(シシーは、知らなかったんだ)

自分の祖父が、「アルビレオの衛星」なのだということは。

シシーは、やさしいおじいちゃんだった、と言っていた。「アルビレオの衛星」という称号を得ながら――着任した先は、平和な星の小学校教師。

平凡な生活を過ごしていた。子ははやくに亡くしたが、妻とともに、シシーを育てて。

どう考えても、「アルビレオの衛星」はステファニーではなく、シシーの祖父テレジオだった。自分たちの死後、シシーが困らないように、高校、大学と行けるだけの資産を残し、狡猾な叔母でもどうにもできない遺言書だけはつくりあげた――シシーのために。

だが、おとずれた死は早かった。

 

閉じたテオの目頭に、自分の祖父の顔が浮かんだ。

なんという縁だ。

テオの祖父が「アルビレオの衛星」だというなら、自分の祖父とおなじ歳の卒業生だ。

もしかしたら、祖父たちは、大学で出会っていたかもしれない。

シシーを助けてやってくれと、テレジオがテオに訴えている気がした。

 

祖父のことを思い出して涙腺がゆるむまえに、激しい怒りがテオを突いた。

(――なんてヤツラだ)

テオは、怒りを抑えきれなかった。

ステファニーと、その一族――ここまで礼儀に反することを。

「アルビレオの衛星」の名を汚された気がした。祖父たちの名も――自分の祖父も、シシーの祖父も、愚弄された気がした。そして、世界最高の名誉のもとで、下級に這いつくばり、劣等感と戦いながら努力してきたあの大学生活をも、汚された気がした。だが、悔やむのも、悼むのも自分だけでいい。他人に凌辱されるいわれはない。

(許さん)

 

 

 テオは、携帯電話を手にした。そして、ずいぶんまえから入っていたが、一度も電話をかけたことがない番号を出した。

 『――もしもし?』

 眠たげな声がした。まだ午後10時を少し過ぎたころあいだ。あちらは昼間だろう。

 「テオだ――テオ・A・サントス。おぼえているか?」

 相手が身を乗り出したのが分かった。

 『おうおう! 覚えてる! ひさしぶりだな!』

パソコンいじりしかできねえお坊ちゃまが、俺らと一緒に泥水クッキー食ったんだからよ! ――と笑う相手の顔が、テオには見える気がした。

 

 相手は、「ソルテ」という名の傭兵グループのボス、ソルテだ。本人の名もグループ名もソルテだということしか聞いていない。テオがサイバー部隊にいたとき、一時期行動を共にしたグループで、ソルテはテオと同い年。さいしょはバカにされていたが、例の泥水クラッカーの件で仲良くなったのだ。ふたりいっしょに寄生虫にやられて、ベッドに並んだ仲だ。

 退院後、電話番号をおしえてもらい、「なにか困ったことがあったらかけてこい」と言われていた。

 

 「なあ。企業の調査って、おまえらの傭兵グループはできるか?」

 『するよ』

 短い答えが返ってきた。彼はあまり無駄口がなくて、テオは好きだった。

 「ステファニー・B・ボローネ。53歳、L54の首都郊外で、株式会社ボローネっていう、半分胡散臭い不動産の会社をやっている。調査できる?」

 メモでもしているのか、ソルテの声が、復唱してきた。

 『できるよ――質問』

 「なんだ?」

 『これって、地球行き宇宙船からの依頼か?』

 「いや。俺の依頼だ。金は俺が払う」

 『ン。前金三十万デルと旅費はくれ。調査代はそれだけ。そっち、何時?』

 「午後十時」

 『なら、振り込みは明日か――』

 「いや、今でも振り込める」

『なら、すぐ振り込んでくれ。金が確認できたらすぐ動く』

 テオは破格だと思ったが、言わないでおいた。

 「助かるよ。急ぎなんだ。できればこまめに報告が欲しい」

 『そりゃァ急ぎだな――それで』

 テオは早増し料金でも取られるのかと思ったら、ちがった。

 『妙に声が焦ってるけど、これってハニーのためとか?』

 なぜ見破られたのか分からないが、たしかに、似たようなものだ。

 「……まあ、そんなとこだ」

 テオが咳払いしながら言うと、相手は急に黙った。

 『そんじゃ、割引してやるよ。二十五万デルでいいよ』

 「なんだそれは!?」

 おもわず、テオの声は裏返った。

 『恋人割り。彼女は大事にしろよ? 割り引いた五万で、彼女にドレスでも買ってやりな』

 なぜ、傭兵という者は、恋愛関係だと甘くなるのか。テオはじつに不思議だった。

 『それじゃ、毎度ごひいきに。連絡はあっちについたら一度するよ』

 ソルテは、電話を切った。

 

