「ぴぎっ!」 ルナはくしゃみをした。 「ぴ、ぺげっ――っぷし!!」 「ルナ姉ちゃん、だいじょうぶ?」 ネイシャが心配そうにのぞき込んだが、ルナの顔色は見て取れなかった。なにしろ、店内は暗いのだ。ひとの顔が見えなくなるほどではないが、ここはK12区、銀河商舎店内にある、プラネタリウム・カフェ。キラキラと天井からこぼれてくる星屑の光が壁やテーブルに映ってとても美しかったが、顔色まで伺える明るさではないのだった。 「だいじょうぶ――だれかが噂をしてるかも!」 ルナは言いながら、鼻をかんだ。 そういえば、今朝、サルビアが出かける前に、 「ルナ、黄金の天秤は、ゆめゆめ、軽々しくあつかってはなりませんよ」 とかつてのサルーディーバを彷彿とさせる口調で、ルナに言った。ルナは「うん!」と元気よく返事をした。そうしていたら、アンジェリカまでが、でかける間際、 「ねえルナ、黄金の天秤には、ちゃんと役目がくるときまで、触らないほうがいいと思う」 と言ったので、ルナはびっくりして、「……うん」とうなずいたのだった。 そもそも、黄金の天秤はクローゼットにしまいっぱなしだった。 先日、アニタが真砂名神社の階段を上がったときに、夜の神様に言われて持ってきた以外は、ずっとクローゼットに置いてあって、ルナは触っていない。 「……」 ルナは、そんなに心配しなくても、つかいかたも分からないし、うさこが来たときしか、きっとつかえないのに、と思いながら、ウェイトレスの声を聞いた。 「食後のお飲み物をお持ちしてよろしいですか?」 「はい! よろしいです!」 ほどなくして、ルナは銀河サイダー、ネイシャには、木星カクテルが運ばれてきた。ふたりはキレイだのステキだのと言いながらはしゃぎ、ルナは瞬く間に、天秤のことは忘れた。 ネイシャをこのプラネタリウム・カフェに連れて来たのはルナで、ピエロは本日、中央区のマンションで、ツキヨとリンファンに、もみくちゃに可愛がられているはずだった。 あまり元気のなかったネイシャが、店内に入るなり顔が明るくなったのを見て、ルナは連れて来てよかったと思ったのだった。 新しい屋敷に引っ越したその日に、相談に乗ってとネイシャに言われてから、ずいぶん経っていた。日々をピエロの世話に追われていたことや、みんなが講習に通いだしたこと、アニタとニックのことも含めて、なんだか妙に気ぜわしくて、ゆっくりネイシャの話を聞いてあげることができなかったルナだったが、気にはかけていたのだ。 今日は土曜日。学校も休みだったし、ルナはやっと、ネイシャを連れてでかけることができたのだった。 銀河商舎の雑貨をあちこち見て回ってから、店内のプラネタリウム・カフェに腰をおちつけ、ふたりでキッシュだのパスタだのが乗ったランチを食べ、おなかもいっぱいになったころ、ルナはおもむろに切り出そうとして盛大なくしゃみをした。 「あたしが恋の相談に乗れるかなあ。たぶん、恋はリサが百戦錬磨だと思うのだけども」 「え?」 「え?」 ネイシャが「え?」と言ったので、ルナも「え?」と聞き返した。 「え? ――あ! そか」 ネイシャは焦り顔で、あわてて言い直した。 「あの、えっと、あたしがルナ姉ちゃんに相談に乗ってほしかったのは、恋のこととかじゃなくって、」 「ちがうの!?」 ルナの早合点だっただろうか。ルナは、あの夢を見たこともあって、ピエトとの恋愛相談かと思っていた。それとも、新しくできた彼氏のことか。 ネイシャは顔の前で両手を振り、 「ちがうの――あ、このあいだできたっていったカレシはね、――カレシっていうか、その人とはもう、別れたから。あたしがルナ姉ちゃんに相談したかったっていうか、聞きたかったのは、あの、」 「……」 ネイシャはおずおずと、言った。ルナのほうを見ずに。 「その――ZOOカードで占って欲しかったの。あたし――あたしにも、その、運命の相手って、いるのかなって――」 「え?」 ルナが聞き返すと、急に、ネイシャの声色が、しずんだ。 「こんなあたしでも――恋なんて、できるのかな」 ルナはやっぱり、恋愛相談だと思った。でも、ネイシャが、ほんとうに聞きたいことはなんなのか、まだ分からなかった。 ちいさな騒めきと、星屑がきらめく店内で、ルナはネイシャの話を聞いた。 ネイシャがあのとき――新しい屋敷で再会したとき、「彼氏ができた」といった相手は、アストロスでほんの一週間つきあっただけの、マルカ出身の少年だということが分かった。 ネイシャが、オルティスやアンと一緒に、アストロスのメンケント・シティに避難していたときに出会った、おなじホテルに宿泊していた十七歳の少年、ビリー。