「いやああああ! 無理! 怖い! ヤバい! 上がりたくないイイイイイ!!!」 翌日午前十時――真砂名神社の階段手前――アニタは絶叫しながらルナにしがみついていた。 「この階段、なんだか分かってるの? 前世の罪が裁かれる階段なんだよ!? 怖すぎて上がれないイイイイイ!!!」 「裁くじゃなくて、許してくれる階段ね」 ルナは言い直したが、アニタのいうことも、あながち間違っていない。前世で悪いことばかりしていれば、それだけ階段を上がるのがきつくなる。極めつけが、「地獄の審判」だ。 「あたしきっと、ヤバいことばっかしてきたから! ぜったいロクなことしてきてないから! 上がったらヤバいことになるってぜったい!」 「……」 ルナは、ナキジンのほうを見た。 これほどまでに嫌がるのだから、もしかしたら、「地獄の審判」になるのではないかと、心配になってきたのだが――。 「おまえさんは、ただ臆病なだけじゃ! ええから、ちゃっと行って、神さんに挨拶して、ちゃっともどってこい!」 ナキジンは呆れて言った。ルナは念を押した。 「ほ、ほんとにだいじょうぶかな、おじいちゃん。地獄の審判にはならない?」 「地獄ゥ!?」 アニタの顔が真っ青になったが、ナキジンは「ハッ!」と笑った。 「ZOOカードは“元気な白ツル”じゃって? 地獄の審判になるようなヤツは、まず、そんな呑気な名前をもっとらんでの」 「そもそも、地獄の審判が課せられる人物は、世界を動かすような逸材じゃ。おまえさんが階段を上がったところで、雨も降らんわ」 カンタロウもカラカラ笑った。 「アニタさん、この階段を上がったら、フツーにカレシができるようになるのよ!」 「あたしもロイドと一緒に朝一番で上がってきたけど、ほんと、山登りするぐらいの感覚だから!」 「だいじょうぶ! がんばって! みんな見守ってるから!!」 リサとキラ、レディ・ミシェルもアニタを励ました。階段の下には、ルーム・シェアのメンバープラス、クシラとナキジン、カンタロウがいた。ベッタラは二日酔いで寝ている。 まだ冬休みなので、ネイシャとピエトもいた。ピエトは、今日学校に行くのをやめて、アニタの応援のためにここにいる。 「アニタ姉ちゃん、がんばって!」 「よしピエロ! アニタ姉ちゃんを応援しろ!」 「だ、だ、あ!」 ピエトの背中で、ピエロもなにか叫んでいた。 「とっとと上がれ」 「むううりいいいいいあがれなああああああ!!!」 ついに業を煮やしたクシラが、アニタの襟首を引きずって、階段のほうへ投げ飛ばした。この細い体のどこからこんな力がでてくるといったほどの膂力だった。 「てめえええ役所に言いつけてやるクビにしてやるうう」 アニタの悲鳴がとどろきわたる。クシラは鼻で笑った。 「俺がクビになるより、てめえが宇宙船をおりるのが先だ」 クシラの首を真横に、親指が線を引いた。 「すみませんクシラ様!」 アニタは一段目で腰を抜かしていたが、アニタを引きずったクシラ自身も一段目に上がっていた。 「いやもう――あたし、今日つかれることしたくない。二日酔いなの、マジで。わかる?」 アニタはぐったりと二段目に突っ伏した。それをクシラが、ゴツいブーツで足蹴にしている。 「ジジイが言ったろ。さっさと上がって、もどれってな。ほら上がれ」 「無理……」 「これだから、L5系のお嬢様はよう」 「なにか言ったか!?」 アニタはがばっと飛び起きた。クシラは、やれやれといった顔で、大げさに肩をすくめた。 「L5系のお嬢様は、根性なしって言ってンだよ」 「だっから! そういう、出身地でひとを見下すなってあれほど――!!」 アニタは憤慨したように起き上がり、怒りまかせに、階段を上がりはじめた。 「L5系だからって、だれでもお嬢様ってわけじゃねえんだよ!!」 憤慨しつつ十段、いきおいよく上がったはいいが――すぐにガクリと膝をついた。 「か、身体が重い……」 二日酔いのせいだろうか。とにかく身体が重い。体重が一気に10キロほど増えたような感覚だ。 「太ったんだろ」 「自覚はある! 自覚はあるけど、女の子に体重のこと言わないで!」 アニタは叫んだ。叫ぶのもつらそうだった。肩が、上下に揺れている。 「アルもルナちゃんも、アズラエルさんも、つくるごはんが美味しいからなあ……」 ふだんなら、この程度の坂道や階段は、威勢よく上がっていくアニタだ。彼女は、あまりにも果てしなく見える階段の頂上を、ぼんやりと見つめた。 二日酔いで会社に出勤したことはザラにあるし、社会部の記者だったころは、吐きそうになりながらも人ごみに飛び込み、取材してきたこともある。だが、今日はやる気も出ないし、一歩も動きたくなかった。 