カブラギは答えなかった。 「正体を知られたくないなら、君じゃない男が電話してくるべきだった。俺が変装した人間を見破ることができるのと同時に、声帯から相手を特定できることも知っていたはず」 「ふむ」 カブラギは、顎に指をあてた。 「知っていたはずって――そりゃ、イノセンスの男がか?」 「そうだな。つまり、彼は、俺を招いた。俺が相手を特定できることも知っていた。特定できたら、接触してくることもね」 「……」 「“ご用件は?”って聞きたいのは、じっさい、俺のほうなんだが」 カブラギは笑みをたたえたまま、黙った。そして、イノセンスとは、関係がなく思えるような話題を振った。 「ところで、おまえはどっちの役員になるんだ。派遣? 船内?」 クラウドが、すでに講習会に通いはじめていることも熟知している聞きかただった。 「俺は船内。ヘインズ・クラブでピアノを弾くことが決まってる」 「なんだ、ピアノ弾きか。ずいぶん退屈な仕事をえらんだな」 カブラギはいきなりカウンターに手をつき、顔をギリギリまで近づけ、低い声で告げた。 「もしおまえがイノセンスから勧誘されたら、蹴った方がいいと、俺は思う」 「――!」 「おまえはエーリヒとつながり、ララともつながっている。イノセンスに入ったら、自由に動けなくなるぞ?」 クラウドは、カブラギの意図を探るかのように見つめ返したが、とりあえず、敵視も、警戒されてもいないことだけはわかった。 「……俺は、礼を言ったほうがいいのかな?」 「キスでもする?」 「そうか。君は、だからゲイ認定されたんだ」 クラウドは、真顔で言った。ようやく、カブラギの顔が離れた。 「ファイア・ショット・フィーバーを味見してみないか」 カブラギは新作のカクテルを勧めたが、クラウドは遠慮した。アイリッシュ・ビールオンリーのカクテルに注ぎ足す。カブラギは、一見すると人懐こい笑みを浮かべて、両手を広げた。 「わかった。アイリッシュ・ビールは切らさないようにしておく。なるべく頻繁に顔を出してくれると嬉しいな――おまえのハニーもいっしょに」 「俺は情報屋になる気はないよ」 「おまえの小銭みてえな情報なんぞ求めてねえ。俺がどれほど頼りがいのある人間か、知ったらおどろくぞ」 「そうなの? じゃあ、なにかあったら頼りにするよ。今はとにかく、ビールを追加。あと、フィッシュ&チップスを」 クラウドは、もう一本ビールを頼んだ。ふと、クラウドは聞いてみたくなった。 「そういや、カブラギはルナちゃんに会ったことは?」 「アズラエルの女か? グレンがフリーになるのを狙っていたうさこちゃん?」 「そう」 カブラギが、口の端をニイっとあげて、不気味な笑い方をした。 「おまえの彼女はいいが、そのうさこちゃんには、俺は会いたくねえ」 「え?」 「悪いが、俺ァ怖くてビビっちまって、話もできねえだろうよ――カウンターの隅っこで、ブルブル震えてるさ。子ウサギちゃんみてえに」 「カブラギさんが? あたしに会いたくないってゆうの?」 ルナはほっぺたを最大限に膨らませた。 「カブラギさんってだれ!?」 そこからか。クラウドは説明不足だったと反省した。 「ルシアンのオーナーさ。ルナちゃん、なにかした?」 「なんにもしてないよ! 会ったこともないよ!!」 ルナは、昼食の残りのとり天を、サルーンと奪い合ってつまみ食いしているクラウドに叫んだ。一秒前までカブラギの名前も知らなかったルナである。 エビ天にマヨネーズをつけたクラウドに、ルナはなにか言おうとして、「もげた!」と叫んだ。レタスをちぎりながら。ルナの頭が混乱中なのは、クラウドにもわかったので、これ以上カオス化しないよう、彼はキッチンの椅子に落ち着いて、おだやかに、ルナと会話することにした。 「クラウド、つまみ食いはエビ天にして。とりはサルーンにあげて。それで、フィッシュ&チップスは美味しかったって?」 「俺は、フィッシュ&チップスについては、ひとことも言及してない。食ってきたことは言ったけど――」 キッチンには、ルナとクラウドとサルーンだけだ。これは内密の話で、だれかがいる場合、クラウドは即座に話を切り上げるつもりだった。 「あたしもフィッシュ&チップス食べたい! ルシアンのは美味しいんでしょ?」 「宇宙(ソラ)でも出してる――たぶん、アレはソラのほうが旨い。わかった。