24歳の年、宇宙船のチケットが当たった。シシーに来る手紙――おもに母方の親戚の手紙は、叔母がすべて処分していたが、叔母はたいてい、昼日中はいない。シシーは、たったひとりのときに、その通知を受け取ることができた。必死で隠し通し、――シシーは逃げるように、地球行き宇宙船に乗った。

 「きっと、おじいちゃんとおばあちゃんが助けてくれたの」

 シシーは涙をこぼしながら笑った。

 「あたしは、この宇宙船でやっと高校に行って、それから介護士さんの資格も取ったの。あたしが高校に行くのは、ふたりの夢だった」

 大学へは行けなかったけど、介護士さんだって立派な仕事だから、おじいちゃんたちは喜んでくれると思う――シシーは言った。

 「俺も、そう思うよ」

 テオの同意に、シシーが安心したように微笑んだ。

 

 しかし、シシーは地球へ行けなかった。宇宙船に乗って、三年目のある日、叔母がついに失踪したシシーの居場所をつきとめ、「もどってこい」と言いだしたのだった。

 「あとからわかったんだけど、やっぱり、おじいちゃんの遺産は、あたしがいないと叔母さんのものにはならないっていうことになってて、それは頭のいい叔母さんでも、どうにもできなかったんだわ」

 「……」

 「叔母さんは、急にしおらしくなって――いつも、きついひとなの。殴りとかはしないけど、冷たい言葉しかいわないひと。なのに、いきなり、あたしに申し訳ないことをしたから謝りたい、いままでのことをお詫びしたい、代わりと言ってはなんだけどって言って、おじいちゃんたちのお墓をL54に建てて、ずっと面倒を見てくれるって」

 「君はそれを、信じたのか」

 テオの問いに、シシーはちいさくうなずいた。

 「あたしが、男の人たちにいたずらされなかったのは、叔母さんのおかげだった。叔母さんは、あたしを朝から夜までこき使ったけど、ちゃんとご飯は食べさせてくれたし、綺麗な部屋もくれた。……だから、叔母さんは、ほんとは悪い人じゃないって思った」

 テオはやはり、口を挟まなかった。

 「でも、やっぱり、いい人ではなかったのね。そのときのあたしの担当役員さんはテオみたいなひとで、すごく頭がよくて親切で、ひとりでもどるのは危険だからって、一緒に着いてきてくれたの」

 

 叔母は、帰ってきたシシーを見るなり、他人の手前、見かけは詫びた。だがシシーをこのまま屋敷へ置こうとしているのは、シシーにも分かった。事情を知っている担当役員は、シシーのそばを離れず、シシーを守ってくれた。

 おかげで、シシーはふたたび叔母の屋敷に「拘束」されずにすんだ。そして、一度目の航海で地球には行けなかったけれど、L55の学校で講習を受けることができ、地球行き宇宙船の役員になれたと言った。

 けれども、叔母たちの干渉は、それで終わらなかった。

 

 「墓の話は、そこからはじまったわけだな」

 「うん」

 シシーはうなずいた。

 「ほんとにおばさんは、L54にお墓をたてたの。あたしが『もどってこい』って言われてから、L54に行くまで、三年目だったし、距離があるでしょ? その数ヶ月の間に建てたの。あたしも見せてもらった。お墓は、じつはもうあるの。――でも」

シシーの顔が急に曇った。

「ものすごくお金がかかったから、あたしにも協力してほしいって」

「それで、送金がはじまったのか」

テオには分かった。シシーが手元にいなくて遺産が入らないかわりに、遺産分の金を、シシーからせしめようとしたのだ。あっさりとシシーを手放したのには、そういった背景もあるのかもしれない。

なにせ、地球行き宇宙船の役員は高給取りだ。

「でも、どこから見つけたのか知らないけど、あいつらもあたしの通帳番号を知っちゃって、勝手にお金を持っていくの」

あいつらとは、いとこたちのことだろう。

「なぜ、訴えない」

つい、テオは言ってしまったが、シシーは悲しげな顔をした。

 

 「……あのね、これは、勘違いならいいんだけど」

 シシーははばかるように、声を潜めた。

 「あたしの担当役員さんが、あたしが役員になった年に、宇宙船からいなくなっちゃったの」

 「なんだって?」

 さすがにテオは、聞き返した。シシーは深刻な顔で言った。

 「もしかしたら、叔母さんが手を回してクビにしたのかもしれない」

 「……まさか」

 「だって、あの担当さんはあたしの味方をして、なんとかあたしが叔母さんの家に帰らないでいいようにしてくれたの。ほんとにほんとに、あの人のおかげで、あたしは解放されたの。だから、邪魔だと思って、消したのかもしれない。叔母さんに逆らった人は、みんないなくなるの。あたしにいたずらしようとした奴らも、みんないなくなった。叔母さんは、ほんとうに頭のいい人なのよ。本人が自慢もしてるけど、みんなもそう言ってる。みんなが叔母さんに頭が上がらないのは、おばさんがすごいからなの」

 「でも君は、叔母さんが、何の仕事をしているのかは知らない」

 「……うん」

 

 テオはようやく悟った。シシーはかなり、社会と隔絶された生活を送ってきた。中学校を卒業して、祖父母の介護で手いっぱいの日々。そして、叔母の家では、朝から晩までこきつかわれて、くたびれて寝るだけだの日々。テレビを見る余裕も、本を読む時間もなかった。外部の人間との交流もほとんどなかった。

そのころ、シシーは年頃だった。迂闊に恋人でもつくられ、結婚ともなったら、祖父の財産はすべて、シシーと恋人のものだ。だから閉塞された環境にいさせられたのだろうが、そのせいで、おかしなところが世間知らずなのだ。

 通帳が、ひとつしかつくれないと思い込んでいるところとか、「アルビレオの衛星」という称号を見せつけられただけで、なにかとてもおそろしい化け物のような、絶対者に見えてしまうところ――。

 

 「事情は分かった」

 テオは言った。

 「俺がなんとかしよう」

 シシーは泣きそうな顔になった。

 「で、で、でも、テオがあの人たちに逆らって、クビになったら、あたし、」

 「俺も、“アルビレオの衛星”だ」

 「――え?」

 「言ったろ? 俺もアルビレオの衛星。君の叔母さんと同じ、アルビレオ大学の卒業生だ」

 シシーの目は、これでもかというくらい見開かれた。

 「テオが――!?」

信じていないようだった。テオは苦笑した。なかなか信じてもらえないのも無理はないという気持ちと、まさか自分の人生で、「アルビレオの衛星」という言葉を、ひとを励ますためにつかうことになるとは思わなかった、という意味を込めて。

 

 「見せようか? 卒業証書と、勲章を」

 シシーは、何度もうなずいた。

 「見せるよ、写真を送ってもらう」

 「……」

 「だから、分かっただろ? 俺も頭の良さでは、負けない」

 テオは自分で言っていることが信じられなかった。劣等感の塊だった自分が、アルビレオの衛星として、同じ衛星をまえにして、負けない、などと言えることが――。

 

 「テオ――テオはなんでそんなに――」

 シシーは言いかけ、戸惑ったように視線を膝に落とし、やがて、袖で目をぬぐった。

 「――ありがとう」

 「ありがとうと言いたいのは、こっちかも」

 「え?」

 劣等感抜きで、「アルビレオの衛星」という語句を、口から出したのははじめてだった。

 

 「ところで、教えてほしいことがある」

 「なに?」

 「おばさんのフルネームを」

 「あ、う、うん」

 シシーは、今度はよどみなく言った。

 「ステファニー・B・ボローネ」

 

 



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