二百四話 黄金の天秤



 

 新しい生活が始まって、そろそろ2週間が経過しようとしていた。

 庭の木々は、一気に色づき、またたくまに葉が落ちて、冬眠の準備をしはじめた。

 ピエロが屋敷に来た翌日、アズラエルとルナ、ピエトが養子縁組のために、シグルスとともに区役所へ向かったが、今度は簡単に許可が下りなかった。役員が視察に来たのだ。

 ルーム・シェアをしているすべての人間に話を聞き、じっさいにピエロの面倒を見るのはだれなのか――それはルナだったが――メンバーに問題はないか、本当に養育できるのか、ともに暮らしている子どもたちが健康に育っているかなど、かなり細かに生活の様子を観察していった。

 ピエロの兄になるピエトも、L85にいたころの生活からさまざまに聞かれて、応接室から出てきたときには、尋問が終わったあとのように疲弊していた。

ともかくも最終的に、ピエロは無事アズラエルの養子となったわけだ。

 

「とり天っえび天っお野菜にちゃまご天っ♪」

「ルナちゃん、卵はすぐあげていいの」

「うん♪ 衣が固まったらいいよ。なかは半熟のまんまね」

「うまそうだなァ。これ、うどんに乗せるんだろ」

「そうだよっ! ちゃまご終わったら、そこの玉ねぎと白魚、サクラエビと枝豆でかきあげね」

「OK」

 

 今日の昼食は、てんぷらうどんである。ルナはアルベリッヒといっしょにキッチンに立っていた。

 「お出汁つくったらおネギを刻むからね――サルーン! 頭に乗らないの! とり天にしちゃうよ!?」

 「ぶふっ! とり天!」

 兄弟がてんぷらにされようとしているというのに、遠慮なく笑うアルベリッヒに、サルーンは傷ついたらしく、なにやらピイピイ怒鳴った。

 油物はことごとくアルベリッヒに任せていたが、ピエロを背負い、大鍋に出汁をつくっているルナは、頭にサルーンが乗るだけであやうい。しかられた彼女が次に飛んだ先は、おいしそうに揚がった鶏のてんぷらのそばだった。

 

 「サルーン、それ熱いからね!? 冷ましたらあげるから――ちょっと待つの!」

 さっそくとり天をくわえようとしたサルーンに、またルナの叫びが飛んだ。アルベリッヒも、「待ちなさい! サルーン」と叱ると、タカは拗ねたように飛び立ち、テーブルのど真ん中に羽根を降ろした。ふたりに背を向け、しょんぼりと丸まっている。

 「構ってもらえなくて拗ねてるんだ――キラちゃん、まだ帰ってこないかな?」

 「そうゆうときのために」

 ルナは、ずいぶんおおきなエプロンのまえポケットを広げた。

 「ほい! ここに入るのですサルーン!!」

 ルナの言葉と同時に、サルーンは、喜び勇んでルナのポケットにお邪魔した。アストロスで購入したエプロンは、大変に便利だったということになる。まさか、こうした用途につかわれるなどとは、製造者も思わなかっただろうが。

 

 「カ、カンガルーみたいだ……アチッ!!」

アルベリッヒは耐え切れなくて笑い、油が飛んで、あわてて水に手を突っ込んだ。

大きなタカが、ルナのお腹のポケットに半分ほど身を入れ、羽根を外に出しておさまっている姿は、あまりにもおかしかった。

玄関のベルが鳴る。

背中に赤ちゃん、おなかにはタカ。シュールな格好のルナは、キッチンのインターフォンに飛び、「ゆうびんやさんだ!」と叫んで玄関に駆けていった。

 

 「こんにちは!」

 「どうもこんにちは、キラ・E・マクファーレンさんにお届け物です――!?」

 配達人は、ダンボール箱からルナに目を移し、笑うのをすんででこらえた――背中に巨大な乳幼児を背負い――おそらく3歳児ほどのおおきさである――エプロンのまえポケットには、タカが入っていた。

 配達員は二度見した。タカはどうやら、ぬいぐるみではなさそうだ。

 「こ、こ、ここにサインを」

 「はい!」

 ルナは元気よく返事をし、キラにきた荷物に受け取りサインをした。

 「どうも……」

 配達員はあまりのことにひどく動揺して、なにひとつ突っ込むこともできず帰っていった。

いれかわりに帰ってきたキラが、「さっきの郵便屋さん、なんだかタカと赤ちゃんに着いてぶつぶつ言ってたよ」と言ってルナを見――「うん。これじゃなにか言いたくもなるわ」と、友人のずいぶんな姿にうなずいた。

 

 ピエロとサルーンを装備したルナは、これ以上なにも持てそうになかった。キラは大広間のソファに荷物を運んで開けた。キラに届いた荷物の中身は、エプロンだった。もちろん、ルナがしているエプロンとおそろいのものである。

