「よう子グマちゃん。あいかわらずキュートなケツしてンな。掘らせろ」

 「ギャア!!」

 オルティスは叫び、「たすけて!」とは叫ばなかったが、そういう顔をした。

 ラガーの入り口に立っていた細身の男性は、いつのまにかカウンターの内側まで入ってきて、エアーズロックのようなケツをわしづかんでいたので、オルティスは飛び退って逃げた。

 「な、なんでおめえが、店に……」

 「なんでってことはねえだろ? だれが、おまえに経営のノウハウを教えたと思ってンだ――俺がベッドで、手取り足取り――」

 オルティス、おまえまさかという顔をしたカウンターの客が、こぞって酒を持ってテーブル席へ行ってしまう。オルティスは「誤解だ!」とついに叫んだ。

 

 「あまり、店長をいじめるなよ、クシラ」

 「クシラさんだ」

 「クシラさん」

 ビールの蓋を開け、ライムをねじ込んで出したグレンに、クシラは眉を上げた。

 

 外には、彼の愛車である、黒い大型バイクが止まっているはずだ。

全身はタトゥだらけ、顔はピアスだらけの真っ赤な髪の、スリムな男――背もそう高くはないし、百七十そこそこといったところか――身体の幅もおおきさも、オルティスどころかグレンの半分しかないようなこの男に、オルティスは心底ビビっている。

 なにせ、この男は真性のゲイで、好みはオルティスのような「キュートな子グマ」ちゃん。(錯覚ではない)そいつら相手に女役ではなく男役だということが、心底、猛獣どもを震え上がらせていた。

 身体にぴったりの黒Tシャツに、黒の皮パンツ、ごつい黒のブーツといういで立ちの彼がカウンター席に腰かけると、さあっと人が引いた。主に、ゴツい系の連中が。

スリムな色男が店内に入ってこようものなら、真っ先に目の敵にして弄り回すチンピラたちが、クモの子を散らすように逃げた――同じキュートな子グマちゃんのフランシスも、今日は奥のテーブル席から出てこない。

 

 自分の店を持っているがゆえに、滅多に来ない男ではあったが、ラガーのたいていの常連は、クシラを知っていた。

 「おまえがもうちょっといかつい顔で、体格も倍くらいだったら、俺の好みだったのに」

 クシラは残念そうに言い、グレンは「命拾いした」とだけ言った。クシラはカウンターを叩き、さっそく用件を口にした。

 「パエリア! パエリア食わせろ。アニタから聞いたぞ。美味いんだって?」

 そういえば、アニタの口から、よくクシラの名が出ることを、グレンは思い出した。

 「パエリアは、店で出しちゃいねえ。つくるとなると、時間がかかるが、それでもいいか?」

 「いいよ」

 そう言って、二カッと笑う顔は、アルベリッヒやルナたちの年齢とさほど変わりがないように見えるが、オルティスに、ラガーの経営を教えた指南役ということは、二十年以上前から、この船内にいることになる。つまり、四十歳は超えているはずだ。

 「じゃあ、ちょっと待ってろ――おい、オルティス、ビビってねえで、接客しろ!」

 「お、おう……」

 店長が叱られていては、身もふたもない。オルティスは、カウンターの影から、ようやくそのでかい図体を起こした。

 

 今は昼間だから、パエリアをつくる時間はある。夜になって混んでたら、無理だが。

厨房に引っ込んだグレンを、ビールを呷りながら、クシラが追いかけて来た。またたく間に一本飲み干し、あたらしいビールを勝手に開け、さっきの瓶にねじ込まれていたライムを取り出して、あたらしい瓶に突っ込んだ。

 

 「なあ、俺ァ、うさちゃんに会いてえんだ」

 「はァ?」

 パプリカを刻んでいたグレンが顔を上げた。

 「おまえの屋敷にいる、うさちゃんに会いたい」

 今度ははっきり言った。

 

 「来たらいいだろ」

 別に、ヨソ者立ち入り禁止にしているわけではない。

「アニタのヤツ、最近、ちっとも店に来やがらねえ」

 「そりゃ――取材に忙しいんだろ。今日もたぶん、K33区だぜ」

 「いいや――おまえらのカオス屋敷に住みはじめてから、来なくなった――あそこは、そういうところだ――知ってる」

 「おまえ、酔っ払ってんのか」

 グレンはかまわず、玉ねぎを刻んだ。野菜を刻んだら、鶏肉だ。クシラもかまわず、話しつづけた。

 「やっとアニタがおまえらの屋敷に住みはじめたっていうから、俺は期待して待ってたんだ。いつ、お誘いがかかるかとな――カオス屋敷の、奇妙なティー・パーティーに」

 

