夕闇が迫ってきて、かがり火はますます存在感を増し、広場のあちこちに火がたかれはじめた。 「もしかして、夜通しやるんですかね」 アニタが、ようやく口にできた夕食――なぞの木の実を味わっていると、ニックが勧められすぎた酒のせいで、赤くなった頬をあおぎながら、言った。 「まさか! これは結婚式だもの。宴会は夜通しかもしれないけど、花婿さんと花嫁さんは、これから初夜だから」 「初夜!!」 アニタはおおげさに反応した。それを見たニックはあわてて――だが、すこし寂しげに、言いわけした。 「も、もちろんこれはホントの結婚式じゃないから、そこまでしないよ」 だが、アニタが残念そうな――ニックの錯覚ではなく、ものすごく残念そうな顔をしたので、ニックはびっくりした。 「そ、そうですか……ちょっと残念かも」 口でも言った。 「え?」 ニックは耳を疑い、「ええ?」ともういちど聞き直した。 「酔った勢いで言いますけどね、ニ、ニックさんがイヤじゃなかったら、その――初夜までセットでいいんですよ」 アニタは、どことなく投げやりな口調で言った。 「あ、あたしでよければ――ニックさんがイヤじゃなかったらですけど! も、もちろん記事にはしませんよ? アダルトになっちゃうし――つかなに言ってんだあたし、」 酔ってますね。 真顔になっているニックを見て、あわてて言いわけをした。 「だ、だれでもいいってわけじゃないですよ言っときますけど!? でも、こんな経験、もう一生できないだろうし、ニックさんみたいなレベル高いイケメンと、一夜だけでもって、そのくらいは、お、思ったっていいじゃないですかあ……」 ニックはとうとつに気づいた。アニタはそういえば、泣き上戸だった。だがアニタは、いつものように、なにもかもを間欠泉のように噴きだす泣き方はしなかった。 「しあわせだったなあ……今日は」 しみじみとつぶやき、ちょっぴり涙目で、夜になっても明るい広場を見渡すアニタに、ニックは胸がざわついた。 「たぶん、あたしがさんざん騒いだから、セッティングしてくれたんですよね。来月号の表紙用だって言ってるけど……きっとあたしのためだったんだ。すごくうれしい。ニセモノの結婚式でも、あたし、涙が出るほどうれしい」 ここまで用意するのが、どれだけ手間のかかることか。父も母も、叔母たちだって、こんなめんどうなことはしてくれまい。このあいだ友人になったばかりのアニタのために、ここまでしてくれる人たちは、会ったことがないとアニタは言った。 「こんな幸せな想いは、もうすることなんてないと思う。みんないい人だな……あたし、宇宙船に乗ってよかった。ルナちゃんやリサちゃんたちに会えてよかった。ニックさんにも」 そう言って微笑んだアニタはあまりにも綺麗で、ニックは言葉を失った。 「あたし、好きになる人みんなゲイで、自分はどうあっても、一生結婚できないと思ってたから――」 結婚式なんて、夢みたいだ。 おそらく一生無理だろうと思っていた結婚式を、こんな形で体験できて、おまけに、花婿役はこれ以上ないイケメンとくれば。さらに、大好きなアストロスの衣装を着て、結婚式ができるなんて――。 「ホントはこの衣装、セシルさんに着てほしかったんです」 だが、セシルには、「自分で着ろ」と言われたアニタだった。 「セシルさんが着てくれたら、すごく綺麗だろうなって思ってたんで……」 「……」 ニックは、ルナの言っていたことを思い出した。 アストロス時代、おそらくアニタは、ベッタラとセシルの結婚式に参列していた。次は、自分がセシルのように綺麗な花嫁になることを夢見て。だが、それは叶わなかった。ラグ・ヴァーダの武神の到来によって。かの武神が不幸にした娘は、こんなところにもいた。 アニタの夢だったのだ。ニックの花嫁になることは。今世のアニタは、結婚をあきらめていた。