんめい飲み込んだ。

ルナとミシェルとも、連絡は取りあえる。取り合えるけれど――。

 

 もっと、ルナと行きたいお店があった。ミシェルといっしょに、春の川原で、絵を描いてみたかった。ルナのお弁当が食べたかった。バーベキュー・パーティーに参加したかった。アストロスにいるあいだ、カフェでお茶くらいしてくればよかったかもしれない。

 ルナがサルディオーネになるのを、そばで見届けたかった。ミシェルとクラウドの結婚式に出たかった。ルナとアズラエルの――。

 

 (地球に、行きたかった、なあ……)

 

 ルナとミシェルと、“地球の涙”を見たかった。

 

 アンジェリカは、猛然と、未練を振り切るように首を振った。

 「なにバカなこと考えてんの! あたしは!」

 これから、L03を、サルーディーバを、なんとかして支えていかなければならない。アンジェリカの肩には、メルヴァやシェハザール、そしてツァオたち――ラグ・ヴァーダの武神との戦いがなかったなら、近代化に力をつくしていたはずの仲間たちの思いが懸かっているのだ。

 「――そんなことばっかり、考えてる場合じゃ、」

 

 アンジェリカがひとりで騒いでいると、メリッサが、息を切らせながらもどってきた。

 「アンジェリカさま!」

 「どうしたの?」

 メリッサは、まさに血相を変えていた。

 「地球行き宇宙船にもどりましょう――いいえ、もどれとの、アントニオさまのご命令です」

 「命令?」

 アンジェリカの顔色からも血の気が引いた。

 「姉さんに、なにかあった?」

 

 メリッサは、アンジェリカが妊娠していることを思い出した。

 「ああ――いいえ、ちがいます」

ようやく自分の気をしずめた。

「悪い連絡ではないんです、むしろ、――いい連絡ですよ」

そして、彼女の隣に座って、肩を撫でさすって安心させた。

 「サルーディーバさま、いいえ、サルビアさまのことではありません。アンジェリカさまは、アントニオさまから直接お聞きして。とにかく、あなたは、L03にもどらなくて良くなったのです」

 「え?」

 「これだけは言えます。あなたがL03にもどらなくても、ZOOカードはなくなりません」

 アンジェリカは、目を見開いた。

 「どういうこと――?」

 

 



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