キラが昼食をつくると聞いたアズラエルは、今日の昼食はカレーで、ついでにそれが残って、夕飯にも食べられることを大いに期待していた。

 とにかくロイドの辛味に関する味覚が破壊的だったとしても、キラがつくるカレーは旨かった。店を開いて客を呼べるレベルであるのは間違いない。はじめてキラのカレーを食べたときは、さすがの彼も胃をやられたが、キラは普通の辛さのカレーをつくれないわけではないのである。

アズラエルはじゃがいもとレンズ豆のシンプルなカレーが好きで、キラにリクエストしておいたから、鍋のひとつはそれだろう。

昼食は、さっき、中央役所の食堂で、リサとセルゲイと一緒に取った。アズラエルだけが、屋敷に帰らず、まっすぐにK07区へ向かっていた。ひさしぶりに自家用車を運転して。

 カーナビをつかうこともなかった――店は、非常に分かりやすい場所にあった。山道の入り口、コンビニエンスストアとガソリンスタンドがいっしょになったつくりの、ずいぶん寂れた店構え。ドライブインというやつだ。ガラス張りの、店内がすっかり覗ける仕様の店舗は、入りにくいという印象は抱かないが、ほんとうにやっているのかどうか、疑わしい様子ではあった。

 乱雑に並んだ業務用テーブルと、パイプ椅子。会議室かここは、と口の中だけでツッコみながら、アズラエルは「営業中」の札が下がったドアに向かった。

 アズラエルは、外から、カウンターに立っているクシラのほかに二名、知った顔を見つけて、驚いてふたりの名を呼んだ。

 

 「ペリドット――アントニオ?」

 「やあ」

 「時間どおりだ」

 カウンターに座っているのは、ペリドットとアントニオだった。店内には、ほかに客はいない。クシラが言ったとおり、夜からゲイバーと化すが、日中は客がほとんど来ないというのはほんとうらしかった。

 「おまえら、クシラと知り合いなのか」

 アズラエルの問いには、クシラがしずかに答えた。アズラエルの分のコーヒーをドリップしながら。

 「ここ十数年ほどの、たいしたことない付き合いだ」

 「俺たちは、そんなに生きねえからな」

 ペリドットが言い、「単位が違う。だが、俺たちにとっては、長いほうかもな」

 「そうだね」

 とアントニオも言った。

 アズラエルは、その言葉で、クシラがおそらくナキジンたちと同様、寿命の単位が一ケタ違うであろうことを推測した。

 

 「俺を呼んだ用件は?」

 アズラエルをこの店に呼んだのはクシラだったが、ペリドットとアントニオが同席しているところを見ると、やんごとない事情であろうことは伺えた。

 「まあ、座れ」

 クシラはアントニオの隣の席を示した。ネルドリップで、丁寧ににしずくを落とした、時間をかけて抽出した一杯が、置かれる。アズラエルは座り、コーヒーを口にした。それがとにかく旨いことは、アズラエルにもわかった。

 

 「あと何日で、受講は終わる?」

 クシラは聞いた。

 アズラエルを含む屋敷のメンバーが、宇宙船の役員になるために通っている講習のことだろう。

 「俺は、あと二ヶ月くらいかな」

 地球に着くひとつきまえには受講が終わるように、予定を組み立てた。

 「あと、二週間で取れねえか」

 「!?」

 クシラの言葉に、アズラエルはコーヒーを噴くところだった。

 「二週間!?」

 「一日八時間とか、ギチギチに詰めて、なんとか二週間で受講を終わらせられないかってこと。夜間講習も手配しておくから、なんとか」

 アントニオまでそんなことを言いだしたので、アズラエルはさすがに文句を言った。

 「なぜそんなに急ぐ必要がある」

 「おまえを、地球に着くひとつきまえまでには、役員にしたい。そのためには、受講をあと二週間で終わらせてもらわなきゃならないってことだ。――こっちにも、いろいろ手配しなきゃならんことがあるんでな」

 ペリドットも言った。

 

 「俺がそんなにはやく役員になると、なにかいいことがあるのか」

 特典はついてきそうにもなかった。それどころか、面倒なことが待っている。アズラエルは直感でそう思った。

 「ひと仕事してもらいたい。グレンの件で」

 言ったのは、クシラだった。

 「グレン?」

 「仕事の詳細は、ギリギリまで教えることはできない。だが、おまえだってわかってるはずだ」

 クシラはカウンターに手をつき、アズラエルの顔をのぞき込んだ。

 「“すべてが終わった”んだってことは、魂がわかっていても、まだ心は引きずられてるってことがな」

 「……」

 なんとなく、クシラの言わんとすることは分かった。

 その引きずられた心とやらのせいで、アズラエルはラグ・ヴァーダの武神との決戦を前にして、宇宙船を降りた。アズラエルは、あの選択が間違いだったとは思っていない。だが、「最後のリハビリ」は終わった。アズラエルの心は、胸のど真ん中に落ち着いた。

グレンはまだ、過去からひっかけられた糸が、解けないらしい。

 

 「とにかく、君はなんとかして、二週間で受講を終えてくれ」

 アントニオは熱心に告げた。

 「分かった」

 傭兵としてのアズラエルを雇うのではなく、「派遣役員」のアズラエルに仕事をさせたいのだということは、分かった。依頼金三百万デルそこそこの金額を、この三人が払えないわけがない。傭兵が必要ならば、傭兵出身の役員はいくらでもいそうなものだが、そちらではダメらしい。

 アズラエルにしか、できない仕事だというわけだ。

 

 「それから、これはルナへの伝言だ」

 ペリドットはついでのように、口にした。

 「黄金の天秤は、たしかにおまえのものだが、そうそう、気安く扱うなよ、と」

 

 



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