「セルゲイ、どうしてナグザ・ロッサ海域なの?」

ミシェルが、海風にあおられながらセルゲイに聞いた。

ずいぶんマイナーである。ミシェルは、さっき地図を見せられて、そんな海域があることを知ったのだ。ナグザ・ロッサ海域というのも、ケンタウルの南から、サザンクロスにかけての海域をざっくり、その名称で呼んでいるのであって、地名ではなかった。海域に面する港町マーシャルも、観光パンフレットにはのっていない。

観光だったら、ケンタウル・シティの中央とか、ジュセ大陸のメンケントとか、いろいろあるのに。

 

「ちょっと、気になることがあって」

存外強い風が、目を刺す。セルゲイはサングラスをかけた。

「ナグザ・ロッサ海域は、カレンが――ええっと、ミカレンが、沈没したところで、しゅ」

ルナが、風に吹き飛ばされそうになりながら、自分のバッグから日記帳を――小花柄のほうを取り出して、叫んでいた。

 

「そう。そうなんだ」

セルゲイはうなずいた。これで皆はわかった。セルゲイは、カレンの前世であるミカレンが、最期に沈んだ海域を見に行こうとしているのか。

「それもあるけど、ホントの目的は、ちがうんだ。まあ――行ってみないと分からない」

セルゲイは、このジュエルス海を渡ってクルクスに入ったときから、ずっと気になっていたことがあったという。

 

ジュエルス海をわたってケンタウル・シティへ入り、沿岸の街から、電車でケンタウル中央の街オルボブへ。アストロス最大の都市である。そこから、飛行機で、ケンタウルの南町、マーシャルへ。

昼食は、電車の中で売っていたサンドイッチで済ませた。サルビアはサンドイッチからハムを抜こうとして、「食ってみろ。食えなかったら、俺が食うから」とグレンに言われて、恐る恐る口にした。そして、笑顔になった。

サルビアは、昨夜まで不安定で、今日もずっと――おどろくほど無口だったのだが、彼女は落ち込んでいるわけでも、不安がっているわけでも、不機嫌なわけでもなかった。

彼女は、見たことのない景色に、ただただ、夢中だったのである。

サルビアの心は、つぎつぎに変わる景色、めずらしい世界に、晴れ渡った青空のように澄んできた。

 

「ひとりで、とは到底申せませんけれども」

サルビアは、あたたかいミルクティーを手に、つぶやいた。

「おつきの者もおらず、こんなふうに、自分でお財布を持って、食べ物を買って、荷物を持って、旅行をしているなんて――行き先は自由で――なんて、素敵なのでしょう」

「そうだな」

グレンは、いつもなら、一緒に歩いている女の財布を、バッグから取り出すことさえさせないが、今日はだまって、サルビアが財布を出すのを見ていた。間違った紙幣と硬貨を出さないようにだけ気を付けて。

彼女が買い物をしたがっているのに、気づいたからだった。

 そば仕えの者が勝手にサルビアの好みを選んで買い与えるのでなく――サンドイッチを自分で選んで買えたことが、これ以上もなく嬉しいのだと、サルビアは言った。

そもそも、買い食い自体が、サルビアの人生で、ほぼ二度目だ。船内で、ごくたまに、アンジェリカと「料亭まさな」などで食事をすることはあっても、いつでもサルビアは、アンジェリカに任せていた。というよりも、アンジェリカが率先して動いていた。

それが、いままでは普通だった。アンジェリカもやはり、サルビアを姉としてより、サルーディーバとして仕えていた期間のほうが長かったのだから、しかたがなかった。

 

「これが、わたくしのお財布なのです」

「キレイなお財布!」

ルナとミシェルは、歓声を上げた。

財布というよりかは、横長のポーチのようだった。美しい刺繍が縫い込まれた、光る布をつかっている。L03のある地方の伝統工芸だった。

「メリッサと一緒に買ってまいりましたの。宇宙船に乗ってすぐのことでしたかしら――でも、つかったのは、昨日が初めて」

サルビアが口元をほころばせて言うのを、ルナもミシェルも、サンドイッチをもふりながら聞いた。

「ひとりで、メンケント・シティから飛行機で、ガクルックスまで出て、バスで、クルクスまで参りました。緊張しましたけれど、ひとりで来れたのです。ヒュピテムの病室も、ご親切に、看護師さんが教えてくださいまして――」

なにもかも、はじめてのことだらけ。

サルビアは、煌びやかな財布を、愛おしそうに見つめた。

 