彼と関係を持ったことも、連絡先を交換したことも、ネイシャは母親に話せなかった。いまも話せていない。このことを知っているのは、アンだけ。 みんながアストロスや宇宙船で頑張っていたのだ。はじめての恋人に浮かれている場合ではないと、思ったこともあった。しかし、アンはネイシャの行動を止めなかった。オルティスは鈍いから気づかなかったが、アンは気づいていた。そして、ネイシャの恋を応援してくれた。 「ビリーはたぶん、軽いタイプのヤツだと思う。おっきくなったら、ミシェル兄ちゃんみたいになるかも」 ルナは、メンズ・ミシェルが軽いタイプに見えているということに驚いたが、ネイシャが、そういうタイプの男性と、あっさり関係を持ったということも驚いた。 「口説きなれてたもの。たぶんね、あたしは、避難先での暇つぶしだったんだと思う――でも、そうでもないのかな? あのあとも、何回か連絡が来たし」 けれども、ネイシャは、ビリーが寄こした電話に、一度も出なかった。 ビリーという十七歳の少年は、マルカ生まれの裕福な少年で、アストロスへは家族で旅行に来ていたのだった。運悪く、メルヴァの到来という災難に巻き込まれたが、交通が回復したあと、すぐさま両親とともにマルカに発った。 ネイシャの話を聞く限りでは、ビリーは本気でネイシャと付き合いたいと思ったのかもしれない。けれども、ネイシャはビリーの連絡先が入った携帯電話を、捨ててしまった。 アストロスに避難する前に、母親に買い与えられた携帯電話を、ネイシャは宇宙船にもどる前に捨ててしまった。恐ろしくなったのだという。 「よくわかんない。あたし、おかしくなってたのかも。だって、いい奴だとは思ったけど、ビリーのこと、好きなわけじゃないし。でも、――べつにどうしても、だれかと寝てみたかったとか、そういうんじゃないんだ」 カッコイイと言われることが多いネイシャは、学校で憧れられはするが、女性として口説かれたことはないとルナに言った。ネイシャはピエトが好きだったし、ほかに好きになれる男はいなかった。 そんなネイシャを、「キレイだ」と言って、積極的に近づいてきたビリー。 「ちょっとうれしかったのは、ホント。あたし、ピエトにもキレイとか言われたことないしね」 「……」 「……流れで寝ちゃったっていったら、ルナ姉ちゃんは、軽蔑する?」 「う、ううんっ!!」 流れでグレンに襲われたことや、セルゲイとキスしてしまったこと、ライアンともイチャつくような真似をしてしまったルナの前科を考えれば、ネイシャを責めるどころではない。 「避難先は退屈だったよ。メルヴァのことを知らないひとたちは、ふつうに観光を楽しんでたけど、あたしは、そんなことできなかった。でも、ずっと部屋にいるんじゃ身体にも悪いって、オルティスさんやアンさんが、外に連れ出してくれたんだ。そのとき、会ったの。ビリーに」 「……」 「みんなが無事でもどってくるかなとか、母ちゃんたちには反対されたけど、やっぱり、ピエトに着いていけばよかったかもしれないとか、あたし、けっこうぐるぐる考えてて――ひとりで部屋にいると、爆発しそうになっちゃって、それで、よくビリーに会いに行った。任務のことは話せなかったけど、……すくなくとも、アイツと話してるときは、よけいなことを考えずに済んだから」 ネイシャは、重いため息を吐いた。 「……あたしは、ずっと、男の人に苦しめられる呪いがあったでしょ?」 ネイシャの言葉に、ルナのうさ耳がぴこたんと、立った。 「ずっと一生、あたしは、恋なんかできないと思ってた。おとなの男の人が怖かったし、……ピエトも、今は優しくても、おとなになったら、あたしのことを殴るようになるのかなって」 「ネイシャちゃん、」 「でも、そういう呪いを、ベッタラさんや、マミカリシドラスラオネザさんや、ペリドットおじちゃんや、バジおじさんや、ルナ姉ちゃんやみんなが、なくしてくれた。あたしと母ちゃんを、救ってくれた」 ネイシャはつづけた。 「あたしが一番好きなのは、ピエトなの」 困った顔で言った。 「あたしはきっと、ずっとずっと、好きだと思う。ピエトより好きな奴なんて出てこないと思う」 ルナはまた、返事ができなかった。 「でも、ピエトは、そういうのあまり興味がないから。――フローのことでいろいろあったとき、キスしたいっていったんだけど、断られちゃった」 照れ隠しに笑うネイシャに、ルナは思わず「ごめんね」と謝った。ネイシャは笑った。 「なんで、ルナ姉ちゃんが謝るの」 |