 

 

 あの日、ルナはすっかりしょげかえり、ナキジンにあんみつをおごってもらったのに、せっかくのあんみつも食べられないほど落ち込んで、腰を抜かしたまま紅葉庵で座り込んでいたのだが、夕方になってアズラエルが来て、回収して行った。

 一日置いて、神々が「明後日」と言った日の朝――ルナが朝食を終えて部屋にもどると、神々でみっしりと埋まっていた。

 「わあ!」

 ルナは叫んでドアを閉め、おそるおそる、開けた。

 うさぎの入るすきまもないほど神で埋め尽くされていたのだが、ルナの顔を見るなり、神の数は減った。

 太陽の神と昼の神、夜の神と、イシュメル、ノワだけが残って、ほかの神は消えた。

 月の女神は、最初からいなかった。

 満員電車のようだった部屋は、ルナという名のうさぎ一匹と、ZOOカードを広げる空間くらいはできた。そこへ、ルナの後を追うように、アンジェリカが入ってきた。

 

 「皆さま、おそろいですね」

 ルナは、アンジェリカに言われるがまま、神々に囲まれた真ん中に腰を下ろした。

 太陽の神が口火を切った。

 『ルナよ、“特別なハクニー”のカードを出しなさい』

 「はい……?」

 ルナは言われるまま、「礼儀正しいハクニー」のカードを呼び出し、「オリヘン(原初)!」と唱えた。するとカードは、すぐに「特別なハクニー」に変わった。

 ルナがつぎの指示を待って神様たちを見ていると、太陽の神は言った。

 

 『さて? どうするか。彼の今後を?』

 

 その問いは、ルナに向けられているようであった。ルナは首をかしげた。アンジェリカを見たが、彼女はだまって、太陽の神を見上げた。太陽の神は、おごそかに告げた。

 『このハクニーは、“特別”なのだよ』

 太陽の神の言葉の後ろで、ノワが勝手にクローゼットを開け、ワインを持ち出して呷っていた。

 『真名は、“特別なハクニー”。彼は“特別”だ。特別な一族の中に生まれ出でた、特別な者。彼が“礼儀正しいハクニー”となったのも、礼儀正しくなるよう育てられたからにすぎない。彼の本質は、“特別な者”だ』

 『特別な者の悲劇は、“特別”ゆえに、なかなか居場所を見つけられぬところにある』

 イシュメルは言った。

 『かの者は、自身の本質と相反するカード名を持った。“礼儀正しい”という性質は――ことに、“正しい”がつく名称は、“特別”という性質を制御する名だ』

 『そろそろ変えなければ、彼の使命が果たせなくなるのよ』

 真昼の神も、うなずいた。

 

 「“特別”のカードはむずかしいんだ、ルナ」

 ルナが理解していないようなので、アンジェリカが解説してくれた。

 「“選ばれた”、同様、“特別”っていう名前は、特別ゆえに、傲慢になりやすい傾向がある。ようするに、幸運をたくさん持っているのだけど、幸運の塊だから、うまくいかないってことがない。ちやほやされることが多いからね。そのままでいると、わがままになりやすい傾向がある。だから、どちらかというと、若いうちは苦労し続けで、劣等感を持つほどその性質を押さえられている方がいいんだけど、それが一生続くと、居場所もない、自信もない、自分の本質にすら気づかない、真名が持つ使命を果たせない、不幸な一生を送ることになる」

 ルナのうさ耳がぴょこん、と立った。

 「だから、かならず“特別”の真名をもつカードは、途中で性質が変わる。神々が守護する特別なカードにね」

 



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