「女王としても、ラグ・ヴァーダの武神をアストロスに押し付けてしまった手前――あずからないわけにはいかなかった。でも、預かったとしても、どうせ次は、地球軍がラグ・ヴァーダを支配しにやってくる。同じこと。でも、赤ちゃんに罪はないわけね。それに、メルーヴァ姫の想いも分かっていた。三つ星をつなぐ絆として、この赤ちゃんの血族は存在する」 ミシェルは、思いつめるような顔をした。そのときのラグ・ヴァーダの女王の気持ちを、なぞっているようだった。 「メルーヴァ姫は、知らなかったとはいえ、よりによって、ラグ・ヴァーダの武神とのあいだに子を産まなくたって――とは、思ったと思うよ? ラグ・ヴァーダの武神と、シンドラの子がアノール族で、でもアノール族は、ラグ・ヴァーダの武神を祖とはしていなくて、シンドラとアリタヤを祖としているわけよね? そいで、イシュメルも同じ、三つ星をつなぐ絆としての存在を前面に出して、ラグ・ヴァーダの武神という存在は消したかった」 うんうん、と彼女は確認するようにうなずきながら話した。 「とにかく、女王はラグ・ヴァーダの武神に相当の恨みを持ってた――地球軍が支配しにやってくるのも、すごく嫌だった――あたりまえだけど。それなのに、ラグ・ヴァーダの武神の子を連れてきた地球軍の男に、“ご褒美”をやるなんて、おかしいと思ったの」 「――ご褒美」 ドーソン一族の、三千年の繁栄のことか? 「ああいう伝承って、すごい略されてるから、女王がドーソンに、三千年の繁栄を約束したって書いてあるけど、そうじゃないんじゃないかな?」 「ちがうって、いうこと?」 クラウドが聞いた。ミシェルは首をかしげた。 「う~ん、ちがうっていうか……。もっと複雑なやりとりがあったの。地球軍の男も、これから自分の軍が支配しに行く土地に、赤ちゃんを預けに来たわけ。共存しましょうって来るんじゃない。支配しますよって最初に宣言してるわけ。ようするに、敵地よね? 自分が殺されたって文句は言えないところに来たわけよ」 「それはまあ――おまえの言う通りだろうな」 アズラエルもうなずいた。ミシェルはさらに、衝撃的なことを口にした。 「女王は、下手をしたら、“イシュメル”を殺すことも考えていた」 「――!?」 ルナたちが顔色を変えたのに、ミシェルは仕方なさそうに言った。 「だって、何度も言うけど、あのラグ・ヴァーダの武神の子なのよ? 武神に恨みを持っている人間は、ほんとうにたくさんいたの。それに、悪いけどイシュメルは、地球との駆け引き材料だった。だって、ラグ・ヴァーダがいったいどうなるか、あの時点では分からなかった。最初、地球軍は、アストロスを壊滅させようとしたんだよね?」 「……」 「おまけに、イシュメルを生かすとなれば――女王は、地球軍だけでなく、武神に恨みを持つたくさんの住民からも、イシュメルを守らなければならなかった」 そこで、ミシェルは深く嘆息した。 「ドーソンの男は、自分とイシュメルの命乞いをしたわ。彼は――彼はそう、セルゲイの弟だったよね?」 「――弟」 セルゲイが、つぶやいた。 「大事なお兄さんからたくされた赤ちゃん。必死で守ろうとした。――そう、そうよ。女王は、やがてやってきた地球軍に、イシュメルを出せと脅された。イシュメルはそのころ十五歳くらいになっていたかな――女王にとっても可愛い娘になっていた。十五年も手元に置いて育てたんじゃ、もう自分の子と一緒よ。女王は、ラグ・ヴァーダとイシュメルを守るために、“地球軍”に約束したの。――あなたがたの軍に三千年の繁栄を授けようって。つまり、軍事惑星ね――ドーソンじゃなく軍事惑星。わたしが守り神となって、繁栄させるから、イシュメルには手を出すな、ラグ・ヴァーダの民を殺すなと言った――そう――“ご褒美”じゃなくて、“取り引き”だったのよ。――そして」 ミシェルはがばっと起き上がった。 「そうだよ――三千年後に、繁栄はなくなる」 ミシェルの言葉に、座が静まり返った。 「――そうなったら、どうなるんだ?」 「たぶん――L系惑星群が、アウト」 ミシェルも青ざめていた。 「女王が約束したのは、“軍事惑星の三千年の繁栄”。――だから、それが切れると、軍事惑星がにっちもさっちもいかなくなる。そうなったら、L系惑星群の民を守っている軍隊が力をなくすわけ。で、ラグ・ヴァーダの女王の子孫が、つまり原住民が、地球人から故郷を取り戻そうと立ち上がるわけだから――つまり」 「つまり?」 「この世の終わりじゃねえか!!」 アズラエルが叫んだ。 「マリーが言っていた、“L03とL18の変革は、同時に起こってはならぬのです”とは、こういうことだったのか」 さすがに、クラウドも青ざめた。 ラグ・ヴァーダの武神以上の危機が、迫り来ようとしている。 