「い、いいの?」

だがシシーは、すくなくとも、「おごる」と言ったときのような拒絶は示さなかった。

 「いいんだ。もともと、俺は好きじゃない銘柄のワインだ。だが、屋敷には人が大勢いるから、好きな人もいるだろう」

 「……」

 シシーはひどく、思い悩んでいるようだった。テオは、辛抱強く、シシーの返事を待った。

 

 「い、行く」

 シシーは、やっと言った。なにか重大なことでも、決意したかのように。

 「ありがとう……ほんとに、いいの?」

 テオは、顔に喜びが浮かぼうとするのを、必死で食いとめて、何気なさを装った。

 「いいもなにも、俺は好きな酒じゃないって言っただろ」

 

 帰り支度をしたカルパナと、シャイン・システムのまえで待ち合わせをしていたテオだったが、カザマも一緒にいた。彼女が定時であがるのは、めずらしいと思っていたら、ふたりの手には、包装されたプレゼントらしきものがあり、テオはあっと叫びそうになった。

 すっかり忘れていた――そうだ。昨夜は、アニタとニックの結婚式だったのだ。シシーのことで頭がいっぱいで、すっかり頭から、そのことはなくなっていた。

 テオは、何というタイミングだと困惑し、ひどく迷った。

 ここで、あたらしくプレゼントを購入して、持参してもいいが、シシーの気持ちに変化が訪れないだろうか。結婚式のプレゼント代を出せないシシーが、「やっぱり行けない」というのは、目に見えて分かっていた。

 

 「カ、カルパナさん、」

 テオは焦り顔で彼女の手を引き、少し離れたところで説明をした。――カルパナは、承知してくれた。カルパナが持っているプレゼントは、シシーとテオとカルパナの連名で、ふたりに渡す。

 「すみません。あとで、お金はお渡ししますので」

 「いいのよ。それより、シシーちゃんを連れて行くことができてよかったわ。あの子、どうも、やせた気がして心配だわ」

 カルパナも小声でそう言ったが、シシーは、カザマと、いつもの調子でほがらかに会話していた。先ほど、テオの前で見せたうつろな表情は、まるで別人だったかのように。

 

 「俺、一度家に帰ってから伺います」

ふたりには先に行ってもらって、テオとシシーはそのままテオのマンションに向かった。マンション15階の廊下に出、そのままテオの部屋まで歩く。テオは「入りなよ」と言ったが、シシーは、ちいさく首を振り、入ってこようとはしなかった。テオはしかたなく、急いで部屋に入り、昼のうちに買っておいた、ワインの箱を持ってきた。

 「な、なんだかこれ、高そうだね……」

 シシーは気後れしたように、包みを見つめた。テオは首を振った。

 「高そうに見えるだけさ。中身は、たいしたことはない。でも、俺たちの食事代くらいの値はあるよ」

 屋敷で、食事時に提供されるワインも、このくらいの値段のものだったから、ちょうどよいだろう。

 シシーは、迷い顔で言った。

 「さっき、カザマさんから聞いたんだけど、アニタさんとニックさんが結婚したって。あたし、プレゼント、用意してない――」

 一難去って、また一難――テオは、しかめっ面をしそうになって、なんとかこらえた。

 「君は、いま聞いたんだろ。カルパナさんのプレゼントは、俺たち三人からということにしてもらって」

 「……」

 「結婚祝いなら、あとで渡してもいい。とにかく、今夜は約束済みなんだから、行かなきゃ」

 

 テオは念を押した。いつもの彼なら、ここまでしつこく誘わない。そこまで気が進まないなら、「じゃあ、また」ということもできたはずだった。

 だが、シシーは確かに、なにか厄介ごとを抱えている。ここで放置してしまったら、シシーは泥沼に入り込んで、抜け出せなくなるのではないか。なんとか屋敷に誘って食事をし、話を聞いてやらねば、取り返しのつかない事態になるのではないかと、テオは危ぶんだのだった。

 

 「さ、行こう」

シシーは気味が悪いほどおとなしかった。昼間の元気など百分の一もなく、しずしずと、テオの後ろをついてきた。

マンションのシャイン・システムから屋敷の応接室へ移動し――やはり夜ということもあって、皆が帰宅していた屋敷はにぎやかだった。そのにぎやかさに、シシーの元気ももどるかと思っていたが、どうやらテオの当ては、外れたようだ。

 

 「テオ、あの、ほんとに――」

 シシーが不安げに、テオを見上げた。

 「だいじょうぶだから」

 なにが大丈夫だというのか。テオは、妙な励まし方をしている自分に、「ほんとうにこれで大丈夫なのか?」と自問していた。無神経そのものであったシシーが、支払う金がないことと、プレゼントを持参していないことで、これほどまでに深刻になるとは思わなかった。

テオは昼とは逆に、シシーの手を引いて、キッチンへ向かった。広いダイニングでは、すでに食事が始まっている。

「あっ、いらっしゃい!」

 「テオさん、シシーさん、先に頂いていますわ」

 「おつかれさん」

 「シシー、昼のカレーの残りもあるぜ」

 リサにカザマに、アズラエル、メンズ・ミシェルと、ドア付近にいた屋敷のメンバーから、つぎつぎ声をかけられる。

 

 「昼はごちそうさまでした」

 「こ、こんばんは……」

 いつもとは真逆に――テオははっきりと、シシーは蚊の鳴くような声であいさつをした。ルナがててててっと寄ってくる。

 「こんばんは! シシーさん、テオさん、席について!」

 「これは、今夜の食事代代わりに」

 テオがさっそくワインの箱を渡すと、ルナは目を丸くして受け取った。

 「ありがとう!」

 テーブルの端にはニックとアニタが並んで座っていて、彼らのうしろのミニテーブルには、花束やプレゼントがちいさな山をつくっていた。

 「テオ君、シシーちゃん、プレゼントをありがとう!」

 「腹ごしらえしてから、ゆっくり見させてもらうね!!」

 ニックとアニタの大きな声が届き、シシーはますます、顔色が悪くなった。テオは苦笑し、仕方のないこととはいえ、余計なことを、と思わずにはいられなかった。

 

 テーブルの上は、あいかわらず華やかで、さまざまな料理で埋め尽くされていた。昼の残りのカレーに、サラダ、カブやじゃがいも、トマトやソーセージが入った塩味のスープ、何種類もの料理が並べられていて。なかには、以前テオが絶賛した、マルカ産の魚貝パスタと、シシーが大好物になった、キャベツと鶏のいためものがあった。

 「おいしそうだね」

 テオはシシーの分も明るく振る舞おうと、シシーに声をかけた。

 「シシー、席に……」

 シシーの顔は、極限まで青ざめていた。そして、足はぴくりとも動かなかった。

 

 「ご、ごめん――やっぱり、ダメ」

 「え?」

 目にいっぱい涙をためたシシーは、首を振って、テオの手を振りほどいた。

 「ごめんなさい。あたしダメ。お金払ってないのに、食べられない」

 「シシー!」

 騒がしい食卓が、いっせいに静まった。応接室のほうへ駆けて行くシシー、追うテオ。だが、シシーはふたたび、止めるテオの手と声を振り切って、シャイン・システムに駆けこんでしまった。

 テオは呆然と、閉まったシャインの扉を見た。カルパナが、うしろにいた。

 「やっぱり、シシーちゃん、ダメだったのね」

 「……」

 テオは、すぐには答えられなかった。なにがダメだったのか、シシーを苦しめているものは何なのか、それを明確に、理論立てて説明できるほど、テオの中で資料がそろっていなかったからだ。

 



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