シシーは、医者に告げられたとおり、一週間の療養を取ることにした。つかっていない有給休暇がたっぷり残っていた。 テオはすぐさま、行動を開始した。急がねばならない理由があった。テオは、いままでとは違うなにかが起こることを予感していたのだ。 シシーの話が本当なら、いとこや、叔母以外の人間がシシーの口座から金を下ろすのは、年に数回だと言っていた。そんな月が二ヶ月つづいたときは、不思議なことに、金はもどってきた。叔母がシシーの口座に返したのだ。その日のうちに。だから、シシーも、二ヶ月続くことはないと分かっている。 叔母であるステファニーは、賢い人間だ。シシーを金づるにするためには、シシーが地球行き宇宙船の役員でいなければならないことを知っている。遺産と同額の金を――いいや、たとえずっとシシーから金をゆすりつづけるためとしても、シシーにクビになってもらっては困るのだ。だから、二ヶ月つづけて残金が0になり、シシーが必要経費を払えなくなってクビになるのを避けるために、金を返したのだろう。 だが、息子たちは、叔母の想像を超えて愚かだった。 (あと100万足りないと言っていた) シシーが携帯の電話番号を見て怯えるほど――ついに神経性胃炎で入院するほど、いとこはシシーを脅していた――シシーは、こんなにもしつこく、電話で脅されたのははじめてだと言っていた。おまけに、二ヶ月続いて、予定外の引き出しがつづいたというのに、叔母がシシーの口座に金を返していない。 いつもと違うなにかが、あちらで起こっているのだ。 (シシーが厄介ごとに巻き込まれる前に) テオは大急ぎで自宅にもどって、パソコンの前にかじりついた。 その日、夕食もとっくに終わった時刻、屋敷にテオの訪問があった。 「よう。このあいだのことは解決したのか」 キッチンにいたアズラエルの問いに、テオは苦笑した。 「調査中といったところですかね――クラウドさんはいますか」 「広間にいるよ――クラウド!」 アズラエルの声はよく届く。広間から、クラウドが顔を出した。 「やあ、テオ。こないだは大変だったな。シシーはだいじょうぶ?」 「ええ。そっちはあとで話します。実は、お願いしたいことがあるんです」 「俺に?」 書斎で、クラウドがパソコン前に座る。テオがUSBメモリーを差し込むのを、クラウドは黙って見た。 やがて、画面に現れたのは、ひとの名前の一覧だった。 「アルビレオ大学、卒業生一覧――」 クラウドは思わず、「なんてタイミングだ!」と唸った。先日、ルナの「12の預言詩」に、アルビレオの衛星の語句が出たばかりだ。テオは首をかしげたが、質問はしなかった。急いでいるのだ。 「ここ二百年の、卒業生のデータです」 テオは焦りを押さえて、冷静に言った。 「この中から、ステファニーという名か、ボローネという姓か、L54で事業をしている女性のデータが読みだせませんか?」 二百年間のデータは、膨大である。クラウドは唇を笑みに形作った。 「俺のところに持ってきたってことは、急いでるんだな」 「至急なんです」 テオが探した範囲内の卒業生のデータに、彼女の名はなかった。 ステファニー・B・ボローネ。53歳。L54の実業家――「株式会社 ボローネ」を経営している。表向きは、不動産業。 53歳なら、だいたい卒業の年月日は分かる。しかし、その範囲内に名はない。 高校を卒業してすぐに入ったのでないとすれば――留年、あるいは、高齢になってから受験した。逆に、あまりにも若くして大学に合格したのであれば、別の意味で有名だろうが、そちらにも当てはまらない。 まれに、長寿の原住民が紛れ込んでいることがある。たとえばニックのような――まさかステファニーは、原住民ではあるまいが、可能性をたしかめる必要はあった。 シシーに確認したところによると、父の旧姓はボローネで、L54生まれ。ステファニーは父の妹で、改名してもいない。それはたしかだった。 