「ようグレン、おまえ、船内役員になってルシアンのオーナーにならねえか」 グレンがルシアンに入り、めずらしくカウンターに姿を現しているオーナーカブラギに、開口一番言われたのはその台詞だった。 「まだ引退にゃァ早いだろ」 「もちろんまだ先の話だ――10年後、いや、15年後?」 「先すぎる」 「有能な人材には、今からツバをつけとくんだ」 カブラギは、得体のしれない笑みを浮かべた。 着崩したスーツ姿、といえばいいだろうか。黒いジャケットにパンツ、革靴。いつも胸元をあけたシャツで、ネクタイをつけている姿は見たことがない。髪の毛を撫でつけているヘアスタイルはエーリヒと同じだったが、いささかグレーが混じっていた。コワモテと怜悧の中間の顔で、細いフレームのメガネをかけている。背はあまり高くないが、肩幅はひろく、ガッシリとしている。以前の職業がいまいち分かりにくい人物ではあった。役員になる前はマフィアとも、警官ともいわれている。対極だ。だが、どちらでも想像できるようなあいまいさが、カブラギにはある。マフィアだと言われても、「そうだと思った」と言われ、警官だったといっても、「そんな感じだよな」と言われるくらいの。 「俺が、このあいだから、何人にそれを言われたか分かるか?」 グレンは先日、オルティスに、「おまえ、地球まで行ったら、船内役員になって、俺の店で働かねえか?」と真剣な顔で聞かれた。 オルティスは傭兵時代に足を悪くしているし、60代を過ぎたら、ながく店で立っているのはむずかしいかもしれないとも言った。 さらには、「いずれは、おまえに店を預けてえ」と言われ、グレンは仰天し――「まあ待て、考えさせてくれ」とその場は納めた。 護衛術の講師をしているスポーツセンターの役員からも、「地球到達後は、船内役員になって、講師として働きませんか」といわれたばかりだった。 グレンはとりあえず、役員になる気はない。地球に行ってから、先のことは考えるつもりだ。 「ところで、おまえゲイだって、ほんとなのか」 カウンター席に着いたグレンは、役員うんぬんの話から逃れようとして、カブラギの顔を見たとたんに思いついた質問を遠慮なくして、、カブラギを驚かせた。ほんとうに驚いていた。 「だれに、それを?」 「アニタ」 グレンの正直な返答に、カブラギはとくに機嫌を損ねはしなかった。 「あの女は、社会部の記者だったくせに、ひとを見る目がねえ」 個人情報を横流しされた報復でもあるかのように、カブラギはアニタの素性を口にした。 「社会部の記者? アイツが?」 「ああ。ところで、俺はゲイじゃねえ。残念ながらな――信じる信じないは、お前次第だが」 「そうか」 「だから、おまえの求愛にはこたえられない」 「俺もゲイじゃねえよ」 グレンは絶望的な顔で首を振った。 「クシラは正真正銘のゲイだが、俺は女しか抱けねえし、おまえにも興味はねえ」 「安心した」 グレンは肩をすくめ、ハイボールを注文した。なにしろ、このクラブにはカクテルしかない。そばにビールばかり置くバールがあるために、ビールを置かなくなったのだ。シンプルな酒は、ハイボールあたりが限度だった。 「アニタが、俺とアズラエルはカブラギの好みだから気を付けたほうがいいっていうもんだからな」 「あの女は無料パンフなんぞつくってるより、女性週刊誌の記者やってるほうが合ってるんじゃねえか」 カブラギは、今度来たら覚えてろ、とおそろしい笑みを貼りつかせた。手元のショットグラスに、小瓶を逆さまにしている――それがタバスコだとグレンは気づくまで五秒。 「ファイア・ショット・フィーバー。ベースはウォッカ。客からリクエストがあってな。最近メニューにくわえたカクテルだ。今度アニタが来たら、無料でごちそうしてやろう」 「……」 このクラブは、奇怪なカクテルばかり売り物にしている。グレンは、一連の失言を後悔した。心の中だけでアニタに謝った。 「あの女は、好きになる男が総じてゲイだって確率が高いから、振られると相手をゲイだと思いたがるんだ――気の毒に」 「なんだ、おまえにフラれたのか」 「フッたつもりはねえ。俺の女になりてえのかって聞いたら、及び腰になったから、やめておけと言っただけだ」 「――そういう聞き方は、よくねえんだな」 「よくねえみてえだな」 L7系あたりの女性にそれはよくない。グレンは経験者なのでよくわかった。 「相変わらずにぎやかだな」 「クラウド」 やかましくないクラブなどあるわけはないが、クラウドはそう言った。グレンの隣のカウンター席に座ったのは、クラウドだった。店内の騒音で、ちかくに来るまで、わからなかった。 「どうしたのグレン。サルビアと食事の予定は?」 「ああ――コイツが、大切な話があるとか言って、俺を呼んだから」 「大切な話は済んだ」 カブラギはあっさり言った。グレンは拍子抜けした。 「え? じゃあ、さっきのアレか?」 「アレだ」 ルシアンのオーナーにならないかという話だろう。 「なんだ。済んだなら、とっとと帰るぞ俺は。久々に、夜があいたのに」 「めずらしいな、デートか」 「デートだ」 グレンは、最近ソーセージが気に入ったサルビアを、ビールとソーセージが旨いレストランに連れて行ってやろうと思ったのだ。 「ほほう、デートか。なるほど、アズラエルが気に入ってるうさこちゃんが、フリーになったとか」 「いいや。あたらしい女だ」 「ほう」 カブラギが目を光らせたところで、グレンはコインを置いた。ハイボールをすっかり空け、「じゃあな、来週」と言って立った。 「クリスマスはラガーか?」 「さァな。今年は最後の年だから、屋敷で過ごすかもしれねえ」 「そうか」 グレンはジャケットをひっかけ、やかましい店内を去っていった。 「ずいぶんご機嫌じゃねえか――どんな女だ」 カブラギはニヤニヤしながらクラウドに聞いた。 「そうだな。グレンにぴったりの、高貴な出自の女性だよ」 クラウドは、なにも嘘は言っていない。 「お坊ちゃまとお嬢様のお付き合いか」 「そう。なにせ、このあいだまで、自分一人じゃ服も着ることができないレベルのお嬢様だった」 「そりゃ、ずいぶんだな――注文は?」 「そうだな。アイリッシュ・ビールで」 「うちは、ビールは置かなくなったって言っただろ」 「でも、ビールベースのカクテルは出してるだろ。アイリッシュ・ビールとアイリッシュ・ビールを――つまりカクテルにしてくれ」 「そんなふざけた注文をするのはおまえだけだ」 言いつつも、カブラギは、ロンググラスにこげ茶色のビールを半分注ぎ、泡が落ち着くのを待ってから、二本目をあけて、さらに注いだ。 「ステアしますかお客様。それともシェイク?」 「ステアにとどめておいてくれ」 ビールをシェイクしたら、カウンターは大惨事だろう。 「二本とも飲めよ――それで、ご用件は」 カブラギは、クラウドに、てきとうに混ぜたアイリッシュ・ビールを差し出し、半分ずつ残っているビールの瓶も添えた。 「用件があるのは、君のはずだ」 クラウドは、カブラギから目を離さずに、ビールを一口飲んだ。 「クルクスにいたとき、電話をしてきた“イノセンス”は君だろう?」 |