 「キャー☆ かわいい!! これでやっとあたしたちもルーム・シェアの一員って感じがする!」

 キラはさっそくエプロンを身に着けた。真っ白なデニム地である。箱の中には、あと三着入っていた。黒が二枚、赤が一枚――ロイドとミシェル、リサの分である。

 「あたしがマーシャルで見たときは、白と赤はなかったよ」

 ルナはあたしも赤色がよかったなと、ほっぺたを膨らませて言った。ルナが買ったものはネイビーである。

 「通販だと、黒、赤、白、ネイビーとベージュと茶色があったよ」

 キラとリサは、自分たちだけエプロンがないことに不満の声をあげ、リサは「アストロスまで引き返して買ってくる」とまで言い張ったが、キラがインターネットで同じものを見つけたのだ。

 キラは、白いエプロンを眺めながら、「これ、蛍光ピンクに染めなおすんだ」と、じつにキラらしいことを言いだした。

 

 「こんちは~♪ お邪魔します!」

 「どうも。いつもすみません」

 応接室から、シシーとテオが出てきた。正確に言えば、応接室のシャイン・システムからだ。来客があると、どの部屋にもあるインターフォンのシャイン・システムの部分にランプがつく。相手を確かめたあとこちら側でロックを外せば、入室できる。

 シシーは陽気に、テオはいつもどおり生真面目に、キッチンに入って、入り口のところにある小鳥の巣箱の形をした貯金箱に、お金を納めた。いわゆる食事代というものである。これを設置したのは、テオかと思いきや、シシーだった。

 ふたりは先日から、夕食だけではなく、昼食にも顔を出すようになっていた。

 

 「いつも申し訳ない。俺たちの分まで」

 テオはやはり気真面目に言ったが、

 「いいんだ。つくるのは大勢の分がつくりやすいし、わたしも趣味の延長だから」

 アルベリッヒは、揚げたてのてんぷらを山盛り皿にのせて、テーブルの真ん中に置いた。

 「ウヒョー! おいしそう!!」

 シシーが歓声を上げてテーブルを見つめ、両手を組んでいるとシャイン・システムのランプがふたたび点く。キラがロックを解除すると、出てきたのは、ツキヨとエマルと、リンファンだ。

 

 「あら~いい匂い♪ 今日はてんぷらうどんなのね~」

 リンファンはテーブルの山盛りてんぷらに目を輝かせ、出汁のいい匂いに目を細めると、さっさとお茶の用意をしにワゴンへ向かった。

 「これどうすんの? え? ヌードルに乗せて食べるの? 肉はある?」

 エマルが肉の所在をたしかめ、とり天があることを知って笑顔になった。

 「ルナ、ルナ――あれ? ルナは? ピエロはどこだい?」

 ツキヨはさっそく孫とひ孫の姿を探した。サルーンとともにキッチンに入って、食器の用意をしていたキラも、ルナの姿をさがした。

 「あれ? いっしょに来たはずなのに……」

 

 あわてて大広間にもどると、ルナは広間のど真ん中に行き倒れていた。

 「お、おも……」

 ルナは力尽きてうつぶせに倒れ、背中では、ピエロがキャッキャとはしゃぎ、サルーンがピイピイ鳴きながら、ルナの上空を旋回していた。

 「重くて動けないでしゅ……」

 様子を見に来たキラとツキヨ、アルベリッヒが目を剥いた。

 「ルナ――!?」

 

 「まったくこの子は! 四六時中おんぶしてやることはないんだよ!」

 エマルはピエロに、哺乳瓶でミルクを与えながら、豪快に笑った。

 救助されたルナは、ためいきをつきつつ、うどんに半熟卵のてんぷらを乗せた。

 「なんだか最近、ムキムキになってきた気がします……」

 ピエロを担いで歩くだけで、かなりの有酸素運動だ。クルクスで一ヶ月、部屋に閉じこもって贅沢な食事を取っていたせいで増えた体重は、一気に減った。

 「おかげでいっぱい食べちゃうのです」

 「ピエロとルナの体重が反比例してるのよね」

 キラは言った。

 「あたし、キラリは母乳とミルク半々で育ててるんだけど、」

 エビ天を二つ、うどんに乗せた。

 「あんまり、母乳のほう飲んでくれなくてさ。だから最近、ピエロにあげてるんだけど、メッチャ飲んでくれるのよ。だから最近張らなくて助かってる」

 「キラちゃんのお乳飲んで、哺乳瓶抱えて、まだ足りないってのかいアンタは!」

 エマルは呆れた。

 「おまえだってこんなもんだったさ」

 ツキヨは、てんぷらは乗せず、ショウガとネギだけを入れたうどんを啜った。てんぷらは、かきあげを半分エマルの皿に乗せ、塩をかけて食べた。

 「久しぶりだねてんぷらも。美味しいよ」

 「でも、あんまりあたしのお乳はあげるなって母さんが、」

 「エルウィンさんが?」

 とり天をおいしそうに頬張っていたリンファンが顔を上げた。

 「うん。あたしのお乳飲ませたら、ピエロが破天荒な子になるからやめろって」

 盛大な笑い声が、上がった。

 



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