俺かアニタが買ってくることにしよう――それで、ルナちゃん」 「イノセンスとは正反対なんです!」 「は?」 ルナのカオスはあっさり発足した。 「イノセンスの人たちは、イノセンスとは正反対なの! カザマさんたちのプランナーもそう。イノセンスの人たちは無邪気じゃないから無邪気なの。プランナーさんたちは計画が立てらんないからプランナーなの」 「ちょ、ちょっと待って? もう一回、」 初めてクラウドが、もう一度を要求した。 「たぶん、クラウドもイノセンス側だから、わかんないかも」 「――えーっと」 たしかに、クラウドは分からなかった。さっぱり。だが、カブラギが「ルナに会いたくない」という意味は、分かる気がした。なにを見透かされるか分からない、恐怖感があるのだろう。秘密を持っている人間ほどそうだ。 クラウドは、ルナとは長い付き合いだし、お互いに協力し合って来たから、いまさらという感はあるが、さすがに今回の台詞は、理解しがたかった。 そしてクラウドは、こんなときに限って、エーリヒのアドバイスを思い出すのである。 『ルナの言葉は、そのままそっくり聞きたまえ。すぐに意味が分からなくても、あとで、腑に落ちることがある――ああ、すべてではないがね。あと、ルナは卵に執着する』 最後のひとことはいらない情報だった。知ってる。なにせクラウドの記憶力は、完全に記憶してしまうのであるから――。 「そうだ! 今夜は冷凍ポテトがあるし、白身魚もある! フィッシュ&チップスをつくろう!!」 ルナはうさ耳をぴーん! と立たせた。 「え!? 俺、夕食もフィッシュ&チップス!?」 「タルタルソースもつくりますけど?」 「仕方ないな。手作りなら許そう」 クラウドがえらそうに言ったあと、ミシェルが飛び込んできた。クラウドとの会話を聞いていたらしい。 「ルーナーっ!! 鮭! 鮭の約束は!?」 「じゃ、ミシェルの分は鮭のフライで」 「なら、許す」 ミシェルは厳かに言った。このカップルは最近似て来たと、ルナは思うのだった。 「エビ天が全滅してる――ウソ! マジで!?」 仕事から帰ってきたアンジェリカが、テーブルの大皿を見て絶望的な声を上げた。 「お昼、てんぷらうどんにしたの」 「コンビニなんかで済ませてないで、帰ってこればよかった……!」 アンジェリカは頭を抱えた。ルナはおどろいて聞いた。 「だって、アンジェ、油物だいじょうぶ? 胸焼けとかない? つわりとか……」 「ない! いっさいない! エビのまえにつわりはない!」 「マグロにも?」 「うん!」 そうこうしているうちに「ただいま!」の元気な声。アニタとベッタラ、セシルが帰ってきたのだ。 ひとが集まってきてしまったので、クラウドは、これ以上話をつづけることはあきらめた。 「K33区どうだった?」 「豊作豊作!! いい記事が書けそう――K33区の市場で、持ち帰り総菜買って来たよ」 「うわ! おいしそう!」 アニタがテーブルに、春巻きやら肉まんじゅうやら、おおきな鶏肉の蒸し焼きの包みを広げたので、アンジェリカもミシェルも歓声を上げた。 「これはアノールの料理です。野菜がたくさん詰め込まれています」 鳥の蒸し焼きの正体を、ベッタラが教えた。 「あ、あれ? サルビアさんは?」 アニタが見回したが、サルビアはいなかった。 「サルビアさんが好きそうなおかずも買って来たのに」 これ、腸詰肉だって、と葉っぱにくるまれた、大量の小さいソーセージを指すアニタだったが、アンジェリカがニヤけながら言った。 「姉さん、グレンさんとデート」 「ホント!? やっぱあのふたりつきあってんの」 「いやあ~あたしもびっくりだわ。姉さん、むかしグレンさんと会ったら、即座に逃げまくってたんだよ? ふたりきりで食事に行けるなんて、進歩したわあ」 しみじみ言うアンジェリカだったが、アニタは大興奮だ。 「今夜はついに……!」 「今日はやっぱお持ち帰りかな!?」 「持ち帰ったらここに帰ってくるだけだよ。ここは、泊まりでしょ」 「……どうかな。それはまだ、さすがに早いんじゃ」 アニタとミシェルがはしゃいで言うのに、いつのまにかリサが参戦していた。アンジェリカは、「お泊まり」の言葉には、首をかしげた。 「どうして。グレンだったら、ぜったいホテル行きよ! なにせ初対面でルナのこと押し倒したんだから!」 いまだに蒸し返されるグレンの失態。クラウドは横で聞きながら、気の毒に思った。 |