「あ――うわあ!!」

黄金の天秤のいちばんちかくにいたロイドが飛び上がって、離れた。

アニタのカードが乗っている皿に、真っ黒な瓦礫が、山のように積み重なっている。

『これが、最初の状態』

夜の神が手をかざすと、ガレキが、半分消えた。

『これが、今の状態だ』

アニタが一歩ずつあがるたび、アニタの皿は浮き上がっていく。瓦礫がサラサラとこぼれ、砂となり、消滅していく。

 

『階段の半分まで上がると、だいたいの大きな罪が許されて、“転換”がはじまる』

罪の第三層――前世の罪の大部分が消え、次の段階、第二層にはいっていると夜の神は言った。アニタの酔いどれ親父だったころの罪はすでに消えた。

 

アニタ自身は、真っ赤な炎につつまれていた。

「燃えてる――!?」

ロイドが真っ青になったが、

『“転換”が起こると、魂の姿が表れる。そうなれば、守護している神が力を貸す。アニタのツルは、太陽の神だ』

 

「おまえさんらも、はじめて階段を上がっとるときは、こうなっとったんじゃぞ? 神官あたりで、ものすごく“目”のいいやつは、こういった状態が見えたりする」

ナキジンが言った。カンタロウも、目を凝らして、様子を見ている。

「わしは見るのは初めてじゃ。今日は神さんがおるから、特別に見せてもろうたんじゃろうが」

 

第二層は、神の力がはたらくから、いったん楽になる――夜の神がそう言ったところで、

「ホゲアアア!!!」

奇声が階下まで聞こえて来たと思ったら、アニタが頭を抱えてぶっ倒れた。

「もうだめ……あたしはだめ……」

あと二十段というところで、やる気に満ち満ちていたアニタをどん底に突き落としたのは、頂上でアニタを見下ろしている、クシラとアルベリッヒだった。仲がよさそうなふたりを見たら、急にやる気が萎えたのだ。

「イチャイチャしないで……そこでイチャイチャしないで……やる気マジ失せる」

アニタは絶望的な顔でつぶやいたが、小さな声は、ふたりには届かなかった。

 

「チッ! 根性ナシが」

急に動かなくなったアニタを見て、クシラは吐き捨て、なにを思ったか、いきなりアルベリッヒの胸ぐらをつかみ、「ブッチュウウ♡」という擬音でもしそうなキスをした。

「悔しかったら、上がってこい――」

そう言って、アニタに向きなおったクシラだったが、アニタは完全に倒れ伏していた。

「うあああああん!!!ばがあああああああなんであだぢをいじめるのぼおおおおおう!!!」

そして、ついに号泣した。

 

「しまった、逆効果だったか」

クシラは舌を出した。隣では、アルベリッヒが真っ赤な顔でひっくり返っている。

「どうぜあだじなんがむりでずようづみなんがぎえまぜんよううう……がれじだっでいっじょうでぎないんだああああ!!!!!」

「……!」

クシラの「しまった」という顔。

アニタは泣きながら、ついに、トボトボと降りだした。

 

「ア、  アニタさん!!」

 レディ・ミシェルが叫んだ。

 「せっかく、あそこまでがんばって上がったのに――」

 「ヒギイイイイ!!! ブベエエエエエ!!!」

 すさまじいアニタの泣き声が、階下まで聞こえてくる。

 

 『第二層まで消えているが、最後の第一層がいちばんむずかしい』

 夜の神は冷静に言った。

 『魂が表面化するだけ、魂のキズが表れる。それを越えるのが、ひと苦労だ』

 ひと苦労と言いながら、たしかに、あと二十段なのだった。天秤には、こぶし大のがれきが残っているのみだ。

 

 「ア――アニタさんがんばって!」

 「あと、たったこれきりなのに……」

 「あとちょっとよ!!」

 リサたちは励ますが、アニタはまったく聞く耳を持っていない。遠吠えのような泣き声を響かせ、一歩、一歩と降りて来てしまう。

 

 「……」

 それを見ていたルナが、いきおいよくセルゲイの膝から飛び降りて、シャイン・システムに走った。

 「ぴぎっ!!」

 ルナはまっすぐ駆け、扉に激突した。夜の神が「あ」という顔で見ていた。アズラエルが冷静に、装置にカードを差し込んでやり――扉が開いた。ルナがそのまま、べちょっとシステム内に倒れ込んだところで、扉が閉まった。

 「ほんとに――期待を裏切らないな、ルナちゃんは」

 メンズ・ミシェルが、ぼうぜんとつぶやいた。

 

 

 

 階段の中腹で座り込んだアニタは、絶望の淵にいた。涙が止まらない。

 「どうぜあだじは、おんなのごじゃないでずよう……!!」

 未確認生命体ですよ……! Tシャツしか持ってませんよ――ジーンズ一週間履きつづけてますよ――リサちゃんたちみたく可愛くありませんよ――。

 「そうだ。あたし、一度も可愛いっていわれたことないんだった」

 アニタは一瞬正気にかえり、自分の言葉に傷ついて、ふたたび汽笛を鳴らした。

 「ボエエエエエ!!!!」

 元気がいいねとか、明るいねと言われることはあっても、そこが可愛いよねとは、一回も言われたことがないアニタだった。

 「アルみたいに可愛くありませんよおおおおおお」

 アルベリッヒが可愛い系に属するかはなぞだが、とにかくアニタは吠え続けた。

 

 「そんなことないよ。アニーちゃんは、可愛いよ」

 いつのまにか、アニタのひとりごとには、返事が返されるようになっていた。アニタは幻聴だと思っていた。

 「あたしだっていっぺんくらい、お姫様抱っこされてみたい……!!」

 「え? お姫様抱っこがよかった?」

 

 アニタは、だれかの背で泣きじゃくり続けていたのだった。

あったかくて、広くて、おおきな背――見慣れた、グリーン☆マートの制服。

 

 「ニッグ――ひゃん」

 ずびっと、アニタは鼻を啜った。ニックの優しい笑顔が、そこにあった。

 「お姫様抱っこするまえに、上がりきっちゃったね」

 アニタは、ニックに背負われたまま、拝殿にいた。

 よく考えたら、いつしか、クシラの暴言も消えていたし、リサたちの応援の声もなくなっていた。

 「到着~!」

 ニックの明るい声が、聞こえた。

 

 階下の黄金の天秤では、最後のがれきが、クズすら残さず消えうせ――羽を乗せた皿とアニタのカードを置いた皿が、平行の位置を取りもどしていた。

 アニタは、ニックの背にしがみついたまま、降りようとしなかった。ニックはコンビニの制服のままだ。最初はいなかった。だれかが、呼びに行ってくれたのだろうか。いつ来たのだろう。

アニタは、階下とニックを交互に見たが、下では、リサたちが手を振っているだけだった。ルナが、さっきぶつけた鼻の頭をさすりながら、「ぺげっ!」となぞのくしゃみをした。

 アニタは手を振りかえすことも忘れて、ニックに聞いた。

 「ニッグじゃん……あだぢをおんぶじで……あがっでぐれだの……?」

 ニックは満面の笑顔で言った。

 「うん。天使の羽よりずっと軽いよ! お姫様みたいだった!」

 「……!」

 お姫さま。

 アニタは、お姫様なんて、言われたことはなかった。

 「ホゴオオオオオオオオ!!!!!!」

 アニタは泣いた。ニックにあやされながら、泣いた。およそ、お姫様とはあまりにも遠い咆哮をあげて。

 

 



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