リサは、アニタに不機嫌な顔は見せなかった。話がはずもうとしたそのとき、赤ん坊の泣き声で、再会の挨拶は中断された。

「よ、よしよし」

ぎこちない手つきで赤ん坊をあやすピエトを見かね、セシルが手を出した。

「ピエト、赤ん坊をこっちへ寄こしな。あんたまだ、ケガが治ってないんだろ?」

「う、うん」

セシルはピエトの抱っこひもを外してやり、赤ん坊を受け取った。

「よしよし――いい子だ――名前はなんて?」

「ピエロっていうんだ」

「ピエロ! おまえ、大きい子だねえ――重くてならないよ」

セシルがピエロに微笑みかけるのを見て、ピエトはほっとした顔をした。

 

「そういや――ネイシャは?」

「学校だよ」

「あ、そ、そうか」

「あんたが帰ってくる時刻は知らせてあるから、学校が終わったら、飛んで帰ってくるんじゃないかな。あんたもずいぶん育ったけど、ネイシャも大きくなったんだよ。あたしの身長を越えた」

「マジで!?」

ピエトは絶望的な顔をした。11センチ伸びたピエトは、ネイシャと同じくくらいになっただろうと喜んでいたのに、さらに差をつけられてしまった。

「これじゃ一生、ネイシャを越せねえじゃねえか……」

セシルは大笑いした。

「ネイシャは多分、あれで身長は止まったよ――男の子はこれからグングン大きくなるさ。心配しなくても、ネイシャを見下ろせる日は来るって」

「そうかなあ……」

ラグバダ族は、あまり背の高い人間はいない。ピエトの集落では、男性でも百五十センチそこそこが多かった。ピエトは、セルゲイくらい大きくなりたかったが、無理かもしれないと、最近思い始めていた。

 

そこへ、「傷はもうだいじょうぶなの」と、当のセルゲイから声がかけられた。彼は心配そうに、包帯の見えるピエトの肩を見つめていた。

「うん。まだ痛ェけど、傷はふさがったよ」

「とりあえず、話を聞こうか、ピエト」

クラウドの声に、ピエトは観念したように、「――うん」とうなずいた。

 

ルナがいないと思ったら、キッチンに入って、お茶の用意をしていたのだった。紅茶やコーヒー、ジュースを乗せたワゴンを押して、ルナは大広間にもどってきた。

「この話、背景がちょっとややこしいのよ」

リサはソファに座るなり、言った。

「もちろんこの子は、ピエトの子でもなんでもないわ――この子、たぶん、ララさんってひとの子なの」

「ええっ!?」

ルナはコーヒーをこぼすところだった。

「このあいだ来たときは、なにも言っていなかったぞ」

アズラエルは肩をすくめた。なぜかリサが、ひどく怒った顔をしたので、ルナとミシェルは戸惑った。

「ララさんってひとは、やっぱり知り合いなのね――まあいいわ。とにかく、母親は、生まれたての赤ちゃんを育児放棄して逃げ出したの。ララさんはこの子を孤児院に預けようとして、ピエトは、「自分が育てる」って、ララさんに言った。それでピエトが連れて来たってわけ」

 

満を持してインターフォンが鳴った。なんとなく、話の流れで、訪問者は分かった。クラウドが玄関に立つと、やはり訪問者はララとシグルスだった――ピエトたちの帰着時刻に合わせて来たに違いない。

「うちの奔放な社長のせいで、ご迷惑をおかけします」

シグルスは、見かけだけはとにかく神妙に手土産を出した。もちろん、ララとシグルスも大広間に招かれてソファに座った。だれもが、シグルスかララの言葉を待ち――ララが口火を切った。尋ねる口調は、リサに向かっていた。

「話はどこまで?」

「ざっくりと一連を説明したわ」

「ざっくりね……」

あまりにざっくりすぎて、ツッコミどころは満載だった。クラウドのつぶやきに、とりあえずララが決定打を落とした。

彼はピエトの膝にいる赤ん坊を指さして、言った。

「DNA鑑定ではっきり分かった。そいつはあたしの子のようだ」

 

