二百一話 ナグザ・ロッサにて



 

「サルーディーバ――えっと、サルビアさん! 貸してくれたからって、素直に着ること、ないのよ!?」

「そうです! せめて、それはやめるのです!!」

ミシェルとルナは止めたが、サルビアは平然と着ていた――グレンから借りた、漢字Tシャツを。彼女は、表に豚骨――裏には、一石二鳥と書かれた真っ赤なTシャツを着、下はグレンのスウェットを借りていた。むろんぶかぶかゆるゆるであり――なんと彼女はバスタオルで腰まきをつくり、ズボンが落ちるのを止めていた。

うしろでグレンが噴き出すのをこらえている顔を見て二人は悟った。

わざとだ。

ルナとミシェルは、断固として着替えさせるべきだと思った。

かつてサルーディーバとしてL03を睥睨し、生き神と畏れ敬われていたひとが、「豚骨」。

それは、いただけない。

 

「わたくし、贅沢はしないと決めましたの」

さわやかに微笑むサルビアだったが、服装はさわやかではなかった。

「そうだ。贅沢は言うな」

焼け残った、最後の一枚だぞというグレンに、「一枚も残さず滅びればよかったのに」と言ったミシェルの襟首は、グレンがつかまえた。

「もういっぺん言ってみろ、ミシェル」

「贅沢というかそれ以前の問題であって!!」

ルナはグレンに抗議したが、さいわいなことに、サルビアの豚骨人生は五分で終わった。

 

「じゃ、行ってくるね」

ルナとミシェルが豚骨についてぶつぶつ言っているうちに、セルゲイがドアから出て行こうとしていたからである。

「どこ!」

「どこ行くの」

部屋に閉じこもりっぱなしでストレスマックスのうさぎとネコは、たちどころにセルゲイに飛びついた。

「おおっと!」

セルゲイは前につんのめりそうになった。

「昨夜言ったはずだけど……ナグザ・ロッサ海域を見てくるって」

「ナグザ・ロッサ?」

ナグザ・ロッサ海域は、ケンタウルの南から、サザンクロスにかかる西側の海域の名称だ。クルクスからはかなり遠い。飛行機をつかっても、往復の航路だけで二日はかかるだろう。

 

「シグルスさんに電話したら、屋敷が出来上がるのはほんとに出航ギリギリだってことで――ちょっと、行ってくるよ」

 この数日間、彼は行こうか行くまいか、ずいぶん悩んでいたのだが、決行することに決めたのだ。

セルゲイは、このツアーが終わったのちは、カレンのもとへ帰る。役員にはならない。となると、よほどのことがなければ、ふたたびアストロスに来ることはないだろう。

二度と来ることはないアストロス。いま行かねば、次はないのだ。

 

ミシェルが、あわてて叫んだ。

「あたしも行く! ダメ?」

「いいけど――じゃあ、クラウドも行くの」

「ミシェルが行くなら、行こうかな」

「俺もヒマだから行く。おまえも行くか、サルビア」

 グレンまで、行く姿勢を見せた。

「え――え? わ、わたくしも?」

ミシェルはふたたびサルビアのTシャツを見――それから、ルームサービスの電話へ走った。女性ものの服をひとそろえ、用意してもらうために。

 

「アズも行くってゆったら、噛んでやるから!!」

ひとり行けないルナは、歯をむき出したが、アズラエルは「おお、怖ェ」といって肩をすくめただけだった。

「ペリドットの話じゃ、昨日のフライヤとサルビアで最後だ。もう訪問客はいねえって話だったが?」

「へっ?」

「ひととおり、みんなに会ったよね」

クラウドもうなずいた。

「つまり、おまえも行けるってことだ」

アズラエルがルナの頭を撫でると、ルナのうさ耳がうれしそうに立った。

「行く! 行く行く――あたしも行く!!」

 

アストロスに来て、はじめて観光らしき観光をすることになった。この一ヶ月の間、城の中は、マイホームかと思うくらい知らないところはないまでに、探検しつくしたルナだったが――もっとも、ここは三千年前、ルナのマイホームであった――クルクスの街もまともに回れなかったルナは、外に出られることを、ずいぶんはしゃいでいた。

 