ステファニーがシシーにウソをついたことも考えられるが、シシーは、テオが見せた卒業勲章を見て、「これこれ! 叔母さんの屋敷のリビングに、飾ってあった」と叫んだ。 シシーが毎日掃除していたのだから、見誤るはずがない。 留学生ならば、卒業勲章を持っていない。あれがあったということは、まぎれもなくステファニーは卒業生なのだ。 「テオ、君、もしかして、“アルビレオの衛星”とか言わないよね」 「冗談はやめてください」 クラウドの問いに、テオは苦笑した。不自然ではなかったように思う。テオはこのデータから、自分の名は事前に消しておいた。 クラウドは、ものすごい速さで流れるデータを読みはじめた。そのスピードを初めて目の当たりにしたテオは、さすがに感嘆した。 「話には聞いていましたが――ものすごいですね」 「特技はこれしかないからね」 クラウドは、瞬く間にデータを読んだ。そして、気になる名前だけをピックアップした。 ステファニーはおおぜいいたが、ほとんどL3系、L54出身者はいない。ボローネという姓もL3系と、L52にひとり、L8系が3件といった具合。 L54で企業を起こしている人間は、いなかった。 「ステファニー・B・ボローネって名は、ないな」 ぴったり合致する名前は、名簿にはない。クラウドが探してもなかった。この二百年ほどのデータの中にも。 「……」 ステファニーは、「アルビレオの衛星」ではないのか? では、あの勲章は、どこから? 名簿に名がないのであれば、べつの方向から探ってみようと、テオが頭を切り替えたときだった。 「でも、おもしろい名前を見つけた」 クラウドが、ひとつの名をピックアップした。 ――テレジオ・K・パディントン。 「見て――一瞬、テオかと思ったんだ。だけどちがった」 クラウドは笑った。 「シシーの名字がパディントンだろ? なんだか、君が養子入りしたみたいだね」 クラウドの笑顔とは反対に、テオの顔は凍り付いた。クラウドは、シシーとテオが恋仲になるであろうことを、ルナのZOOカードで知っているので、ちょっと手助けをしてみるつもりで言ったのだが。 テオの顔色がてきめんに変わったので、すこし慌てた。 だが、彼の顔色の理由は、ほかにあった。 「すみません、休養中に――ありがとうございました」 テオは、急いでUSBメモリーを抜き取り、退室した。 「お礼は、後日します。ほんとうに、ありがとうございます」 廊下から、「パスタゆでてるぞ! 食っていかねえのか」というアズラエルの声と、「申し訳ない! 急ぎなんです」というテオの大声が聞こえた。クラウドは、「よけいなことを言った……」と小さく舌打ちした。 (テレジオ・K・パディントン) テオは何度もその名前を繰り返した。 (まちがいない) 卒業した年齢をみても、まちがいない。卒業後の移住先はL72、教師になっている。 テオは思わず、手で口を覆った。 (シシーの祖父だ……!) テオは、息せき切って自宅に駆け込み、冷蔵庫からミネラルウォーターを出して一気飲みした。 (――ウソだろ) 冷蔵庫にもたれかかり、天井を仰いだ。もたらされた結論に、まともに頭が回らなかった。 たったいま、テオが見たのは、シシーを育てた母方の祖父である、テレジオのデータだった。シシーが「おじいちゃん」と慕っていた――。 (ステファニーは、アルビレオの衛星じゃない) シシーが、叔母の家で見たものは。 おそらく、祖父の勲章だったのだ。しかも、祖父の名から、ステファニーの名に書き替えられたものを。 シシーの実家である祖父宅を解体したのは叔母。そこから、「アルビレオの衛星」の勲章などを見つけて、持ち出した。そして、名前だけを掘りなおして、飾った。 「アルビレオの衛星」が、名誉の象徴だということは、テオも嫌というほど分かっている。その証明書――卒業証書と勲章があれば、さまざまなことが有利に進む。じつに利用しやすい称号だということも。 |