まさか、ルナがフライヤの手を取って、逃亡するとは思わなかった。だがだれも、止めようとはしなかった。彼らにはすっかりわかっている。ルナが突拍子もない行動をするときは、ルナではない「なにか」が動いているのだ。 ルナとフライヤが消えたリビングで、スタークはようやく羽を伸ばしたように、ソファにふんぞり返って、紅茶を三杯と、マフィンを立てつづけに五つ、食らった。 「ったくもうサンディのヤツ、頭かてェったらねえよ!」 最終的にはずっと失神してたくせに――スタークがぶつくさ言うのに、グレンが笑った。 「サスペンサー大佐の後任として気を張ってるんだろ。おまえみてえな奴がフライヤに着いてるんだったら、引き締める奴が必要だ」 「おまえみてえなヤツとは、言ってくれるよな……」 スタークは肩を落とした。グレンの言葉に落ち込んだわけではない。そんな繊細な神経は持ち合わせていない。 サスペンサー大佐のことを思い出しただけだった。 「ダメだったのか」 「ああ――」 スタークは、サスペンサーの遺体が回収されたあと、会いに行ってきた。サスペンサー隊の全滅が報告されたのは、いつだったか。スタークたち傭兵出身の特殊部隊を買ってくれた、数少ない貴族軍人だった。 スタークは、彼女の部隊に従軍することが多かった。長い付き合いだった。 「――そうか、残念だったな」 グレンの言葉に、顔を上げた。 「ってか、知ってんの」 「ああ。俺は、アイツの部隊と合同で戦争に出たことがある」 「マジで!?」 「惜しい奴を、なくした」 グレンの言葉は、静かではあったが、ほんとうに彼女の死を悼んでいた。 「……」 スタークは、グレンを見つめた。 「今夜発っちまうよ? 会いに行く?」 「許されるならな」 「ドーソンだって名乗らねえで、――たぶん、地球行き宇宙船の特殊部隊だっていえば、今は問答無用で通してくれるよ。夜10時、出発ギリギリならごまかせる。その時間に、ケンタウルのスペース・ステーションに来な」 俺が、連れて行くよ。 スタークはそう、約束した。 「ところでおまえ、マルコとはどうなった」 兄の言葉に、スタークが、ものすごい顔をした。歯をむき出すというか――とにかく、すごいとしか言えない顔をした。 「俺はぜったい、L02になんか行かねえ! マルコの嫁になんかなるかよ!!」 軍人をやめる気なんかねえぞ――唸るスタークの歯茎に向かって、ミシェルが言った。 「でも、ルナは、ぜったいスタークさんとマルコっていう人は結婚するって言ってたわよ?」 「へ?」 どうしてルナちゃんが、と言いかけたスタークに、ミシェルは畳みかけた。 「これぜんぶルナが言ってたことだからね?」 と言い置いて。 「スタークさんが傭兵じゃなくて、L20で軍人を志したのは、のんびり安定した生活がしたいから」 スタークは紅茶を噴いた。 「それはあってるよな」 アズラエルはうなずいた。 「ほんとは、庶務部みたいなところで呑気な生活したかったけど、特殊部隊なんかに回されちゃって、忙しいわ、傭兵と変わらない仕事だわで、じつは不満タラタラ」 「……ルナちゃんは、何者ですか」 スタークは震えながら自分を抱きしめた。 「でも、スタークさんはあのアダムさんにアズラエルと、強いうえにけっこうなイケメンに囲まれて育ったし、彼らを超える男性はいないと思っているから、男には興味がない――」 「怖い!」 「マルコさんのところで専業主婦――父と兄よりつよいイケメンの旦那様持って、スタークさんが望んでいた、安定してのんびりした生活ができるけど、いかがですかって」 「ルナちゃん、じつはマルコに買収されてんじゃねえのか!?」 スタークの絶叫が、響いた。 そのころ、ルナはフライヤを連れて、「メルーヴァ姫」の部屋まで来ていた。 「ここ! ここがメルーヴァ姫のお部屋です!!」 「うわあぁ……!!」 フライヤの感激と言ったらなかった。彼女は、目を潤ませ、両手を組んで、おそるおそる部屋に入った。 「しんじられない――これがメルーヴァ姫の部屋! ウソでしょ、入れるなんて――」 「家具とか、なくなっちゃってるけどね」 「だって、このお城が観光できる期間でも、メルーヴァ姫のお部屋と、女王の間は立ち入り禁止だって聞きました!」 「すごい! なんで知ってるの」 「パンフレットは、丸暗記するぐらい読みました!」 「……!」 「アストロスの史記もほんと魅力的です! うわあーっ、わあ……! この部屋で、メルーヴァ姫様は暮らしてたんですね……!!」 フライヤの顔はこれでもかと紅潮し、興奮気味に部屋に佇んだ。 オタクを舐めるなといわんばかりに、フライヤの口からメルーヴァ姫に関する伝承がつぎつぎ飛び出て、ルナはぽっかり、口を開けて三十分、話を聞いた。はっとしたフライヤがあわてて、やめるまで。 「す、すみません――つい、わたし、夢中になっちゃって、」 いつもなんです、としょげ返るフライヤに、ルナも言った。 「あたしの話も、いっつもカオスってゆわれます」 「カ、カオス?」 「うん。カオス」 ルナは「うんしょ」と踏ん張って、ベランダの窓を開けようとした。この窓は、さび付いていて、なかなか開かないのだ。フライヤが後ろからやってきて、あっさり、窓を開けてくれた。 「すごい!」 「これでも、軍人ですから」 フライヤは、ルナより小柄だけれども、力は強かった。 「素敵な景色――!!」 ベランダから見渡せる、クルクスの街並みと、ジュエルス海、広大な、アストロスの大地――。 ほぼひと月前まで、この地で想像を絶する戦いがあったなどとは、信じられないおだやかさだった。 ルナは、ポケットから、マフィンを二つ、取りだした。そして、さっき来る途中に買ってきた、あたたかい紅茶も。 「お茶しましょ♪」 ルナとフライヤは、ベランダから足を投げ出して、アストロスを見下ろした。ふたりですこしずつマフィンを食べ、甘い紅茶を飲んだ。 フライヤは、景色を見ては、ルナを見た。でも、言葉を紡ごうとしては、押し黙る。彼女は、なにか言いたいことがあるようなのだが――ずっと、この調子だった。 メルヴァの遺体を引き取りに来たときも、ルナになにか言いたくて、何度も振り返り、結局呼ばれて、去っていった。 「あの――」 なかなか話が進まないので、ルナのほうから、声をかけた。 「は、はい!」 景色を見下ろしていたフライヤは、あわててルナのほうを向いた。 「あたし、すごく、あの、うまくいえないけど、軍隊の親玉さんが、あなたでよかったです」 「(親玉……)えっと、」 「あたし、メルヴァは、すぐ連れて行かれちゃうと思ったから」 「――!!」 フライヤは、なんとなく、決戦直後にアストロスをつつんだ霧の意味が、分かった気がした。あれは、“逢瀬の霧”と呼ばれるものだった。 そう――フライヤでさえ、にわかには信じがたかった。 メリッサや、天使、アノール族たちが「メルーヴァ姫」と呼んでいた女性は、フライヤの目の前にいる、この栗色の髪の、自分とほぼ年齢も変わらない女性なのだ。 しかし、フライヤは会って分かった。 なぜと言われても答えかねた。 たしかに、この人は、メルーヴァ姫なのだ。 |