だからアニタは、セシルに花嫁衣裳を着てもらうことで、もう一度夢が見たかったのだろう――それを無意識下で望んでいたのではないかとルナは言った。 ニックは、前世は前世、今は今だと思っていた。ラグ・ヴァーダの武神のことはともかくとして、今世、アニタはアニタとしての生を生きる。彼女が幸福であれば、それでよく、今世も好きになってもらえるかは、また別の話だと思っていた。 なにせ、自分は結局、アニタを放って死んでしまったのだから。 ニックの中にも、罪悪感があった。だが、罪悪感で彼女を好きになったのではない。むしろ、罪悪感のせいで、アニタにはっきりと、言葉を告げられなかったのだ。 ひと目見たときから、好きだと思った子に。 (アニーちゃん) ニックは、なにもしらないアニタを見つめ、視線を落とした。 (ごめんね) ニックは泣きそうだったのをぐっとこらえて、照れくさそうに笑うアニタを、ぎゅっと抱きしめた。 「ニ、ニックさん?」 「本物の、結婚式にしようよ」 「――は?」 戸惑い気味のアニタに、ニックは真剣に言った。 「さ、さっきの誓いの言葉、ぼくは、本気で言ったからね?」 「!?」 アニタが、ふたたび固まった。 ――比翼連理の誓いをここに告げる。妻とともに、生涯よりそい、羽ばたくことを。 「妻」と「夫」の語句が違うだけで、自分も言った誓いの言葉を思いだし、アニタは沸騰した。 「い、いや、あたし、今日は化粧なんかしちゃってるけど、ふだんはゲテモノですよ!?」 妖怪おしゃべり女ですよ!? アニタは叫んだ。 「ゲテモノってなに!? アニーちゃんは可愛いよ! 最初に会ったときからそう思ってたんだから!」 「ウッソォ!?」 「ウソなもんか。ぼくだって、こんなおじいちゃん、君にとっては恋愛対象じゃないと思っ――」 「ニックさんのどこがおじいちゃん!?」 「だって、百六十越えたもの!」 「そ、それは、民族的に寿命が違うだけであって――ニックさんなんか、レベル高いイケメンですよ!?」 「そ、そんなこと言われたの、ぼくだってはじめてで――ぼくなんか、いつもしゃべりすぎってみんなに怒られるし、女の子にはモテないし、」 「それは、ニックさんの良さや優しさを、分からないヤツの言う言葉ですよ!!」 アニタは断言した。 「だれがなんといおうと、ニックさんはステキです! サイコーです!!」 アニタは身を乗り出して、絶叫していた。ニックが勢いに押され、尻もちをついている。 「ほ、ほんとに……?」 嬉しさのあまり、半分涙目のニックだったが、ふたりははっと我にかえった。妙にしずまりかえっていると思ったら、広場の皆が、新婚夫婦の席を注視していた。 アニタの声が、大きすぎたらしい。 ふたりが広場のほうを向くと、盛大な歓声があがった。それぞれの原住民の言葉で、祝辞が述べられる。 「そろそろ、時間だな」 クシラが腰を上げた。 「こっちだ」 「ど、どこにいくの……」 クシラに招かれ、ニックとアニタは、みなの喝さいを浴びつつ、広場を後にした。一軒のコテージまで歩かされたふたりは、見たとたんにそこがなにか思い当たって、とたんに顔を赤らめた。 式場と同じく、花とカラフルな布でかざられたコテージ。 新郎新婦のために用意された部屋だった。 「だれも、邪魔はしねえよ」 大広場は、朝まで宴会が続くだろうとクシラは言った。 「本物の結婚式にしろよ――ここまで凝ったんだから」 「クシラ……」 アニタのアイラインは、すでに溶け流れていた。 「しあわせになれよ――妖怪赤カバン」 「それホントにいそうだよ!?」 おまえがゲテモノとか妖怪っていうから、あたしのキャラが固定されちゃったじゃねえか! とさけぶアニタを置いて、クシラは背を向けたが、すぐにアニタの絶叫はやんだ。振りかえれば、あっというまにふたりはいなかった。 両想いと決まって、さすがにのんびり屋のニックも、のほほん顔をつづけるのも限界があったようだ。 (よかったな。アニタ) |