 

 

――話は、だいたいひと月前にさかのぼる。

アズラエルが病院から地球行き宇宙船にもどり、リサとミシェルはなぞの高熱から復活して、ホテルに待機することになった。ピエトも意識が戻ったので、普通病棟にうつされて一週間ころのことだった。

 

ララは、炎上する地球行き宇宙船のなかで、外的な障害とは全く別の、身内の問題に直面していた――まさによりにもよってこんなときに、である。

かなり火が回ってきたので、ララとシグルスとその一行は、株主総合庁舎の地下シェルターへ避難した。そこへ、ララの6つ目のプライベート携帯が鳴った。それは、たったひとりの人間しか知らない、特別な携帯電話だったので、ララは取らざるを得なかった。

 

「産んだのか、ステルシア。母体は無事?」

ララは赤ん坊の心配などこれっぽっちもしなかった。心配だったのは、世界的モデルにするために、ララが真心こめて育て上げてきた母体のほうだった――。

E353の病院で、ララの取り巻きの一人であるステルシアが出産した。予定日ちょうどであった。

『無事よ、ララさま』

彼女の声は沈んでいるように聞こえた。

『あたしは無事。でもララ様、あたしこの子を愛せそうにないわ。抱くのも嫌なの』

「――は?」

『ララ様ごめんなさい。あたし無理――無理だわ。子どもを育てるなんて。あたし、この子と暮らせない。モデルにもどるわ。どうにかして』

 

ララは激怒をこらえた。

彼女が、同じモデルの男と寝てうっかり孕んでしまったのを知ったとき、ララは先に激怒をすませていた。あれほど気をつけろと言ったのに。

ララが手塩にかけて、世界レベルに通用するモデルと育て上げて来たのに、彼女はあっさりララを裏切り、つまみ食いの男の子を妊娠した。それは偶然ではなく作為であった。彼女は、男と結婚するために、計画を持って妊娠したのだ。

愛する男と平凡な家庭を築きますなどと公言した彼女に対して、ララは憤ったが、彼は一度ふところに入れた人間に関しては、実に寛大だった。

ララは認めた。男との結婚を。

しかし、男は家庭を築く気などなく、彼女の妊娠を知ったとたんに、別れを告げた。

そもそも、この子はだれの子だという話だった。

ステルシアとていうべきところはない。モデルの男と幸せな家庭を築きますと公言しながら、ララとの関係もつづけていた。さきに釈明しておくが、ララが立場を利用して彼女を縛ったのではない――彼女が、ララから離れられなかっただけだ。

ララの取り巻きは、ララへの愛情を自分の中で十分に整理整頓できるまでは、総じてそういう傾向になる。ララがたった一人を見ないので、ララへの献身につかれ果てた時期に真実の愛を探そうとし、やはりララ様が一番よともどってくる。

ステルシアも、その例に漏れなかったというわけだ。

 

彼女は子どもを産む気でいた。

ステルシアはモデルの男の子だと言い張っていたが、ララの子だと言う可能性もあった。

ララは、だれとも結婚はしない。ステルシアもそれは分かっている。

モデルの子であるなら母子とも面倒を見るが、ララの子であれば、めんどうは見ない。

ララがそう告げるのにも理由があった。

そして、彼女の腹から現れたのは、ララには似ず、どう見ても、モデルの男とステルシアの子だった。

なぜなら、彼女を難産に陥れるほどの巨大さと、白い肌に金髪――百九十センチを超える金髪碧眼の男の遺伝子をパーフェクトに受け継いだだろう容姿だったからである。

 

だが、ステルシアは、赤子の顔を見るなり言った。

「この子は、ララ様のお子だわ」

アストロスでのゴタゴタがすんで、顔を見に行ったシグルスも、「あ、これぜったいララ様の子ですね」と銘打った。

ララとしては、まったく自分にも、ステルシアにも似ていない子を自分の子だと言われても、納得いかなかった――それよりも。

 



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