――バクスターは、目覚めた。 見慣れないベージュ色の天井も、部屋の明るさも、L22の学校のそばにあった古びた寄宿舎ではない。 彼は飛び起きた――シーツを跳ね上げて。 「おはようございます、バクスターさん」 ドローレスが、となりの部屋から入ってきた。彼はミネラルウォーターのペットボトルを携えていて、それをバクスターに渡した。 夢ではなかった。現実だったのだ。あの、L22の学校に、ドローレスとアダムが現れたのは。 「ここは、L53の首都郊外にある、ウィークリー・マンションです」 「L53……」 バクスターが聞く前に、ドローレスは言った。彼の言葉通り、ベッドそばの窓から見下ろせる街並みは、軍事惑星の景色ではなかった。 「アダムはどうした?」 「わたしとアダムは別行動です。アダムは、任務のためにL18に向かいました。わたしは、来期の地球行き宇宙船出航まで、あなたのボディガードに着きます」 「――地球行き宇宙船、だと?」 バクスターは、理解できない顔で、つぶやいた。 「バクスター様……! お目覚めになられましたか!」 部屋に入ってきた、シャツとコットンパンツの、ずいぶん背が曲がった老人の姿を見て、バクスターはあやうく大声をあげそうになった。 「ローゼス……! おまえ、無事だったのか!」 バクスターに幼いころからつかえていた男だった。ドーソンの中で、ゆいいつ、バクスターの理解者だったと言っていい。ドーソン家の執事である彼は貴族軍人の家の出だが、バクスターがドーソンの嫡男として権力をふるっていたころも、地球行き宇宙船からもどり、方針を百八十度変えたときも、変わらず、バクスターに着いてきてくれた、たった一人の味方だった。 彼は、バクスターが辺境の学校の校長として左遷されてからも、代わりにグレンと連絡を取り、皆の目を盗んで情報を送ってくれたりした。 いつのころからか情報は途絶え――バクスターへの献身をドーソンに察知された彼は、執事を解雇されたという話を聞いたが、無事だったのか。 「旦那さま……!」 「よかった……!」 彼らは、数年ぶりの再会を喜んで、かたく抱き合った。 「老いたな……おまえは」 「バクスターさまも、しわが増えました。わたくし、このお肌がつやつやのころから、おつかえしておりましたのに」 「ドローレス、礼を言う」 バクスターはやっと、感謝の言葉を口にした。ローゼスは、執事を解雇されたあと、L19の田舎で、畑を耕して生活していたのだ。ドーソンが彼を追いやった辺境の地は、老体にはきびしい隠遁所だった。いつか、バクスターと再会することを夢見て、妻も子もない彼はひとり、孤独に耐えて生きてきた。 バクスターを救出するまえに、ローゼスを捜しだしたアダムとドローレスは、いちはやく彼を、このマンションに避難させていた。 「これを」 ドローレスは、封筒に入った、地球行き宇宙船のチケットを、バクスターに差し出した。 「……これは」 バクスターは、呆然としたような――なつかしむような目をして、真っ白なチケットを見つめた。船客名は、書かれていない。 「来期一月、宇宙船がL55を出発するまえに、あなたの手で名を記してもらわねばなりません」 「これは、受け取れん」 バクスターはなんの躊躇もなく、ドローレスに返した。 「バクスターさま、」 ローゼスが、必死ともいえる目で、主を見つめた。主が、とうの昔に命を捨て、生きることをあきらめているのを、分かっているかのようだった。 ドローレスは、チケットを手にしたまま、言った。 「あなたが救ったわたしの娘が、このチケットを手に入れた」 「――!」 「わたしたちが、このチケットを娘からもらったとき、ただひとつのことしか思い浮かばなかった――あなたのことだ」 ローゼスが、たまらなくなったように目を覆い、声をあげて泣きだした。ありがとうございます、申し訳ない、あなたがたは偉大な方だ、とくりかえしこぼした。 「ちがいます。偉大なのはあなただ、バクスターさん。そしてローゼスさん」 乗ってください――ドローレスは再度、チケットと一緒に、一枚のディスクをバクスターに渡した。 「これは?」 「地球行き宇宙船で手に入れたものです。ニックを覚えていますか」 「ニックだと……!?」 バクスターは目を見開いた。 「彼は、L02出身で、寿命が三百年あるのだとか。いまでも、ディスクに映っているのと変わらない姿でした。このディスクには、ジュリさんが、映っているんです。あなたも、セバスチアンさんも、エレナさんも」 「旦那様と――ジュリさまが!」 ローゼスのほうが、目を剥いてディスクを見つめた。 「グレン君から、預かってきました」 「……」 「グレン君が、ニックと友人になったんですよ」 宇宙船のチケットはともかくも、DVDのほうは受け取ったバクスターだった。複雑な感情を込めた目で、まっしろなディスクを見つめている。 「だ、旦那様! ご覧になりますか」 ローゼスのほうが、見たい気持ちは上のようだった。 「見よう」 リビングに備え付けのDVDプレーヤーにディスクを読みこませると、すぐに画像が現れた。 バクスターの奥底から、なつかしい記憶が呼び起こされた。見覚えのあるコンビニエンスストア。満天の星空。――そうだ。あそこは宇宙船だから、たまにおどろくほど大きな惑星が、星空をよぎっていくことがある。 これはちょうど、祭りの日だった。K05区で夏に開催される祭りの日だとかで――。 『あまり騒ぐな! やかましいんだ、貴様ら二人そろうと!』 自分の声だった。 おどろくほど、剣のある声だ。――あのころは、すべてが不愉快で仕方がなかった。ジュリを愛していることすら、認めたくなかった。ジュリを妻にできない自分への苛立ち、ジュリの病や、自分がドーソンの嫡男であることの、運命への苛立ち――宇宙船に乗ったバクスターは、不安定だった。なにも迷うことのなかった自分を、ジュリは、セバスチアンは、エレナは突き崩した。ニックもそうだ。バクスターの運命の歯車を変えた者があるとするなら、彼らだった。彼らとの交友だ。 中でもジュリは、プライドの塊のようなバクスターを――その裏にある弱さを、すべて包み込んで、見返りなく愛してくれた女だった。 画面では、『バクスターの怒りんぼ~』と、セバスチアンとニックが肩を組んでヘラヘラ笑っている。 「おお……セバスチアン様、こちらがニック様ですな。お若いころの旦那様が……」 ローゼスは、微笑みをたたえて、画面を見つめていた。 |