ソルテは、「仕事にならねえ」と嘆いた。なにせ、彼が調べたことは、ことごとくニュースで放映された範囲のことだったからだ。しかしテオは、前金と旅費を返してもらうことはしなかった。ニュースより早く情報をくれたし、依頼金は、依頼金だ。彼とは、これからも長い付き合いになるだろう。

テオは、どこかでほっとしていた。ソルテに「殺し」は依頼しなかったが、調査次第では、その道も選択してしまうこともあったかもしれない。そのときに自分がどうするか――手を汚すことを選ぶのか、どこまでも法的な機関に頼るのか、分からなかった。

基本的に、傭兵グループにそこまで依頼するのは、法外な金額がいる。とても、テオが個人で払える金額ではない。それを理由に、テオはその道を選択しなかったが、自分の中に沸き起こった怒りは、容易に、そして安易に、その選択をしかねない怖さがあった。

(俺は、あいつらと同類じゃない)

 

 それから、これはテオが調べたことだったが、かつてシシーが船客だったときの担当役員のサラという女性は、高齢と病もあって、L55勤務になったというだけだった。べつに、ステファニーによって、宇宙船を追われたわけではない。

 そもそもステファニーの会社は、そんなに大きな企業でもなく、宇宙船の主要株主にさえなれない業績だ。宇宙船役員を更迭できる権限などあるわけがなかった。

 そのことを告げると、シシーはほっとした顔をした。

 彼女はすぐに全快し、仕事にもどった。

 もどったその日から、ふたたび、屋敷に通いだした――もちろん、テオも誘って。

 シシーはまだ、おごってもらうのには抵抗がある。トラウマは、癒えたとは言い難い。だが、すこし、進歩があった。

シシーがテオにおごったあとは、テオがおごってくれるのを、受けられるようになった。

ソルテがサービスしてくれた五万を、テオは封筒に入れて取ってある。

いつか、このお金で、シシーに美味しいものを食べさせてあげようと思っている。

それが一番、彼女は喜ぶのだ。

 

 そのテオだったが、彼も仕事に復帰してまもなく、いきなり呼び出された。

 上層部ではない――ルシアンという名の、クラブにだ。

 早朝、開店前のクラブには、オーナーのカブラギがいるだけだった。テオはもちろん、クラブという場所にも縁はないし、カブラギとも初対面だった。

 「いらっしゃい」

 グラスを拭きながらのオーナーの挨拶に、テオは「どうも」と軽くあいさつした。

 「テオ・A・サントスです。お呼びになりましたか」

 「うん」

 カブラギは、カウンターから出てきて、テオの頭から足の先まで見まわした。

 「身長174センチ。体格も申し分ない。頭もいい。ちょうどいい」

 「――あの」

 「君、“アルビレオの衛星”だって話だが」

 テオは詰まった。地球行き宇宙船には秘密にしてあったはずだ。困惑はしたが、不思議さのほうが勝った。テオの耳に響く「アルビレオの衛星」の名は、いままでとはちがう響きをまとっていた――つまり、嫌ではない。

 

 「……秘密にしていたことを、とがめられるんでしょうか」

 船客の過去を、重要視はしない。そういう宇宙船だったはずだ。

 「いいや」

 カブラギはちらりとカウンターを見、

 「コーヒーでもどうだと言いたいところだが、もうすぐ出勤だろ? それに、俺の用事はすぐ済む。また、カクテルでも飲みに来てくれ」

 テオの肩を叩いた。

 「調査員の仕事を生真面目にやってくれたようで、まァ、5件も摘発された。アニタなんぞは、いいあぶり出しの船客だったが、そのうちの4件は、やっぱりアニタで」

 「ええ。アニタさんに宇宙船を降りることを勧めた役員でしたね」

 「ああいうのって、けっこういるもんなんだよなァ。おとなしくしてくれてればいいものを、目に入っちまうから、摘発しなきゃならなくなる」

 「……俺が呼ばれたのは、調査員の件で?」

 「あ、いいやァ……」

 カブラギは間延びした声で否定し、さらに聞いた。

 「カオス屋敷、楽しいか」

 「……やっぱりあそこは、カオス屋敷なんですね」

 テオの口に、思わず笑みが浮かんだ。

 「グレンや――そうそう、あいつの相方がまだ宇宙船に乗ってたときも、バーベキューに誘われたことがあったんだが、行けずじまいだった」

 カブラギは苦笑し、

 「“アルビレオの衛星”だったことに――そうだな――誇りを?」

 テオはふたたび、返答につまづいた。

 誇りを? 

