さすがにテオは、詰まった。運が悪いという問題ではない。ツッコミどころが山ほどある。

 (今月だけじゃないだろ。二ヶ月連続だろ)

彼は、なにから言うべきか迷い、やっと先に言うべき言葉を見つけた。

 「シシー、君、とりあえず送金用の通帳と、生活費用の通帳を、分けろ。それで、生活費用の番号は、だれにも教えるな!」

 「へ?」

 「もちろん、給料が振り込まれる方は、生活用の通帳だ。そこから、毎月引き出される金額を、送金用に移す。そうしたほうがいい」

 こんな基本的なことを、だれもアドバイスできなかったのか。だれも教えてくれなかったのか。テオは、自分がシシーから事情を聞いたから、はじめてアドバイスできていることに、ようやく気付いた。

 34歳にもなるシシーが、こんな対処もできないなんて。

 シシーは目を丸くした。

 「通帳って、ふたつつくれるの?」

 「!?」

 「いっこしか持てないんじゃないの?」

 

 テオは、ふたたび絶句した。――そのときだった。

シシーのバッグから鳴るちいさな振動音。気づいたのは、テオだった。

 「シシー、携帯なってる」

 テオは動揺を必死で隠しながら、言った。

 シシーのかつての恋人が、距離を置いた理由がすこし分かった気がした。シシーは、さりげないところで、ひどく世間知らずなのだ。「こんなことも知らないのか?」と叫びたくなるようなことが、けっこうある。

 「……」

 テオはあまり気にならないが、つきあっていくうちに、不安になるのだろう。

 「ン」

 揚げ物にかじりついたまま、シシーはバッグから携帯電話を取り出す。とたん、「わあ!」と叫んで、バッグにもどした。くわえていた揚げ物も、弁当に落下した。

 「どうした!?」

 その態度に驚いたテオがおもわず叫んだが、シシーの顔色は真っ青を通り越して白くなっていた。

 

 「いで……」

 シシーの額に、脂汗が浮かんだ。お腹を押さえて、うずくまった。

 「いだい……」

 「シシー?」

 バイブレーターは切れた。シシーはそのまま、ベンチの上でひっくり返った。

 「シシー!?」

 

 テオは即座に救急車を呼んで、中央役所内の医務室ではなく、近くの中央病院に搬送してもらった。もちろんテオはついていき、自分とシシーが午後から早退する旨を、役所に告げた。

 シシーは病室で眠っている。代わりにテオが、医師からの診断結果を聞いた。医者から告げられた病名は、「食べ過ぎ」でも「食中毒」でもなく――。

 

 「――は?」

 「神経性胃炎ですな」

 

 神経性胃炎。あの、無神経なシシーが。

 テオは思わず聞きかえしたが、医者はもっともらしく言った。

 「派遣役員さんでしょ。派遣さんは忙しいし、けっこう多いんですよ。初の担当で、担当船客が地球に着くかもしれないとかで――めでたいことです。それで、だいぶ気を張ってるんじゃないかな?」

 「……」

 珍しくもないということか。たしかに、医者の言うとおり派遣役員は忙しいから、身体を壊す人間も少なくない。

 「しばらくは安静にして。ちゃんと休んでね。派遣さんは、ホント休まないから。もうすぐ地球に着くし、仕事量も減ってるでしょう。とにかく、ゆっくり休むこと。それしかない」

 「……はい」

 テオは思わず返事をしていた。

 「まあ、そんなに気を張らずに。ここまで来たら、もうどうやっても着くでしょう。そういって、安心させてください」

 テオは医者の説明を聞きながら、治療代のことを考えはじめ、役員の治療費は全額無料だということを思い出してほっとした。

 

 シシーの病室へ向かい、テオはそばに腰を下ろした。コンコンと眠り続けている――シシーの顔色は、少し良くなっていた。点滴が効いているのか。

 (派遣役員だからじゃない)

 胃をやられるほどの悩みがあったということだ。

 (いったい、なにが?)

 あきらめた口調で言いながらも、給料の半分を送金することの負担と、勝手に金を引き出すいとこの存在は、重荷だったにちがいない。

 それに、シシーの、さっきの携帯電話への反応は異常だった。

 (さっき話したことが、ぜんぶじゃない)

 シシーが、おごってもらうことに、あれほどの拒否感をしめす理由も、まだ分かっていない。

 テオが腕を組んでシシーのカバンをにらみつけていると、ふたたび振動音がした。

 (悪いな、シシー)

 勝手とは思いながら、テオはシシーのバッグから携帯を出し、電話に出た。

 

 ――ちょうどそのとき、ルナが「オリヘン」の呪文を唱え、テオのカードを『特別なハクニー』に変えていたことなど、テオは知る由もない。

 だが、「礼儀正しいハクニー」のままでは、女性のバッグに手を突っ込むことなど、テオはしなかっただろう。

 

 テオが通話に出たとたん、野卑な絶叫が、電話の向こうから聞こえた。

 『てめえなにしてんだ、電話に出ろよ!!』

 「……」

 テオは廊下に出た。冷静に考えた。この男は、シシーの話に出てきた、ろくでもないいとこかもしれない。

 『金がねえじゃねえか! はやく通帳に入れろ!! なにしてんだバカ野郎! あと百万足りねえっていっただろ!!』

 (百万……シシーの話とちがう。かなりの高額だ。シシーの通帳から引き出しただけじゃ足りなかったんだ)

 

 「君はだれだ」

 テオは低い声で聞いた、相手が寸時つまって、『おまえこそだれだ』と聞いてきた。

 「俺はシシーの恋人だ」

 昨日のテオとは、ちがうテオがそこにいた。テオ自身も、自分の口から飛び出した言葉が信じられなかった。相手は鼻を鳴らして笑いはじめた。

 『シシーの通帳に金を入れろ』

 相手の背景は雑音と騒音――おおぜいの声がする。繁華街かもしれない。

 「なぜだ」

 『シシーに聞けよ。金が足りねえ、はやくしろ!』

 「シシーの口座から金を下ろしたのは、おまえか」

 震えるような怒りが、テオの全身を満たした。こんな怒りはひさしぶりだった。

 『俺じゃねえ!! ババアが先に、引きだしやがったんだ』

 男はわめき散らした。ろれつのまわらない口調――昼間から泥酔しているようだ。

 ババアとは、墓を管理している叔母か。シシーが毎月、給料の半分を送金しているというのに、まだ足りずに引き出したらしい。

 (これは、いとこだけが原因じゃない)

 テオは男が喚き散らす内容から、男は遊ぶ金欲しさに金を借りすぎたことがわかった。そして、シシーの通帳にある金を狙っているのは、彼だけではない。彼がババアと呼ぶ女性や、ほかにも幾人かいる。

 

 『おばあちゃんもおじいちゃんも大好きだった。でも、ほかの人は嫌い』

 シシーの言葉を思い出した。

 

 「――君はなんだ? シシーの兄か? 弟か?」

 『いとこだよ』

 「なるほど」

 テオは、病室からシシーが出てきて、蒼白な顔でテオを見ていることに気づいた。

 「“ババア”はだれだ?」

 『あ? 俺のおふくろだ』

 親子そろって外道か。テオは順に聞いて行った。存外素直な男は、テオの質問に、ずいぶん律義に答えた。テオは、シシーの通帳から金を下ろしている人間をつぎつぎに把握していった。

 



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