「こんにちは、ご無沙汰しています」

 パットゥは、いちいち椅子から立ち上がって、整った姿勢をぴくりとも曲げず、直角に礼をした。

 「こちらこそ――お忙しいところ、すみません」

 メンズ・ミシェルもリサも、そしてロイドも、あわてて礼をし、彼に座ってくれるよううながした。機械のように正確なしぐさで、パットゥは椅子に座った。

 ここは中央区の、区役所近くのカフェだった。昼も過ぎ、ひと気はまばらで、混んではいない。パットゥは、ロイドが抱いているキラリに微笑みかけた。

 

 「お子さんは、そろそろ一歳になりますか」

 「ええ――お、覚えていてくれたんですか」

 「記憶力はいい方でね。元気なお子さんだ」

 キラリは、差し出してきたパットゥの指をにぎった。

 「人見知りしませんなあ。うちの子は、これくらいのころにはひどくてね」

 「パットゥさん、お子さんが?」

 「ええ。もう成人してますが」

パットゥの家族のことを聞くのは、はじめてだったかもしれない――ウェイトレスが注文を取りに来たので、四人はコーヒーを注文した。

 

 「船内役員の講習はどうですか」

 「なんとかなりそうです。真面目に受けてりゃ、L55に帰ってから筆記だけで、資格は取れそうだ」

 「それはよかった。こっちも、ひととおり済みましたよ」

 「ほんとですか。……なにからなにまで、申し訳ありません」

 パットゥが差し出した書類は、完全に裁判が終了したことをしめす書類だった。ミシェルはファッツオーク社に対する上告を取り下げ、ホックリーは最初に課せられた懲役分、服役することになる。だが、L11の監獄星に送られるほどの罪状ではなかった。

 「それで、あなたの探偵事務所の物件も、差し押さえられまして、残っていません」

 パットゥは、二枚目の書類を提示した。

 「ですが、自己破産申告もすみまして、警察も介入するので、もうマフィアはあなたを追いかけることはできません。あなた名義につくられた保険も、解約されました」

 パットゥの言葉に、リサがいちばんほっとした顔をした。これでもう、ミシェルが保険目当てに、マフィアに狙われる心配もなくなったということだ。

 

「こっちは片付きましたが、――問題が少々」

 「想像つくな」

 ミシェルは苦笑した。

 「破産しましたので、あなたが希望するように、船内で探偵事務所は開けないんです」

 「……」

 ミシェルには、想定内のようだった。彼は腕を組み、残念そうに、「そうですか」とだけ言った。

 

 「ど、どうして?」

 ロイドもリサも尋ねた。パットゥは説明した。

 「探偵事務所をひらくには、――すなわち探偵になるには、資格がいるんです。警察官か弁護士の資格を持っていて、三年以上の実務経験が必要です」

 「で、でも、ミシェルはL25で探偵事務所を――」

 「L25では、探偵になるのに資格は必要ないんです。だから、ミシェルさんは、L52で活動してらしたのに、はなれたL25に探偵事務所をつくったんです」

 「そうなの!?」

 リサもロイドも、おどろいて叫んだ。ミシェルはきまり悪げに苦笑し、パットゥも、同じような笑みを浮かべて続けた。

 「この宇宙船は、乗船する人間もそうですが、役員になるときも、来歴というのはあまり重要視されません。凶悪犯罪者ならべつですが――破産したことがある程度では、役員になれないということはありません。しかし、船内の法律は、L55のものです。ですから、船内で探偵事務所をひらくには、L55の法律に法って、資格が必要なんです。そして、L55の法律では、破産したことがある人は、弁護士にも、警察にもなれません。そのあたりは、警察星とも、ほかの星とも法律がちがいます。L55の基準はとても厳しいんです」

 「まあ――そう――だよなァ……」

 ミシェルもだいたい予想していたことだった。

 

 「……どうして、L25じゃ資格がいらないの」

 あそこ、警察星でしょう? L55より、そういうところが厳しいんじゃあ――とさらに聞いたリサに、パットゥは律儀に返答した。

 「まあ――L25で探偵事務所をひらいても、まず、商売できないでしょうね」

 「うん、パットゥさんの言うとおり」

 ミシェルはうなずいたが、リサとロイドにはさっぱり意味が分からなかった。

 「つまりですね、L25は警察星ですから、警察官だの弁護士だの、調査員だの、探偵がする仕事はあそこにある職業で間にあってますから、わざわざそんなところで探偵事務所をひらいても、飛び込む人間はいないんですよ」

 「――!?」

 「だから、探偵事務所をひらく許可はだいぶ緩いんです。そのかわり、探偵を見極める目の厳しい人間ばかりがいる星ですから、おそらく商売にはならない。わたしはL26の出ですが、警察星全体で、探偵事務所というのはほとんど見たことがありません」

 「そうなんだ。俺も、べつに、ほんとうに探偵をやりたかったわけじゃなくて、ホックリーさんの冤罪を証明するために、法律の内側から探ろうと思って、事務所をひらいただけなんだ。あのころは、まあ――自分でも、常軌を逸してたとは思うよ」

 ミシェルは多少肩を落とし気味だったが、つづけた。

「ほんとうにあっさり許可が下りて、最初はこれでいいのかってびっくりしたけど、パットゥさんの言うとおり――まったく、客が入らねえんだ。まあ、その分ヒマで、弁護士になれそうなくらい、法律の勉強はできたけどな」

 その経験を活かし、本気で弁護士の資格を取って、船内で探偵事務所をひらこうとしたが、どうやら難しいらしい。

 

 「それで、わたしからの提案なんですが」

 パットゥは言った。こちらが本題だったようだ。

 「ミシェルさん、派遣役員になられてはどうでしょう」

 「派遣役員ですか?」

 すでにミシェルは、「船内役員」の講習に通っている。

 「今からでも変更できます。どうでしょう? K30か、K31の派遣役員の資格を取られてみては」

 「K30区かK31区……」

「ええ。弁護士にならずとも、法律の勉強はできます」

 K30区は中小企業経営者がおもに住む区画で、K31は、さいしょにミシェルとロイドが入った区画――就活中の人間が入る区画だ。

 

 「わたしの経験から言わせていただくと、この二区画は、法律上の問題を抱えた船客の方が乗ってこられることも少なくありません。あなたのスキルは十二分に活かせるのではないでしょうか」

 ミシェルはかつて公認会計士として働いていたし、法律の勉強もしている。

 「そういう方が派遣役員になってくださると、われわれとしても頼もしい。どうですか?」

 ミシェルの顔に、笑顔がもどった。頼もしいと言われて、調子に乗るのがミシェルだった。

 「そういう道もありますね――なら、そっちをがんばってみるかな」

 「では、さっそく資料を用意してきましょう」

 パットゥは立った。ミシェルも立って、彼と握手を交わした。

 「ありがとう、パットゥさん」

 「いいえ。わたしにできることでしたら、微力ながらお手伝いさせていただきます」

 

 



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