K33区は曇り空だった。役所から出て、乗り合いの馬車に乗ってから見上げた空は、いまにも滴を落としそうだ。 段ボールに入れたままの天秤を、三人で、慎重に運んだ。 アンジェリカを連れたルナは、応接室のシャイン・システムまえで、やっとそのことに気づいて、ルナの部屋まで引きかえした。そして、黄金の天秤を抱えて、K33区に向かったのである。 曇天ではあったが、ペリドットはいつもの井桁がある広場にいた。 「あれ? クラウド!」 一番目のいいアンジェリカが、井桁の前で、ペリドットとひざを突き合わせている男の存在に気づいた。 「アンジェにサルビアさん――ルナちゃんまで?」 クラウドも気付いて、顔を上げた。 「今日は、こっちに来る予定だったの?」 馬車は、アンジェリカとサルビア、ルナと黄金の天秤を置いて、走り去っていった。 「ルナ、それは?」 ペリドットは、ルナとサルビアが二人で持っているダンボール箱に目を留めた。ルナは威勢よく言った。 「きのう、黄金の天秤が届いたんです!」 「それはいま、クラウドから聞いた――もしかして、それが実物か?」 「ええ」 サルビアがうなずき、ルナが箱のふたを開けて、つつんでいた梱包シートをよけた。 「ほう――ずいぶん、立派なものだな」 ペリドットは感心して、天秤を見つめた。見るだけで、触ろうとはしなかった。 「アントニオも呼ぼう」 ――アントニオが来たのは、それから三十分も経ってのことだった。 その間、ペリドットは飽きもせず天秤をながめていた。ぜったいに触りはしなかったが。 「あれ? アンジェ、仕事は?」 アントニオは道の途中で馬車から飛び降り、アンジェリカの顔を見るなり、言った。 「急きょ予定変更! 仕事はぜんぶ、キャンセルしたよ――ペリドット様、アントニオが来たから、本題に。じつは、水盆のサルディオーネさまから、手紙が届いたんです」 「手紙?」 「ええ。ルナのことを占った、“12の預言詩”が」 「ええっ!?」 ルナは、どうして連れてこられたのか、まだ知らされてはいなかった。 「ほんとうか」 ペリドットは、アンジェリカから渡された便せんをひらいた。ルナとクラウドも横から覗き込んだ。アントニオは、天秤を横目で見つつ、先に便せん検閲隊に参加した。 「――これは」 「ええ。あたしもむかし、サルディオーネの位を授かった際に、水盆のサルディオーネ様に“九つの預言詩”をいただきました。あたしの場合は、サルディオーネになってから気を付けること、というのが九つ書かれていましたけど、ルナの場合は違うようです」 「これは、どう見ても、“人”のことだな」 クラウドも言った。 ルナが目をぱちくりしていると、サルビアが教えてくれた。 「ルナ。水盆の占いというのは、水盆に張った聖なる水に、占う人物の、生まれてから死ぬまでの生涯を写しだす占いです」 「う、うん」 ルナはうなずいた。クラウドは、手紙を見ながら言った。 「“12人の使徒が持つ玉によって、黄金の天秤は輝く。”――つまり、ここに記された12人が持つ玉がそろえば、黄金の天秤は動き出す。つかえるようになる、ということか?」 「……」 ――その男は父なる者。獅子の頭。そなたは母、男は父、伴侶となりて、終生そなたの心の安らぎとなる。 「これは、明らかにアズのことだろ」 クラウドは言った。だれからも反対意見は上がらなかった。 ――その男は長の苦労、節を帯びた手で、そなたの力となるだろう。月の女神の光を帯びたる男よ。 「これは、グレンだな」 ペリドットが言った。 「グレン?」 ルナがぴょこたんと顔をあげると、サルビアが解説した。 「グレン様だと思います。月の女神の光を帯びたる――とは、“銀色”を示します。銀色の言葉が表す者は、グレン様とみて、間違いないでしょう」 ――月の女神の辞書となる男。そなたは辞書を引かねばならぬ。されどつかいかたを誤れば、道も誤る。 全員が、クラウドを見た。クラウドは、苦虫を噛み潰した顔をした。 「悪かったね。なんでも知りたがり屋で」 ――長きをともに過ごす友よ。四盟のひとり。そなたのそばにいるだろう。生涯おるだろう。 「これは、ミシェルだな」 レディ・ミシェルのことだ。アンジェリカがそう言った。 ――縁のまほろば。縁の入り口。母なる者。縁となるを、切ったり蘇らせたりする。 「これは、リサだ」 アンジェリカが断言した。 「リサ!?」 ルナが叫ぶと、アンジェリカは説明した。 「リサは、たくさんの縁を持つ者で、ルナの母だった前世があるだろ? ちなみに、髪の毛は“結び”、“縁”の意味も持つ。そいで、リサは美容師だろ?」 「なるほどね……」 クラウドはおもしろそうに、口角を上げた。 ――世界。ワンダーランド。そなたに天命以上の世界を見せる。 「じゃあ、これはキラってことだな」 クラウドは言った。キラの多趣味と飽くなき好奇心は、ここにいる全員が知っている。キラは、ルナだけではなく、皆に知らなかった世界を見せてくれる。 「そう考えて、間違いないな」 ペリドットも言った。 ――そなたの道しるべであり方位磁石。母なる鹿よ。金色なり。 「これはミヒャエルだってはっきりわかるね。ミヒャエルのZOOカードは“母なる金色の鹿”だもの」 ――はじまりの月。そなたの守り神。ともにあれば安泰。 「これは、ツキヨさんだな。ルナちゃんに地球行き宇宙船のことを教えたのはツキヨさんだ。つまり、はじまりの月」 アントニオが解いた。 ――食の神。旅は終わった。これから始まる。そなたとの、長の旅を。大きなクジラの懐で。 「これ、きっとアルだ!」 ルナが叫んだ。 ――そなたの師となる者。そなたが師となる者。齢同じくして、死すときも同じであろう。朋友。 「……あなたですわね」 「う、うん」 サルビアに言われ、アンジェリカは口元を引き締めて、うなずいた。 ――黄金の龍は、真砂名の神のみ使いなりければ。 「「「「「ララかよ」」」」」 サルビア以外の、全員の言葉が重なった。 ――アルビレオの衛星の伴侶となる者。想像もできぬほど万能である。そなたがもっとも頼りとなす者。 「……」 だれもが、名前を挙げなかった。しばらく、みんなで紙をにらんだ。だが、やはりだれの口からも、該当する名前が出てこなかった。 ――12人の使徒が持つ玉によって、黄金の天秤は輝く。月と地球の御前にて。 「ようするに、アズラエル、グレン、俺、ミシェル、リサ、キラ、ツキヨさん、アル、アンジェ、ララ――不明のひとり、が持っている玉をなんとかすれば、黄金の天秤が動くようになるってこと?」 クラウドが言った。 「そもそも、いったい、どういう人選なんだろう? なにを持って、このチョイス?」
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