「ずいぶんひろい物件だな、オイ」

 だれかが二階に上がってくる足音が聞こえたと思ったら、アズラエルだった。ピエロを片手に抱えて、階段を上がってきた。

 「すっげー! ルナ、ここでZOOカードすんのか!?」

 ピエトも一緒だった。高い天井と、広い畳敷きの部屋を、興味深そうにながめている。ピエトは、和式の部屋を見るのははじめてだろう。

 「よくここだって、分かったね」

 屋敷に残っていたセシルに、紅葉庵に行ってくると告げてでかけたルナたちだった。

 「紅葉庵に行ったら、こっちだって。店通り抜けて、裏まで来れるんだな」

 

 「ほっほおう~♪ ピエロ~、ナキジーちゃんじゃぞ~♪」

 「飴玉は、まだ食えんなァ」

 赤ん坊を見ると寄って行かずにいられないのは年寄りの習性である。例に漏れず、ナキジンとイシュマールは、ピエロをあやしにかかった。

 

 「ルゥ、行くぞ」

 ろくに挨拶もせず、そう言い放ったアズラエルに、ナキジンとイシュマールは不満そうな顔をした。ちょうど、イシュマールがピエトに飴玉を分け与えたところだった。

 「なんじゃ、どこか行くんか」

 「いっしょに蕎麦でも食おうと思ったに」

 「悪いな。今日は、用がある」

 「うん。ルナ、朝アズラエルと出かけるって言ってたもんね」

 ミシェルも言った。

 「ほんならしょうがない。ちょっと待っとれ」

 ナキジンは紅葉庵のほうまで行って、駄菓子がたくさん詰まった袋を持ってきてピエトに渡してから、頭をワシワシと撫でた。

 「また今度な。じいちゃんの店に、あんみつ食いに来い。サービスするぞ」

 「うん!」

 

 いっしょに蕎麦屋に行くというミシェルとアンジェリカ、それから、ミシェルの腕に移動したサルーンを残して、ルナはアズラエルとピエト、ピエロとともに、建物の外に出た。二階の窓から、ナキジンたちが手を振っている。ルナとピエトは手を振り返して、後ろ足で小路をもどった。紅葉庵を抜けていくのでなく、来た道を帰る。アズラエルはステーキ店のほうへ曲がった。

 「アズ、どこ行くの」

 「どこ行くんだ?」

 ルナとピエトは同時に聞いた。このパパは、行き先を直前まで告げないことが、ままある。

 「話せば、長いんだが」

 話す気がないわけではないのだ、いつも。

 ステーキ店の隣にあるシャイン・システムに入ったアズラエルは、やっと言った。

 「俺のじいちゃんとばあちゃんに、会いに行く」

 「――え?」

 

 

 

 シャイン・システムの扉が開いた瞬間、ルナは、めのまえの光景に見覚えがあると思った。

ひろい屋敷の庭を、真っ白な新雪が覆い、かつて来たときとは様変わりしていたが、ルナは見覚えがあった。シャインから出て、左手に優美な曲線を描いた鉄製の門。生垣に囲まれた庭は、冬囲いされた木々が、綿雪をかぶっていた。白壁の三階建ての屋敷の表門に、近づかなければ分からないほどの、ちいさなハトの紋章がある。

 

 「ここ……ピーターさんの……」

 「そうだ。やっぱおまえ、ピーターとここへ来てたんだな」

 アズラエルは肩をすくめた。ルナは目を見張り――わたわたと奇妙な動きをした。

 そうなのだ。ここは、ルナがはじめてピーターと出会ったとき、最初に連れてこられた屋敷だったのだ。

 「おまえがピーターとあちこちうろついていたとき、クラウドの探査機は途中で電源がぶっ飛んじまったんだ。だから、俺たちは知らなかったが、おまえの姿は、じいさんたちが見てた」

 「……!?」

 「おまえはこの屋敷で、だれにも会わなかったろ?」

 ルナは、にわかに返事ができなかった。意味が分からなかったのだ。

 「ここは、アーズガルド家の五代前の当主が買った屋敷だ。五代前から、アーズガルドは地球行き宇宙船の主要株主。ピーターもそうだ。――俺も、つい最近、それを知ったんだが」

