「オボエっ……ヤバい、もう動けない……」

「なにが欲しい? 水か、食い物か」

「降りたい……」

「却下――おい、水くれ!!」

クシラが、階下に向かって叫ぶ。クラウドより先に、アルベリッヒが動いていた。自動販売機で水を買い、階段を駆け上がろうとするが、いきなり止まった。思うように、足が動かないようだ。

「アルも、もしかして、はじめてか?」

それを見て、クラウドがつぶやいた。

アルベリッヒは減速したが、息を切らせつつも、大股で階段を駆け上がる。

「あの兄さんは、体力も根性もありそうじゃのう」

カンタロウが口笛を吹いた。

 

アルベリッヒは、肩で息をしながらも、またたくまにアニタが倒れ伏している場所まで駆け上がった。アニタは、なんだかんだ言いながらも、真ん中あたりまで上がってきている。

「アニタさん、はい、水。飲んで」

へとへとで倒れ伏しているアニタの口元に、ふたを開けて持っていく。

「アル~……やざじい……」

「わたしが支えるから、がんばって上がろう?」

「え? う、うん……」

アルベリッヒは、アニタに肩を貸した。フラフラのアニタを立たせ、彼女の左腕を自分の肩に回し、完全に支える形で立ったが――足を一歩踏み出したとたん、「ウッ!」とうめいた。

「ど、どうしたの、アル……」

「え? あ、いや、」

「重いんだろ?」

クシラがニヤリと口端を上げた。

「え!? あだじ、ぞんなにおぼい!?」

「だ、だいじょうぶ――軽いよ」

アルベリッヒは強がったが、顔は歯ぎしり寸前だった。アルベリッヒは、うめきながら、アニタを支えて五段上がる。

 

「なんだか、アズたちがこの階段を上がったときと似てないか?」

クラウドが、ちょっぴり真剣な顔になってきた。

「アストロスに、アニタの百メートル級石像があるってのか」

グレンが苦笑したが、クラウドは言った。

「君のせいで、ニックとアニタの結婚が遅れたんだから、責任とって助けに行きなよ」

「あァ!?」

グレンはなんで俺が、という顔をしたが、アズラエルもメンズ・ミシェルもグレンを見ているので、しかたなく、コートを脱いだ。Tシャツとジーンズ姿になって、かるく足踏みしてウォーミングアップし、一気に階段を駆け上がろうとかまえたところで――真っ黒な壁に阻まれた。

 

「ぶっ!!」

大柄なグレンを壁となってはばめる男など、バーガスがいなくなった今、ここにはひとりしかいない。

そう――真っ黒な壁は、よりにもよって、セルゲイだった。

 

「な……え!?」

『ひとりで上がらせなさい』

セルゲイの口から、だいぶ低い声が出た。その声に聞きおぼえがあったのは、古くからのルーム・シェアメンバーのみだった。

「でも、だいぶ辛そうだ」

メンズ・ミシェルが、セルゲイに訴えるように告げたが、

『ただの二日酔いだ』

夜の神の口から、二日酔いという言葉が出てくる日を、だれが想像しただろう。

「うん! アニタさんがきついのは、二日酔い! 二日酔いじゃないときに上がればよかったんじゃないって、うさこがゆってた!」

「「「「「「いまさら!?」」」」」」

ルナの台詞に、階下の全員が突っ込んだ。

 

『いいや?』

シャツこそ白いカッターシャツだったが、ジャケットもパンツも革靴も真っ黒のセルゲイは、不気味な笑みをこぼした。ふだん、黒はほとんど着ないし、腕時計以外はまったく装飾品を身につけない男が、ネックレスや腕輪などをつけているからなにごとかと思っていたが。

『“いま”上がらねば、罪は消えん――おもしろいものを見せてやろう』

夜の神は、ルナに言った。

『ルナ、“黄金の天秤”を持っておいで』

 

 

 

「は、は、はあっ、……ううっ!」

アルベリッヒが、膝をついた。ようやく、十段あがることができた。アルベリッヒの真っ赤な顔を見て、さすがにアニタは言った。

「ア、  アル、もういいよ――ありがとう、あとはあたしひとりで上がるから、」

あわてて礼を言い、アルベリッヒから離れた。

 

「アル、おまえ、この階段上がったことないんだろう」

アニタに対する声とは百八十度ちがう柔らかな声音で、クシラが聞いた。

「え? う、うん……そうだけど、なにかまずかった?」

アニタを降ろしても、身体の重さは変わらない。アルベリッヒは膝に手をつき、荒い息を整えていた。

アルベリッヒも、この階段を上がるのは、今日が初めて――つまり、アルベリッヒには、アニタプラス自分の分の罪過の負荷がかかっていたわけだ。

サルーンが心配そうに様子を伺い、上空を旋回していたが、やがて、階段ではない脇道へ羽根を降ろした。サルーンに向かって、クシラは微笑んだ。

 

「そうだ。おまえは賢いタカだ。あとでアルベリッヒが、おまえを肩に乗せて上がれるようにしてやるからな」

言いながら、クシラは、ひょいとアルベリッヒを抱え上げた。横抱きに――つまり、お姫様抱っこというやつである。

「!?」

アルベリッヒも口をあけたが、アニタも口をあけた。

クシラは、自分の倍もありそうなアルベリッヒを横抱きにしたまま、軽々、階段を上がっていく。

その様子を、階下にいた者たちも、あっけにとられて見つめた。

「力持ちの兄さんじゃのう……!」

ナキジンがほえーっとおかしな声をあげて叫んだのに、「突っ込むとこ、そこじゃないと思う!」と叫び返したのはキラだった。

 

「ちょ、ちょおおおおおおそれはないでしょおおおおおお」

アニタの口と目と鼻から、やはりいろいろなものが間欠泉のように噴きだした。。

「あんた! あたしのこと足蹴にしておきながら、それはないでしょ!!」

アニタの絶叫もよそに、クシラはアルベリッヒを抱きかかえたまま、足取りも軽く、頂上まで上がった。

クジラにとって、ちっぽけなうさぎを運んで上がることなど、造作もないというわけか。

「ク……クシラさん!?」

「小鳥の羽より軽かったぜ、ハニイ?」

拝殿にアルベリッヒを降ろしたクシラは、そう言ってウィンクしてみせた。

 

「ず、ずるうううういいいいい!!!!! なんであたしは蹴飛ばしといて、アルはお姫様だっこなのおおおおお!?」

アニタが階段なかばでのたうっていた。

「あたりまえだ。アルは俺の恋人、てめえは未確認生命体」

「ホゴオオオオオオオオ!!!」

アルベリッヒがすぐさま助けに行こうとするのを、クシラが止めた。

「おまえは、あとでサルーンを抱えて上がらなきゃならない。だから俺が運んだ。体力は、妹のために温存しておけ」

「……!」

「あの根性ナシ女は、ぜったい自分で上がらなきゃならねえんだよ」

 

 



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