いきなりクシラは、飲みかけのビールを差し出した。

 「飲め。――十秒以内だ」

 グレンは首をかしげて瓶を受け取った。グレンの手のひらにおさまるような、375ミリリットルビールの瓶。グレンが一気飲みできない量ではない。

 

 「こんちはーっ! ビールケース持ってきましたけど!」

 裏口から声がして、グレンはあわてて走った。金を渡し、ビールケースを受け取り、もどってきたグレンに、クシラは言った。

 「十秒たったぞ」

 「今のはナシだ。だって、呼ばれたし」

 グレンがふたたび瓶に口をつけようとすると、客から呼ばれた。客の注文に応じ、もどってきたグレンがふたたび口をつけようとすると、オルティスから声がかかった。

 次は、客。またしても客。

客、客、客――。

 

 「いいから飲ませろ!」

 さすがにキレたグレンが、客から呼ばれても無視して瓶に口をつけると、中身は空だった。

 「!?」

 クシラが笑っていた。

 「ゲーム・オーバーだ」

 「おい! てめえが飲んだな!?」

 「ちがう、俺じゃない。さっきおまえの代わりにもどってきたオルティスが、水代わりに飲んでいった」

 「……!!」

 グレンが怒りを込めて、オルティスの大きな背中をにらんだが、クシラは淡々と言った。

 

 「俺たちが、ルナに会えないというのは、こういうことだ」

 

 グレンは絶句し――クシラはあたらしいビールを手にしていた。六本の瓶が転がっている。クシラは最後のライムのひとかけをねじ込み、「あっ!」と叫んだ。

 「パエリア! 焦げてる!!」

 グレンははっとして、火を止めた。クシラは「焦げくせえ」とかなしげな顔をし、あきらめたように嘆息した。

 「いいよ、俺、おこげ好きだし――自分を責めるな」

 「そこまで責任感じてねえよ――わかった、わかったよ――今夜、俺と一緒に来い。屋敷に連れて行く」

 火を止めて、蒸らす時間をタイマーにセットしたグレンは、念を押した。クシラの顔が輝く。

 「ほんとうか!?」

 「今日は、六時で上がりだ。それまで、パエリアを食いながら、オルティスのケツでもながめてろ」

 グレンは、焦がしてしまった失態がくやしいあまり、哀れな店長を売った。

 「最高の時間だ!」

 クシラはおおげさに両手を広げた。

 

 

 

 「なんだこりゃ」

 「だから言ったろ」

 屋敷に帰ったグレンを待ち受けていたものは、むさくるしい男所帯だった。なぜか、女という女が、屋敷から消えうせていた。

 「偶然にしてもほどがあるだろ」

 「偶然じゃない、そうなっちまうんだ」

 クシラはかなしげに言い、ルナがいないキッチンを眺め渡した。

 

 ――クシラはルナに会えなかった。

 グレンは約束どおり、ラガーを六時ちょっとすぎに出て、クシラのバイクの後ろに乗せてもらい、K27区の屋敷に帰還したが、ルナはいなかった。ルナどころか、屋敷の女がすべて消えうせていた。

 

 「めずらしいな――どうして今日に限って」

 グレンの言葉はウソではない。ルナたちは、この屋敷に引っ越してきてから、まったく外食はしていなかった。

 「ルナちゃんたちは、四人で話し合いたいことがあるって、マタドール・カフェに行ったよ。キラリちゃんもいっしょ。それから、アニタちゃんとセシルさん親子は、K33区の宴会に招かれてる。サルビアさんとアンジェは、アントニオと食事。――あ」

 セルゲイは、一羽、女の子をカウントしていないことに気づいた。

 「ごめん、サルーンもルナちゃんたちと女子会」

 「女子会……」

 タカ一羽でさえ、女がいなくなるということは、屋敷をこれほど殺風景にするものなのか。

 

 「おかえり、グレン。今日はバル風だよ」

 酒ばかり飲む集団の夕食は、酒のつまみと酒だった。それでも、アルベリッヒがつくる惣菜に、ハズレはない。

 「おまえら、旨そうなモン食ってるんだな」

 キッチンのテーブルを見て、クシラが感心したように言う。

 ダイニングテーブルには、この屋敷の男のメンバーだけが集まって、いつもよりしずかな夕食を取っていた。今日はツキヨたちもいないし、シシーたちも来ていない。

 ピエロはアズラエルが膝に乗せていた。まるでビールジョッキでも飲み干すようなゴッキュゴッキュという音が響いている。

 「お客さんだ!」

 ピエトが叫んで、席をずらした。

 「ここにおいでよ」

 

 「おまえだれだ?」

 アズラエルが、クシラを見て言った。

 「あ、ああ、コイツは――」

 グレンが紹介しようとしたが、クシラが自分で言った。

 「俺はクシラだ。K07区のふもとで、『宇宙(ソラ)』ってゲイバーをやってる」

 クラウドがビールを噴いた。

 「あ、あそこってゲイバーだったの!?」

 「おまえ、見たことあるな。一度ウチに来ただろ」

 クシラは恐ろしく自然に、空いた椅子に腰かけ、メンズ・ミシェルからビール瓶をもらった。グレンも座った。自分の席に。

 「あそこ、看板がなかったよね?」

 「ねえよ。昼はカフェ、夜はゲイバーだ」

 「ゲイバーってなんだ?」

 ピエトが尋ね、アルベリッヒとセルゲイとロイドがおそろしく動揺したあと、クシラはニッと笑って言った。

 「そうだな――オルティスが、可愛い子グマちゃんに変化する場所だよ」

 「オルティスが子グマ?」

 ピエトは首をかしげた。

 「オルティスさんは、ワニだろ――「そういや、クラウド」

 クシラが来た用件を知っているグレンだけが、話題をそらすことに成功した。

 「このなかで、ウサギって、ルナ以外にいるか?」

 「うさぎ?」

 グレンが言っているのは、ZOOカードのことだろうか。クラウドが言うまえに、ピエトが手を挙げた。

 「俺もウサギだよ!」

 「おまえが?」

 ウサギの名にクシラは反応し、じーっとピエトを見つめた。ピエトをクシラの毒牙にかけたくないアズラエルパパはひとりハラハラしたが、クシラは肩をすくめただけだった。

 

 「コイツじゃない。俺が探してるウサギは――それにまだ、ガキじゃねえか」

 「うさぎは、ウチに、ルナちゃんのほかはピエトしかいないよ」

 「そんなはずはねえ」

 クシラははっきりと言った。

 「ルナとコイツのほかに、うさぎがいるはずだ」

 「だとしたら、俺が知らないZOOカード――アルか、アニタってことになるけど」

 クラウドは、まだアルベリッヒとアニタのカードの名は聞いていなかった。

 「君、いったい何者なの? どうしてZOOカードのことを知っている?」

 クラウドの台詞に、おとなたちははっとしてクシラを見た。最近、あまりにも自然にZOOカードの話題が上がるものだから、気にも留めていなかったが、ふつうの人間は、ZOOカードのことは知らない。

 



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