「よう、ほんとに期待を裏切らねえお嬢さんだ」

グレンは爆笑をこらえたが、ダメだった。彼は今度こそ、吹きだしてしまった。

ルームサービスによって届けられたサルビアの衣装は、ひざ丈の、金の刺繍が入ったベージュのワンピースで、品のいいグレーのコートとスカーフ、あまりヒールの高くない、オープントゥの靴――セレブのお嬢様を彷彿とさせるひとそろえだったが、着こなしがまずかった。

サルビアは見事――ファスナー側をまえにして着、皆のまえに現れた。

「着苦しくねえのか? それで?」

「――着方が、わからないのです」

サルビアは困り顔で言った。すべての品物は、届けられるまえにタグを取ってもらっていたことだけが幸いだった。彼女はスカーフもコートも、途方に暮れたように、手にしたままだった。ルナとミシェルは顔を見合わせ、奥の寝室へサルビアを連れて行った。

 

「ジュリやエレナとは違うタイプの“まっさら”ってヤツだな」

グレンがおかしげに笑った。

「昨夜も興味深かったね」

クラウドも言った。

昨夜、皆で夕食を取ったときも、サルビアは食べられないものだらけで大変だったのだ。

「宗教的には特に制限がないみたいだけど、肉類はあまり食べないのかな――ハンバーグは見ただけで敬遠してたね、でも、添え物の野菜は美味しそうに食べてた。デミグラスソースは嫌いじゃない。シーフード・ピザはOK。サラミ・ピザはダメ。パンはあまり好きじゃない。ごはんも少し――パスタは首をかしげてた。うどんは好きだけど、揚げや天かすがのっていると食べない。カルパッチョはふつうに食べてた。フルーツ全般はだいじょうぶ、ミルクは飲まない。だけどミルクが入った紅茶は好き」

「だいたい、食わず嫌いだろ」

サラミはダメなくせに、グレンが切りわけたチョリソは、辛いと言いながらも美味しそうに食べていたのである。

「ピザは初めて食べたけど美味しいって言ってたしね。アレルギーはなし。問題は少なそうだ」

「ウチじゃ、食わず嫌いは許さねえぞ」

ほんとうに食えねえなら、別だが――アズラエルは言った。

「だいじょうぶじゃない? とりあえず、勧められたものは、恐々でも、口に入れていたし」

セルゲイも笑った。

すくなくとも、彼らの中で、これからサルビアと暮らす用意はできていたわけである。

やがて、ファスナー側を背に、スカーフを上品に巻き付け、コートを着たサルビアがお目見えした。グレンはようやく言った。

「似合ってるぜ」

サルビアは、頬を赤らめた。

 

ナグザ・ロッサ海域に面するケンタウル・シティの南、マーシャルまでの航空チケットは、ホテルで手配してくれた。そちらで一泊するロイヤル・ホテルの予約も。

「なにからなにまで、すみません」

セルゲイは、礼を言った。そもそも、マーシャルに行くのは仕事でもなんでもないのだが、ザボンはセルゲイからも、だれからも、金を受け取らない。

「クルクスもアストロスも、皆さまに救われたのですよ。すこしはご恩返しをさせてください」

一ヶ月の滞在費だって、バカにならないはずである。セルゲイたちは固辞したが、ザボンも、どこまでも受け取らなかった――根負けしたのは、セルゲイたちだった。

 

二泊三日ほどの旅行なので、荷物はさほど多くはない。せっかくの観光でもあるし、皆はリムジンを断って、城からクルクスの入り口まで、街並みを眺めながら歩いた。けっこうな距離ではあったので、途中でタクシーをつかったが、ろくに外に出られなかったルナはうれしげだったし、サルビアも、商店街のめずらしい品物に、釘づけだった。

履きなれない靴に靴擦れをつくったらしいサルビアが、何度も歩みを止めるようになったところで、タクシーをつかった。目的地はケンタウルの南港マーシャルだ。ここでのんびりしているわけにはいかない。

ラグ・ヴァーダの武神に浸食された街の入り口と、武神像の足元は、すっかりもとどおりになっていた。

街の外に出ると、ジュエルス海沿岸に、観光用の大型クルーザーが数隻、停泊していた。ルナたちは、クルーザーに乗ってジュエルス海を渡ることにした。

ほかの観光客に混じって、船に乗った。船内には入らず、甲板の席に座った。ひとはまばらだったが、ルナたちが乗って間もなく、船は出発した。

 



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