残されたのは、ふたりのカードだけ。

 「……」

 ルナは思わず聞いた。

 「コヨーテたちは、どこへ行ったの」

 『聞きたい?』

 白ネズミの女王は笑み、ルナはぶんぶんと首を振った。なんだか、怖い話になりそうだったからだ。

 

 シマリスのカードは、背景が真っ白になっていた。頭を抱えて震えていたシマリスは、なにもなくなった背後を、不思議そうにふりかえった。

 『えい』

 月を眺める子ウサギが、月のステッキをひと振りした。すると、銀白色の光が輝いて、シマリスのカードをおおいつくした――シマリスから、糸がみるみる伸びていく。今度は、きらびやかな虹色の糸が、たくさん。

 シマリスのカードは、光の中で変化した。

光がおさまり、眩しくなくなったカードを見て、ルナの目が飛び出た。

 「シマリスさんが増えてる!?」

 ルナの叫びどおり、カードの中のシマリスは、三匹に増えていた――まんなかのシマリスはエプロンを着て、モップを持っている。右のシマリスは、洗濯かごを、左のシマリスは、お玉を持って。

 しかもエプロンは、ルナたちが身に着けている、この屋敷のルームメンバーを証明するエプロン――ルナと同じ、紺色。カードの背景は、まさしく、この屋敷の大広間だった。

 

 ――カードの名称は、「三匹のシマリス」。

 

 『三人分の仕事ができるっていう、すごいカードよ』

 月を眺める子ウサギは、自慢げに言った。

 不気味な糸はもうない。シシーから出ている縁の糸も、ルナがいつも見る、綺麗な色の糸に変わっていた。赤やピンク、緑に青に黄色、オレンジ色――。

 「あっ!」

 ルナは気づいた。いままでは見当たらなかった、屋敷のメンバーとの糸もあらわれた。ルナとの間に、アルベリッヒと同じような、濃い群青色の糸がある。

 テオとの糸も、情熱的な赤とオレンジ、群青がまじりあった糸に変化した。

 

 『これらは、あの醜い糸たちの向こうにかくれていたの。彼女がもとから持っていた、すばらしい縁の数々よ』

 「……」

 ルナは、今度こそ、「よかった」という意味の涙を浮かべて、カードと糸たちを見つめた。

 『予定は変わったけど、シマリスが抱えている問題は解決するわ。一件落着よ』

 「ありがとう! うさ――月を眺める子ウサギさん!」

 『いつもは、うさこでもいいのよ』

 月を眺める子ウサギは、作業着から、ワンピースに着替えながら言った。

 

 『ルナ、あなたが最初に月を眺める子ウサギを呼んでいたら、どうなっていたと思う?』

 白ネズミの女王に聞かれて、ルナは反射的に「え?」と尋ね返してしまった。

 『もし、あなたがすぐ彼女に相談していたら、まずは真砂名神社の川原でバーベキューをすることを提案していたでしょうね』

 白ネズミの女王は言った。真砂名神社ふもとの川原でバーベキューをする。そのときに、シシーとテオは、真砂名神社の階段を上がることになっただろう。屋敷の皆の助力を得て。そうすれば、ふたりそろって罪は浄化され、今回の顛末がもうすこしはやく訪れていた。そしてシシーとテオはパーティーをきっかけに急接近し、結婚まであっという間だっただろうと言うのだ。

 ルナは、眉をへの字にした。泣きそうな顔だ。

 『あなたが見た夢の結末でも、たしかにシシーとテオは結ばれ、幸せになれる。けれども、テオが自ら、手を汚さねばならなかったでしょう。なぜなら、このまま行ったら、三年後に、シシーの命の危機が訪れていた。会社の業績が傾き、追いつめられた叔母が、シシーに高額な保険をかけて、命を奪うことになっていた。叔母だけではない。いくつも悪意の糸が交錯し、シシーは叔母に叔父、いとこ、だれに命を狙われてもおかしくない位置にいた』

 ルナは、やはり目にいっぱい涙をためだした。

 『テオがシシーを救うでしょう。テオは始末を傭兵グループに依頼し、自らも動くでしょう。けれども、そうなったら、テオには、一生消えない罪悪感が残る。シシーは救われるけれど、テオは『闇』のなかに身を投じる。彼の未来は闇となる――生涯、人殺しをしたという思いを背負って、生きることになる』

 シシーを背に乗せ、闇の中に駆けて行ったテオの姿が、ルナのまぶたの裏にはっきりと焼き付いていた。

 

 「ルナ、これは、“最善を尽くせ”というメッセージだったんだよ」

 白ネズミの女王の言葉を引き継ぐように、アンジェリカは告げた。

 「シシーだけじゃない。テオも救わねばならなかった。それを、夢とZOOカードの世界から、どれだけ読み解けるか――」

 『いいえ』

 白ネズミの女王は首を振った。     

 『ルナがテオの危機まで読み解くのは無理です。それは神々も承知していた。彼らが見ていたのは、どれだけ彼女が、月の女神とシンクロしているかということ。信頼関係があるかということ』

 情報や素材、手段、計画――すべては、ほんとうに必要としなければ現れない。

 けれども、必要とするものすら分からない状態から読み解かねばならない場合、八方ふさがりの状態である場合、ルナ一人がじたばたしても、なんの解決も導かれないことを、彼女は言いたかったのだった。

 『複雑な縁の世界を読み解くのは月を眺める子ウサギ。それに現実的な対処をするのが、現実に生きているあなたよ、ルナ』

 「……!」

 『あなたが必要とするものは、すべて月を眺める子ウサギが用意する。それをあなたが媒体となって、活かすの。あなたと彼女は、そうでなくては』

 アンジェリカは、納得したようにうなずき、だまった。

 『あなたと月を眺める子ウサギ、どちらが欠けても、成し遂げられないの。だから、彼女はいつも言う――“わたしを信じて”と』

 

 ルナは涙をぬぐった。月を眺める子ウサギが、じっとルナを見つめていた。表情のないぬいぐるみの顔なのだが、ルナは最近ようやく、彼女の表情を、見つけることができるようになっていた。

 「うん」

 ルナはちいさくうなずいた。

 「うん。……あたし、うさこを信じる」

 『……』

 月を眺める子ウサギは、やはりルナをじっと見つめ、やっと膝の上に、ポンと乗った。

 

 『あの天秤は、あなたと月を眺める子ウサギの信頼関係がなければ、つかえないものなのよ』

 白ネズミの女王はさらに言った。

 『あの天秤は、地獄を天国にする――その意味を、』

 『言いすぎね』

 『たしかに言いすぎたわ』

 月を眺める子ウサギは言い、白ネズミの女王も、両手で口を押えた。アンジェリカは、額を押さえる始末だった。

ルナは、ふと思い出して、聞いた。

 「テオさんのカードの名前は、どうしたらいいかな?」

 ルナが聞くと、月を眺める子ウサギは言った。

 『そうね』

 

 



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