昨夜の失恋が、だいぶ尾を引いている――彼女はそう思っていた。 「おまえ、そのツラでさらに太ったら、もう彼氏ができる見込みないぞ?」 「あんたは言っていいことと悪いことの区別もつかないの!!」 言いながら、アニタは、クシラの言葉にいちいち奮起されたように立ち上がっては、一段ずつ上がっていくが、すぐに倒れる。 「まじつらい……」 「シャキシャキ上がれ。根性なしのお嬢様が」 「だまれホモ野郎!」 いちいち足蹴にしてくるクシラの足をつかんで転ばせようとしたアニタだったが、無理だった。顔面にクシラの極厚底ブーツがめりこんだ。 「おまえ、ほんとにあたしのこと女だと思ってないだろ!?」 ヨレヨレのTシャツで顔をぬぐうアニタに、クシラは平然と言った。 「だから、人類に認定してねえ」 「チクショー!! 彼氏できたら覚えてろ! おまえがうらやむような、イケメンのカレシつくってやるからな!!」 「俺がうらやむようなって――アルみてえな?」 「キズをえぐるな!!!!!!!」 クラウドとグレン、アズラエルは、アニタとクシラの掛け合いを呑気に観察していた。 「アイツ、アニタを乗せるのがうまいな」 「協力するといっただけはある」 「あの調子で、最後まで上がれそうだな……」 この三人とは真逆に、リサたちは、ハラハラした顔つきで、アニタを見守っていた。 ぜいぜいと肩で息をしながら、アニタは三段上がって膝をついた。 「ホゲ……ヘゲッ、ウボオ……」 「何語しゃべってんだ。はやく上がれ」 「いや、あのさ、やっぱ今日無理だわ、降りていい」 「あァ?」 アニタは、すさまじい労力で一段上がり、また突っ伏した。 「今日はほんとにダメみたい――体調悪いのよ」 「いつ上がったっていっしょだ」 「一緒じゃないわよ」 「おまえは、“二日酔いのときに”上らなくちゃダメなんだよ」 「なにそのリクツ」 アニタは、呼吸を整えながら、階段に大の字に寝転がった。 「階段上がればカレシできるっていうけど――べつに、こんな無理してまで、カレシ欲しくないし」 「おまえ、きのう絶叫しただろ。およめさんになりたいって」 「それは、お嫁さんになりたいけどできればであって、とりあえず今の生活には満足してるし、あのお屋敷楽しいし、ご飯美味しいし、新しい友達もできたし――それでいい。あたし、ゆるい生活送りたいっていうか、今の生活にかなり満足してるし、それでカレシってかなり贅沢な願いでありますというか、とにかく降りたい」 「……」 「ゆるゆるでいい! ゆるくていいの――あたしは、」 「ゆるい生活を手に入れるのにも、それなりの努力がいるんだよ。全力で上がって、願い通りのゆるゆる生活を手に入れてみせろ」 「それゆるくないからね!? ただの体育会系だからね!? なんで原住民ってそんな体育会系ばっかなの」 「おまえこそ、出身地でひとを見下すんじゃねえ」 「跳び箱飛べないくせに!!」 「跳び箱ってものに、お目にかかったことがねえだけだ」 掛け合いは続いているが、アニタが上がる速度は目に見えて落ちている。身を起こすのもやっとのようだ。クラウドが、つぶやいた。 「これは、想像以上にきついみたいだな」 「……案外、前世は悪党か?」 グレンが笑い、アズラエルはあっさり言った。 「二日酔いがきついだけじゃねえのか」 あきらかに、アニタの様子はおかしかった。 「ね、ねえ、おじいちゃん。だいじょうぶかな?」 ルナが不安げにナキジンに聞いたが、ナキジンは言った。 「あれが“ふつう”じゃ」 「あれがふつうじゃから、だいたいの人間が、上がり切れなくて途中で降りるか、わしらに助けだされるっちゅう始末になる」 カンタロウも言った。 「ルナちゃんたちも、地獄の審判を見たからわかるじゃろ?」 「だいたいの人間が“根性なし”なんじゃ」 「雷が降ってくるわけでもない、火の玉が降ってくるわけでもない。ただ、身体が重うなるだけ。それだけなのに、上がり切れん人間はぎょうさんおる」 「上がり切れんからと言って、死ぬわけでもないからのう。ははは!」 「べつに上がり切れん人間が、あとでどうこうなるわけでもない。ただ、上まで上がれば、神さんが大きな罪を減らしてくださる。それだけのこと。ぜんぶ自己責任じゃよ。上がり切るも、上がりきらんも、途中でやめるも、やめないも」 「言うておくが、ここにいる皆はだいたい、あれより重い状態で上がっとるんじゃ」 カンタロウが、同じく不安そうにアニタを見つめているレディ・ミシェルの肩を叩いてはげました。 「……」 ナキジンの話を聞いていたキラとリサは、さらにアニタを応援すべく、「ファイトよ! アニタさーん!!」と階下から絶叫した。 |