 そう聞かれて、数日前までの自分なら、「いいえ」と答えていたはずだ。いや、これはなんらかの試験なのだろうか。だとすれば、たとえ心中が「いいえ」でも、「はい」と答えるべきかもしれない。

 だが、テオは、「いいえ」と答えていた。

 心中は、凪いでいた。

 「はい」でも「いいえ」でも、どちらでも、あてはまりそうな気がした。

 

 「そう――いいえ、ね」

 カブラギは、苦笑した。テオの目をじっと見据えた。切れ長の目は、テオの内臓まで覗き見るような鋭さを増したが、すぐに消えた。

 「俺なら、自慢しちゃうかもな――理想的だ。イノセンスに入らないか?」

 「イノセンスへ?」

 ついに提示された、呼び出しの理由は、特務機関への誘いだった。「誘い」であったことが驚きだった。

 「俺はてっきり、そういうのは、もっと守秘義務の徹底した形で――」

 ほかに人はいないが、まさかこんなクラブの店先で、正体が分かっている人間に勧誘されるとは思わなかったテオだった。

 「でもおまえは、誘いを断ったって、自分がイノセンスに勧誘されたことは言わないだろ?」

 テオは首を傾げ――うなずいた。

 「言う理由がない」

 「だろ? どうかな。派遣役員は続けられる。イノセンスとしての仕事は、まあ、たくさんはない。イノセンスにも、そりゃ、いろいろあってね。片足突っ込んでるヤツと、喉までドップリのやつと。まあ、君は要領もよさそうだし。すごく親しい友人ってのもいないが、のけ者になるってこともないだろ?」

 「はい」

「旨いな。美味しいね、理想的だ。――だが、君がイノセンスであることは、生涯隠し通してもらう。妻にも子にも、もちろん友人にもな――だれにも言えない。それでもよかったら、どうか、サインを」

 カブラギは、一枚のA4用紙を、テオの目の前にちらつかせた。

 「考える時間はあるよ」

 「……」

 秘密にすることは、おそらく苦ではない。

 そうだ――テレジオも、シシーにずっと話さなかった。自身が「アルビレオの衛星」であることを。それは、テオとはまったくちがった理由であったにせよ。

 

 テオは昨夜、ずっと避けていた実家に電話した。「アルビレオの衛星」であり、L31のとある大学の校長を務める誇り高き祖母は、だいぶまえに聞いたきりの孫の声をずいぶん歓迎してくれた。

 ――祖父にまつわる、むかし話も。

 

 『そうなの――そうなの、テレジオさんのお孫さんが――!』

 祖母は十分におどろいたあと、

 『運命の相手が見つかるって宇宙船……ほんとうなのねえ。まさか、あなたが、テレジオさんのお孫さんと出会うなんて』

 テオの想像通り、シシーの祖父テレジオと、テオの祖父は同期生だった。つまり、祖母もということになる。彼らは、同期の「アルビレオの衛星」なのだった。

 「別にシシーと俺は、運命の相手じゃありません」

 テオはそっけなく言ったが、

 『ぜったい運命の相手だわ!』

 祖母は断言した。以前テオがつきあっていた女性との仲は、猛反対した祖母である。

 『ああ、あのひとは、ダメよ。ぜったい暇を持て余して浮気するタイプの女よ』

 「……」

 祖母の「予言」は見事に当たったので、悔しくてテオはあえて言わなかったが、じつは、そのとおりになったのである。彼女は船内のスーツ店の女性で、シシーのように朗らかであかるく、彼女から告白してテオとつきあったが、テオの身内に反対されて別れ――それからひとつきもしないうちに、ほかの男性と結婚したというのを、風の便りで聞いた。だが、それから半年もしないうちに、彼女の浮気で離婚し、ついに宇宙船を降りたという話までがオチだ。

 テオは特に、彼女に未練らしきものはなかったが、後味の悪い思いはしていたのだ。

 

 『あなた、おじいさんが生きているうちに、テレジオさんの話をしなくてよかったわね』

 祖母は、そう言って笑った。

 『あのひとにテレジオさんの話なんかしたら、むっつり、黙ってしまうわよ』

 仲は良くなかったんだろうか。

 「やっぱり、テレジオさんとおじいさんは、学友だったんですか」

 テオの問いに、祖母は昔を思い出すように、声が遠くなった。

 『学友ねえ……親しいわけではなかった』

 祖母は否定した。

『嫌いとか、好き、だけでは言えない複雑な感情よ。だってねえ、おじいさんはあなたも分かるとおり、すごく礼儀正しくて紳士で、真面目な人だった。テレジオさんは、その正反対。――テオ。あなたもあの大学に入ったなら、かならずわかることがある。世界には、どうにも信じられない、神様みたいな天才がいるってこと』

 それは、テオも思い知ってきたことだった。どうあって勝てない人間ばかりが、あの大学にはいた。

 『うちはね、じいさんもわたくしも、娘も息子も、孫たちも、みーんな努力型! ぜいぜい言いながら、周囲の期待にこたえようとがんばって、めったらやたら勉強するけど、たったひとにぎりの天才のまえには、そんな努力は意味をなさないのよねえ』

 テレジオさんは、そんな天才の一人だった、と祖母はため息交じりに言った。

 



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