 グレンは、そういう意味不明な物言いには慣れていた。ルナのせいで。まったくもって、ルナのせいで。ルナはもっとカオスだが、コイツはルナと同系色の人間だ。

 「カオスはおまえだ」

 「しかたがないから、俺がオルティスに会いに来た。ここには、おまえがいるからな、グレン」

 いつのまにか、クシラが隣にいて、勝手にライムを切っていた。グレンは彼のつむじをのぞき込んだが、髪は芯まで真っ赤だった。

 「俺には、キュートなうさちゃんの姿が見えねえ」

 「俺には、おまえの言っている意味が見えねえよ」

 グレンは、オリーブオイルをたっぷり引いて、ニンニクの色づき具合をたしかめた。刻んだ野菜と鶏肉を炒める。――そして、米をぶち込む。グレンは熱心に、米を炒めた。アサリとエビを並べ、冷凍イカを出してきた。

 「なあ、ムール貝ないけど、いいか」

 「いいよ。ああ――ワインのいい香りがする。バターもうひとかけ入れて」

 「今入れたら香りが飛ぶ。仕上げに混ぜるんだ」

 「なるほど」

 クシラは、だまって、横でグレンの手作業を見ていた。スープとサフランを入れ、ふたをするときまで。それから、ようやく言った。

 

 「俺のうさちゃんには、きっと、おまえのうさちゃんが逢わせてくれる」

 「……」

 グレンは、判断に苦しむ顔をした。だが、こういったときに言えばいい言葉は分かっていた。

 「ようするに――なんだ? 俺はなにをすればいい?」

 クシラはすかさず言った。

 「俺を誘ってくれ。おまえたちが住む、カオス屋敷に」

 「それでいいのか?」

 「ああ。だが、俺は信じない。おまえが俺を誘い、パーティーの日は、かならず俺を迎えに来て、屋敷まで連れて行かないかぎりは」

 「――えーっと」

 グレンは、眉間を押さえた。

 「おまえたちは、“ルナ”のそばにいることの貴重性が分かっていない」

 クシラは切なげに言った。

 「あのアニタでさえ、ルナに会うのにどれだけの時間を費やしたか。ほんとうなら、アイツはとっくに会っていてもよかった。おなじK27区に住んでいたんだぞ? 友人も共通し、ルナと行く場所はほぼ同じ。なのについ先日まで会えなかった。これが偶然だとでも?」

 「……」

「俺はアニタにアドバイスした。ルナに本気で会いたいなら、リズンに通え。労を惜しむな。でないと、決して会えないぞと」

 そう。クシラのアドバイス通り、アニタは一日に十回も、リズンに足を運んだ――そして、ようやく会えたのだ。

グレンは、仕方なく言った。

 「ルナに会いたいなら、俺が逢わせてやるよ」

 クシラはゲイだ。ルナに近づけても、アズラエルも文句は言わないだろう。

 

 「カンタンに言ってくれるよな」

 クシラは肩をすくめた。

 「“遊園地のチケット”を何枚持っていたって、なかなか会うことができない女なんだ――まあいい、ただでとは言わない。俺も彼女に会うため徳を積むことにした――おまえを守ってやる」

 「え?」

 「クラウドがイノセンスに勧誘されたら、おまえの立場もまずくなるぞ。軍事惑星の情勢次第では、おまえの身柄を要求されることがあるかもしれない――クラウドはイノセンスにいる以上、おまえを差し出す道も選ばなくちゃいけなくなる。まあ、クラウドはイノセンスには入らんだろうが――“別ルート”で、入るなとクラウドに忠告はした。言っておくが、軍事惑星では、かくじつに“ドーソン狩り”が起こる。おまえだってぜったい、無事じゃすまない。つまり、俺がおまえを守ってやる」

 グレンの口が開いていた。

 「おまえみたいなキュートな“子ネコちゃん”のために、俺も骨を折ろう。女のためにはまっぴらだが」

 「……」

 「あたらしい戸籍と苗字を用意し、まるで別人として、地球に住まわせてやる」

 

 「お、おまえの気持ちは嬉しいが」

 グレンはいまいち、理解していなかった。

 「ルナに会うだけだっていうのに、そこまでしなくても、」

 「だからおまえらは、ルナに会えることの貴重性が、わかっていない」

 クシラの口調は、ついに「やれやれ」というため息交じりになった。

 

 「俺たちは、会いたくても、なかなか会えないんだ」

 「は?」

 



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