「カナコは、カナリアさんが逃げたせいで、助かったんだ」

 本人が言っていた、とアズラエルは告げた。

 「カナコは満身創痍で動けなかった。将校たちが、みんなカナリアを追った――おかげで、カナコは助かった。カナコは――カナコも、と言ったほうがいいのか? あいつは、姉と両親を助けられなかったことを、ずっと悔いている」

 「カナコさんも、お気の毒だわ」

 メレーヌはやはり、ハンカチを目に当てた。

 カナコは、傷だらけの身体で、這いずり回るようにして逃げた。そして、道端で意識を失い、善良な傭兵に拾われた。彼も逃げ回っている最中で、ちかくにあったメフラー商社へ、カナコを抱えて駆けこんだのだ。

 カナリアも、半死半生のところを、駆けつけた軍人によって救われた。カナリアが受けた仕打ちは、ひととは思えない仕打ちであった。カナリアをもてあそび、彼女の両親を殺害した軍人たちはその場で逮捕された。カナリアを助けたのがおそらくアーズガルドの隊で、カナリアはそのまま病院に運ばれ、地球行き宇宙船に移送された。

 不幸中の幸いか――事件が起こった1394年という年は、ちょうど四年に一度航海する地球行き宇宙船が、L55から出発する年だった。だから、カナリアやアダムたちも、すぐに乗れたのだ。

 あの時期は、そういったことが、街の各地で起こった。日頃から傭兵を差別している軍人たちが、傭兵狩りと称して、おそろしいことを平気でした。

 メレーヌもアダムも、自分たちがどうやって助かり、この地球行き宇宙船までたどり着いたかは、話さなかった。それを思いだすことでさえ、彼らの表情を暗くした。だからルナも聞けなかったし、ピエトも聞かなかった。

 

 「カナコに、カナリアさんが生きていることをつたえても?」

 アダム老人と、メレーヌは、一度だけ見合い、アダム老人の膝にいるピエロを見つめた。

 「それはね、アズ――アダムに任せてあるのよ」

 メレーヌが、夫の代わりに言った。

 「わたしたちと再会できた、アダムの口から、カナコさんに伝えてほしいと思ったの。わたしたちがいきなりつたえたら、きっとびっくりしてしまうわ――お互いに、複雑な思いを抱えたままだし」

 カナリアは、妹の生存を知っている。彼女がメフラー商社で優秀な傭兵として育ち、「青蜥蜴」という傭兵グループをつくって、独立していることも。

 だが、カナコは、カナリアの生存を知らない。先年までのアズラエルたち同様、姉もあのとき、死んだものと思っている。

 それに、カナリアは、正気ではあるが、あまりにも深い傷を抱えたまま、現在に至っている。言葉がおぼつかないこともあるし、ちいさな異変や環境の変化に、ひどくおおげさに反応する。カナリアの心の安定のためにも、カナコとの再会は、できるなら段階を踏みたいのだと言った。

 「それがいいかも――しれねえな」

 

 アズラエルが答えたところで、ドアが開いた。だいぶ時間が経っていたが、テリーに介添えされて、カナリアがお茶セットを運んできたのだった。カタカタとワゴンを揺らしながら。

 見えないながらも、カナリアの手つきは、思ったほどたどたどしくはなかった。手を震えさせながらもカップに紅茶をつぎ、紅茶はソーサーにこぼれてはいない。角砂糖とミルク、スプーンを添えたソーサーを、一客ずつ、ていねいに、ルナたちに手渡していった。

 「どうぞ」

 「ありがとうございます」

 ルナは礼を言って受け取った。ルナたちが順番に受け取るたび、カナリアは笑みを浮かべた。

 「それから、これをあげるわ」

 カナリアは、ワゴンに乗せて運んできた、茶色のうさぎのぬいぐるみを、ピエトに差し出した。

 「え? お、俺に?」

 「そう。――男の子だって知らなくて、わたし、こんなものを買ってしまったの」

 「い、いいよ。俺、男だけど、うさぎは好きだよ」

 顔に傷があるため、ほとんど外出をしたがらないカナリアが、はじめて会う子どものために、自ら買って来たものだった。ピエトは受け取り、「ありがとうございます」と頭を下げた。

 「いい子ね」

 カナリアは、ピエトの頭を撫で、また、ふらふらと部屋を出ていった。

 