 

 たしかにルナは、ピーターに連れられて、この屋敷に来た。貴族の区画であるK09区の、この屋敷に。だが、ピーターはルナを階下の大広間に置き去りにして二階へ姿を消し、すぐにもどってきて、そのままルナを、K08区の端にある、自分のマンションに連れて行った。

 ルナは、屋敷内ではだれにも会わなかった。だが、この屋敷は、不思議とひとが生活している匂いがあった。管理は行き届いているけれども長い間空き家、というのではなく、ひとが暮らしている感じは、たしかにあったのだ。

 

 「……ここに、アズのおじいちゃんとおばあちゃんが、暮らしてるの?」

 アズラエルの祖父母と言えば、母方の祖父は、ユキト。そして祖母はツキヨだ。彼らではない――ユキトは、第三次バブロスカ革命で亡くなった。

 だとすれば。

 「アダムさんの、お父さんとお母さん?」

 だが、ふたりは、アズラエルたちの家族が逃亡する生活を始めねばならなくなったとき――そう、ルナの両親もL18を離れた――ルナの兄、セルゲイが死んだ、空挺師団の事件が起こった年だ。混乱に巻き込まれて、生死も分からなくなった。騒乱が落ち着いたころ、アダムが両親を捜したが、すでに死亡したことになっていた――。

 

 アズラエルは、首を振った。

 「生きてたんだ、ここで」

 「――!!」

 「正確には、ここに住んでるのは、俺のじいさんとばあさん、それから、メフラー商社に、カナコって傭兵がいるんだが、アイツの姉カナリアと、カナリアがこの船で知り合って結婚した、テリーだ」

 ルナとピエトは顔を見合わせ、ごくりと息をのんだ。

 「じいさんたちは、おまえの姿を見てた。でも、声をかけられなかったんだ。ピーターは、あのとき、おまえとじいさんたちを逢わせようとしたんだが、じいさんたちが断った」

 「な、なんで?」

 今度は、ピエトが聞いた。

 「……ずっと隠れるように暮らしてきたんだ。ルナが俺の恋人だからって言われても、すぐには顔を出せなかった。気持ちはわかる」

 「……」

 寒さを感じて、ピエロが目を覚まし、ぐずりはじめた。赤ん坊の声を聞きつけて、来客を悟ったのか、屋敷のドアが内側から開いた。

 

 「アズラエルさん、どうも――いらっしゃい」

 大きな扉を開けてくれたのは、優しそうな笑みを浮かべた、四十半ばくらいの紳士だった。スーツを着て、白い手袋をつけた容姿は、貴族の執事のようだった。

 「よう、テリー」

 彼が、カナリアの夫、テリーか。

 「じいさんの具合はどうだ」

 「今日は、良好ですよ。今朝はちょっと冷えましたが、お加減はよろしいようです」

 テリーは白い息を吐き、アズラエル一行を招いた。

 「寒いですから、どうぞお入りになって」

 

 屋敷内は、あたたかかった。ルナはピーターに連れてこられたとき、この広間で彼を待った。なにも変わっていない。

 テリーは胸に手を当てて小さくお辞儀をし、ルナたちに向かって自己紹介をした。

 「テリー・K・ウィッコネンと言います。もとアーズガルド家の執事で、いまもこの屋敷の執事まがいのことをしておりますが、一応、船内役員です」

 「役員さん!」

 ルナは叫んだ。テリーは微笑んだ。

 「あなたには、はじめましてのお言葉は失礼ですね。わたしどもは、あなたをすでに見知っておりました。ピーター様が、あなたを連れてこられたとき、ご挨拶もせずに失礼をいたしました」

 テリーは、すこし眉尻を下げた。

 「あのとき、お会いできなかったのは、アダムさまご夫妻がお会いにならなかった、というより、わたしの妻カナリアが、迷っていたせいなんです」

 「――え?」

「彼女は、初対面の人の前に姿を現すことを、多少躊躇いたします」

 躊躇?

 ルナは口を開きかけたが、聞くべきことは山ほどあるような気がして、だまった。テリーもこの場で、なにもかもを話すつもりではないようだ。

 「くわしいことは、寝室のほうで」

 「ああ」

 



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