飛行機は、港町マーシャルの空港に降り立った。このあたりは気候がだいぶ違い――皆がコートを脱がざるを得なくなった。半袖でもいいくらいの暑さだった。

「だから、最初からTシャツを着ろと――」

そういうグレンは、七分袖の白シャツにスラックス、革靴にバカ高い腕時計で、どこからどう見てもセレブのお兄ちゃんだった。左右の耳の、多すぎるピアスをのぞけば。

「あれは滅亡するのです」

ルナは断固として言い、グレンにうさ耳をつまみあげられた。

漢字Tシャツは、そもそもが、ナンパよけに着はじめたものだった。ルシアンでバイトしていたころ、「イケてる」と評判だったグレンは、よくナンパされて仕事にならないこともあった。だから、わざと声をかけられなさそうな格好をしはじめたわけだが――K37区では逆効果だった。

「漢字Tシャツのイケてるお兄さん」となって、さらにピンポイントで有名になっただけだった。

「あの衣装は、なにがよろしくないのです?」

真顔で聞いたサルビアの肩を、ミシェルはがっしりとつかんだ。

「まず、サルビアさんは、ファッションを一から学ぼう!!」

「はい」

学ぶ、という言葉に非常に敏感に反応するサルビアである。彼女は真剣な顔でうなずいた。

 

マーシャルの空港は、ケンタウルの中央オルボブほどとは言わないが、そこそこ近代都市だった。空港があるだけはある。そして、肉眼で海が見えるほど、空港は、港に近かった。南国を思わせる木々がならんでいて、クルクスとは全く違う気候であることを、皆に教えた。

「ちょ、服屋さんがある! 見ていい? お願い、三十分だけ!!」

ファッションビルにつながるアーケードまえで、ミシェルが両手を合わせた。

なにせ、ルナもミシェルも、服のほとんどが燃えてしまったのだ。クルクスで売っている服は、アストロスの民族衣装らしきものか、ブランド品。ホテルのショッピングセンターも、ブランドものばかり――サルビアが着ているような、まさにセレブのご令嬢といった服ばかりなので、ミシェルもルナも、困っていた。彼女たちはこの一ヶ月、決戦前にトランクに詰めて持ち出した服だけで生活していた。

 

「いいよ。だいじょうぶ、時間は余裕があるから」

セルゲイは承諾した。時刻は午後四時。まだだいぶ明るかった。日没は、午後七時半だというし、海は歩いていける距離にある。

「ホテル、ここからタクシーで五分だったか?」

「先にチェックインしてくる?」

「そうするか。――じゃあ、俺とクラウドで行ってくる」

アズラエルとクラウドが、予約していたロイヤル・ホテルに、手荷物を預けるために出発した。

「女の子は、ショッピングとなると、急にいきいきするよね」

「そうだな」

目を輝かせて、店をはしごするミシェルとルナを、セルゲイとグレンは見つめた。サルビアも、あちこち引っ張られながら目を白黒させているが、とても楽しそうだった。

 

「――ね。これ、お揃いで買っちゃわない」

 ルナとミシェルは、雑貨店で、エプロンを手にしていた――けっこうな厚手の生地で、ポケットがたくさんついていて、とくに正面のポケットはとても大きかった。ガーデニング作業用のエプロンだったが、デザインが可愛かったので、ルナは手に取って見ていた。すると、ミシェルも同時に、色違いを手に取ったのだ。

 「作業用のエプロンが、焼けちゃったのよね」

 「あたしも、おうちに置いてきたエプロン、ぜんぶ焼けちゃったよ」

 ミシェルは、油絵を描くときに着けていたエプロンがなくなり、ルナも、料理に掃除にと、家事をするときのエプロンが全滅だ。

 「まあ――お掃除するときに、よさそうですわね」

 ミシェルが黒、ルナがデニム地の青を取っていたのだが、サルビアがベージュ色を手にした。

 そこで、ミシェルの、その言葉が出たのだった。

 

 「お揃いですか――わたくし、一度、おそろいというものをやってみかったのですわ!」

 サルビアは大喜びで賛成した。

 三人は、それぞれ気に入ったカラーをレジに持っていった。サルビアは、自分用にベージュのものと、アンジェリカ用に、茶色のそれを――。

 三人がホクホク顔で、紙袋を下げて、なかよく店から出てきたのを見て、セルゲイとグレンは、

 「え? エプロン? 服は?」

 と思わず聞いたのだった。

 



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