女王が約束した“三千年の繁栄”は、いままさに、終わろうとしているのだ。 「ギャーっ!! どうしよう!? 自分がしたことながら、どうしよう!?」 パニクったミシェルをあわててサルビアがなだめた。 「落ち着かれませ、ミシェルさん! つまり、あなたにお会いした、ドーソンの男性は、いったい何者なのです?」 ミシェルは顔をくしゃくしゃにして悩み――「えっとね、そう、順番に思い出す――まず、セルゲイの弟なの」 「わたしの弟――」 セルゲイも、必死で記憶をたどっているようだった。 「わたくしの記憶が正しければ、」 サルビアは言った。 「あなたは、ひとしずくの“エルピス(希望)”を、お授けになったはずなのです。赤ん坊だったわたくしを、女王に授けた地球軍の男に」 「それは、ほんとうですか、サルビアさん!」 セルゲイも叫んだ。サルビアは何度もうなずいた。 「ええ――ええ。きっと、その一幕を、わたくしはそばで見ていました。十五、六歳だったでしょうか――話の意味は分かる年頃です」 「そう――そうだ! あたし、あたしそのひとに、天秤をあげたの」 ミシェルは、頭を抱え込んでいたが、やがてカッと目を見開いて、シーツをバシバシ叩いた。 「――天秤」 「そう! 天秤を。――もし三千年後、L系惑星群が荒廃しているようなら、軍事惑星がその罪業を背負って壊滅するように」 天秤が罪を乗せて、完全に皿がかたむいたとき、軍事惑星は終わる。 「なんてことしたんだおまえは!!」 グレンが抗議したが、ミシェルは首を振った。 「待って、怒らないで。だから、天秤なのよ――希望がないわけじゃないの。つまり、イシュメルをあたしに預けた地球軍の男――あなたのように、清らかな心の持ち主がすこしでもいれば、軍事惑星は救われるだろう。L系惑星群も、いまのままってこと」 女王は、真砂名の神に問われた。 地球軍が、ラグ・ヴァーダを侵略してきた。ラグ・ヴァーダは易々、かれらの支配下に置かれなければならないのか。 しかし、地球はラグ・ヴァーダの民に文明をもたらすだろう。悪もあるが、ラグ・ヴァーダを根こそぎせん滅したりはしない。奴隷にしたりもしない。共存の道を歩もうとする地球の民もいるだろう。 すべてが悪ではない。それは、三つ星のきずなであるイシュメルが、証明している。 その子は、心清き地球の男と、アストロスの女王サルーディーバの子として生まれた、純粋無垢なるメルーヴァ姫――かの姫と、死と暴虐の神ラグ・ヴァーダの武神の子として生まれた、善悪さだからぬ子。 善悪のはじめにおわします御子。 三千年後には、イシュメルの血を分けた、地球とラグ・ヴァーダ、アストロスの混血が、この星々に暮らすだろう。 そのとき、女王は民の滅亡を、のぞむか? 「女王の考えとしては、“いいえ”だった」 女王の答えに、真砂名の神は、天秤を授けた。神からさずけられた天秤を、女王は、イシュメルを守った男に与えた。 マァトの天秤――魂の罪の重さを量る天秤。 軍事惑星群は、これからどんどん、大きな罪を重ねていくだろう。だけれども、あなたのように清らかな心の持ち主がたくさんいれば、その罪を許そう。 それが、女王を通じておろされた、真砂名の神の神託。 ラグ・ヴァーダの女王は、たしかに繁栄を約束した。だけれども、三千年後にどうなるかということまでは、地球軍には教えなかった。 「そもそも、すべてあたしが勝手に決めたことじゃない。それこそ、三つ星をつなぐおなじ神――マーサ・ジャ・ハーナの神のお告げだったのよ」 ミシェルの言葉に、皆は絶句した。 「だから、かならずひと欠片の希望がある。絶望だけってわけじゃないの。壊滅の道しか残されてないわけじゃない」 「そして、その天秤は、今度はルナの手に渡るのですね?」 サルビアが思い出したように言った。ミシェルもうなずいた。 「そうよ――ルナが、総仕上げをする。ひとかけらの“エルピス(希望)”を天秤に乗せて」 みんなが一斉にルナを見たが、ルナは別のことを考えていた。 「ピーターしゃんだ」 ルナは、グレンにカクテルのおかわりを要求した。緊迫した座の中で、アホ面をさらしていたのは、ルナだけだった。 「――え?」 「きっと、セルゲイの弟さんは、ピーターさんです」 ルナは日記帳をひらいていた。 「“天秤を担ぐおおきなハト”――ピーターさんが、イシュメルを女王様に託したドーソンのひと」 ルナは、彼と初めて会ったときに、彼の姿に重なった、巨大なハトの姿を思い出した。 ハトは天秤を担いでいて、天秤の周りを、惑星がぐるぐる回っていた。 (あれは、軍事惑星だったのです) ――黄金の天秤でサルディオネとなり、いちばんはじめにする大仕事がなんなのか、ぼんやりと分かってきたルナだった。 |