アニタは、ずっとクエスチョンマークを頭にくっつけたまま、浴室に移動した。

 (なにか、イベントでもあるの?)

 だれかの誕生日とか?

 アニタは考えたが、わからなかった。きのう、料亭まさなで、ルナが「プランW」とか言っていた。アニタは聞かされていない。

 (やっぱり、だれかの誕生日パーティーかな)

 しかし、風呂に入ることを強制される意味が分からなかった。

 (あたし酒くさい? におう?)

 たしかに昨夜は、シャワーも浴びずに寝たから、風呂は入りたかった。いつもアニタをきつい汚い着たきりスズメの3Kだというクシラなら、風呂に入れというのはわかるが、アルベリッヒまで。

 (やっぱ、酒くさいかも)

アニタはジャージの匂いを嗅ぎ、言われたとおり、いつもより念入りに身体を洗って、髪を洗い、浴室を出た。そこにはリサがいた。

 

 「リサちゃ、」

 「ハイ♪ 出張サービスの美容師、リサです♪ ご指名ありがとうございまァす♪」

 アンジェリカの「出張ホステスの間違いじゃ」という言葉にツッコミをあびせながら、リサは呆然としているアニタに、さっさとジャージを着るよううながした。アニタはやはり、不思議そうな顔をしながらジャージを着た。

 洗面所に、椅子とワゴンを置いて、即席の美容室をつくりだしたリサは、

 「アニタさん、髪、ちょっと切ってもいい?」

 とアニタの洗い上がりの髪を触りながら聞いた。

 

 「ええっ?」

 「こだわりとかあって、このヘアスタイル?」

 「う、ううん?」

 金と時間をすべて無料パンフレットの作成につかっているアニタは、髪も伸ばしっぱなし。放置しっぱなし。いぜん美容室に行った日が、思い出せないほど昔だった。こだわりなど、それくらい昔に捨ててきた。

 「じゃあ、あたしが勝手に、アニタさんに似合う髪型にしちゃっていい?」

 「う、うん」

 そこからはリサの独壇場だ。アニタの伸ばしっぱなしのボサボサ黒髪をカットし、整え、トリートメントして、ブローする。いつしかアニタは、気持ちが良すぎて、寝ていた。

 

 「アニタさん、起きて!」

 「フゴッ……」

 アニタは、めのまえの鏡を見て目を疑った。そこには、自分のものとは思えない、ツヤツヤサラサラの黒髪を持った女がいた。

 「!?」

 「アニタさん、髪、相当いたんでるよ! 最後に美容室行ったの、いつ?」

 「記憶にありませんわ……」

 「だろうね」

 リサは、アニタをつついて、椅子から立ち上がらせた。

 

 「次、あたしの番ね」

 美容室セットの後ろには、簡易ベッドの用意があり、キラが腕をまくっていた。

 「即席エステ、全身脱毛&お肌ピカピカ潤いコースでーす!!」

 「ええっ!?」

 アニタがおどろく間もなく、さっさとキラのエステがはじまった。そのあいだにも、サルビアとセシルが、せっせと美容室セットを片付けていく。切りっぱなしの髪を片付け、はさみなどの小道具をしまい、今度はワゴンに、メイク用具がならべられていく。このワゴンは、いつもキッチンで使われているものだ。

 アンジェリカが、リサとキラの助手役のようで、彼女は今度、キラのそばで、脱毛クリームを用意していた。

 

 「アンジェ、パッチテストしてからね」

 「うん」

 「い、いったい、なにがはじまるの」

 アニタはようやく、聞くことができた。一度も手入れしたことのない肌に、脱毛クリームが塗られていく。エステなど、初体験だ。脱毛が終わり、いい香りのするオイルが背中に垂らされるまで、アニタは口をあけたまま、されるがままになっていたのだが、さすがに聞いた。聞くしかなかった。

 

 「無料パンフレットの表紙撮影」

 キラがウィンクした。

 「は!?」

 「アニタさんなら、飛びつくと思ったんだけど。アストロスのお姫様と、天使の結婚式がテーマ!」

 「……!!」

 アニタは涎が垂れそうだった。取材ネタなら、まさしく垂涎ものだ。だが――。

 「お姫さま役は、セシルさんでお願いします!!」

 「なに言ってんの。あんたが身体を張りなさいよ」

 メイク道具を用意していたセシルが、寝そべったアニタの額を小突いた。

 「あだじ!?」

 アニタは目を剥いた。

 「あだじがおびめざまなんで――ムググググ!!!」

 「あなたはおとなしく、黙らねばなりません」

 サルビアが笑顔で、アニタの口を封じた。セロハンテープを、口の上に、バッテンの形に張る。

 「サルビアさん、けっこう容赦ない……」

 「姉さん、締めるとこは締めるからね」

 伊達にサルーディーバじゃない、とアンジェリカは重々しく言った。

 「ハイハイ~♪ 時間がないからシャキシャキ行くよ!」

 リサがメイク道具を装備したワゴンを引きずってきた。

 

 「エステ完了!」

 「ホゴッ……! すごい、自分の身体じゃないみたい……」

 自らセロテープを取り、立ち上がったアニタは、身体をながめて感激した。

 「あとで衣装着てから、ボディ用のラメ、つけるから」

 せっかく艶めいた肌となったのに、一週間洗っていないパジャマ用ジャージに袖をとおすのを、さすがにためらったアニタに、ルナがちょうど良いタイミングでバスローブを持ってきた。

 「あ、ルナちゃん」

 「お着替え!」

 「はい」

そしてふたたび、ぺぺぺぺぺと浴室を去っていく。

 

 「はあ……なんか、セレブみたい」

 「アニタさん、セレブ拒否症候群かもしれないけど、セレブとはほど遠いわよ。あたしたち、まだプロじゃないし」

 リサは言った。キラがつけくわえた。

 「リサは美容師としてはプロだよ! まだ旅行中だから働けないだけでさ。美容師試験は受かったんだから。でも、あたしはまだエステティシャンの講習のこってるし、リサも、メイクはまだ資格取ってない」

 

 「じゅうぶんだわ……ふたりともすごいよ」

 アニタは、感嘆しつつ鏡を見た。

 「おお、アニタさん、ずいぶん変身したね」

 レディ・ミシェルが顔を出した。

 「ミシェル、塗り入るよ~」

 「おっけ」

 リサとレディ・ミシェルふたりが、鏡の前に立った。

 「あたし顔やるから、ミシェル、ネイルお願いできる? 足もね」

 「まかせて」

 「アニタさん、眉くらい整えようよ~」

 「肌ガサガサ。キラ、なんかいいクリームない?」

 「ちょっと待ってて」

 「あの、いったい、なにがはじまるんですか……」

 遠慮がちに聞いたアニタに、サルビアが笑顔でセロハンテープを掲げたので、アニタは聞くことをあきらめた。

 

 



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