 ルナたちが退室するまでに、カナリアは、二、三度、部屋を出入りした。落ち着かなげに、立ったり座ったりしながら――。

 アダムは元気そうだが、車いすがないと動けない状態で、カナリアも、なかなか玄関扉のところまで行けない――外に出るのが怖いということで、玄関扉でアズラエルたちを見送ったのは、テリーとメレーヌだった。

 「今日は来てくれて、ありがとう。地球に着いたら、また会いましょう」

 「どうか、お元気で」

 二階の窓から、アダムとカナリアが手を振っていた。ルナたちも手を振りかえし、今度はシャイン・システムからではなく、屋敷の門を開けて出た。

 

 「すこし歩くぞ」

 アズラエルは言った。貴族たちの住む、豪奢な館や城ばかり立ち並ぶ、ひろい道路の歩道を、三人でゆっくり歩いた。

 「地球に着いたらって、ゆわれたよ」

 ルナは言った。

 「また、すぐは、会いに来ないほうがいい?」

 「……」

 アズラエルは一度黙し、それから言った。

 「もともと、おまえたちには、地球に着いてから逢わせるつもりだった。それが、じいちゃんたちの望みだったんだ」

 「アダムひいじいちゃん、病気だって言ってたな」

 ピエトも言った。

 「ああ――会うのを急いだのは、もしかしたら、じいちゃんが、地球に着くまで持たないかもしれないからだ」

 「えっ」

 ピエトが立ち止まった。

 「メレーヌばあちゃんも、もともと、治らねえって言われた難病なんだ。おまけに、じいちゃんも、車いすなしじゃ立てねえほど、病気が進行してる。だから、今日逢わせた」

 ピーターが、親父に手紙を送ったのも、E353まで行くならってこともあるだろうが、病気のことを知ったからだろうな――アズラエルは言った。

 「俺、もうひいじいちゃんたちに会えねえの?」

 「会えねえってわけじゃねえ。――まァ、おまえの訪問くらいなら喜んでくれるだろうが、カナリアも、しょっちゅう客が出入りするのは、よくない状況だ。分かるだろ?」

 ピエトは顔をしかめ、困り顔でうつむき、「マジかよ」とつぶやいた。

 「なんでもっと早く、言ってくれなかったんだよ~!」

 ピエトは髪をかきむしりながら、やけくそのように「あーっ!」と叫びながら、道路を走って行った。その後ろ姿を見ながら、アズラエルは、ルナにだけ聞こえるように、ぼそりと言った。

 

 「……嫌味のつもりで言ってるんじゃねえから、そう取るなよ?」

 「え?」

 「俺たちが、グレンと暮らしてるのは、じいちゃんたちも知ってる」

 「……!」

 ルナは目を見張った。

 「グレンだけじゃねえ。一時期、カレンも一緒だったろ? じいちゃんたちやカナリアにとっては、軍事惑星の名家は、いまでも恐怖の対象なんだ。――どんなに、グレンやカレン自身が、いい奴でもな」

 ルナは、唇をかんでうつむいた。どうしようもない悲しみが突き上げてきた。

 「エーリヒやクラウドも、もしかすれば、怖かったのかもしれない」

 どこから、自分たちの居場所が悟られるか分からない。だから、アダムやメレーヌたちは、アズラエルが宇宙船に乗ったことを知っていながら、この四年間、会えなかったのだ。

 「今さら俺は、グレンがドーソンだとか、なんだとか、そんなこたァ言わねえよ」

 嘆息した。

 「だが、じいさんたちには――グレンの存在は、刺激がつよい」

そこで話を切り上げた。叫びながら、ピエトがもどってきたからだ。

 

 「なァアズラエル。ケーキ食いたい」

 「あ?」

 「ケーキ食いたい!」

 ピエトがなにかをねだるのは、滅多にないことだ。アズラエルは苦笑して言った。

 「そうだな――このへんのカフェで、ケーキでも食って帰るか。貴族区画だから、お上品なケーキばっかだろうけどな」

 「やった! ケーキ! ケーキ!!」

 ピエトははしゃいで、駆けて行った。ルナは、アダムたちが暮らしている屋敷を一度振り返り、それから、アズラエルの後を追った。

 ルナもなんだか、無性に甘いものが食べたい気分だった。

 

 



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