二百十二話 バラ色の蝶々 Ⅴ



 

 本日はルナ――ひとりで仕事場の二階を陣取っていた。

 小春日和になってきて、ミシェルはイシュマールと川原のほうで絵を描く季節になった。アンジェリカは、仕事で中央区役所にいる。

 「むひっ!!」

 ルナが突然吹きだしたので、そばにいたサルーンはびっくりして、バサバサと羽根を羽ばたかせた。

 「ジャ、ジャガー・バンクさんのメンバー、ぜんいんジャガーだ……!」

 メフラー商社系列の傭兵グループ、「ジャガー・バンク」のメンバーのカードを出したルナは、ずらりと二十枚ほど並んだカードが、ぜんぶジャガーなのを見て、爆笑した。

 

 「ふぐぽっ!! “ジャガイモ好きのジャガー”って、なにこれ!!」

 ルナは口を覆って、笑いとともによだれが噴きだすのをあやうく防いだ。

 「おもしろい! おもしろいです!!」

 さらに、“勇敢なジャガー”、“器用なジャガー”、“お人好しのジャガー“……と並んだ先に、“ベジタリアンのジャガー”を見つけて、ルナは「ぷひゃひゃひゃひゃ!!!」と畳を叩いて笑い転げた。

 「べじ、べじ、ジャガーなのにベジタリアン……!!」

 ジャガー。食肉目ネコ科ヒョウ属に分類される食肉類。トラやライオンにつぐ大きさである。

 「ほぼぺっ! じゃがいもさんとベジタリアンさんは、仲がいい……!!」

 一度笑い出すと、なにもかもが面白く見えてくるのはなぜなのか。

 気の毒に、精鋭、「ジャガー・バンク」のメンバーは、ひとりの占術師に、自分たちの名前のせいで笑われていることなど知りもしない。野菜好きで悪かったな、といわんばかりに、しかめっ面でキャベツを丸かじりしているジャガーの姿がそこにはあった。ここにアズラエルがいたら、「おまえも肉食うさぎじゃねえか」と突っ込んでいただろうが。

 「ぽぶ!!」

 ルナがあまりに笑いすぎるので、ようやくサルーンのツッコミが、ルナの脇腹に、クチバシとなって入った。ルナはスイッチでも押されたように、爆笑をやめた。だが、まだぷすぷす、思い出し笑いをしていた。

 「ジャガーのジャガーによる、ジャガーのための銀行です……」

 ルナは涙をこぼしながら、おもしろかった名前を中心に、ノートに書きつけた。

 

 なにをはた迷惑なことをしているかと思えば、ルナは、メフラー商社系列の傭兵グループの、ZOOカードを調べていたのだった。

 理由はない、なんとなく、そうしたほうがいいと思ったのだった。月を眺める子ウサギから、そうしろと言われたわけでもないが、止められたわけでもない。

 傭兵グループの名とメンバーの名前を、アズラエルが分かるかぎり教えてもらった。メフラー商社から派生したグループは、数がありすぎるので、主だったグループだけだったが。

 

 「ナンバー9のザイールさんは、“面倒見のいいバイソン”――わっ! はじめて見た。牛さんだ!」

 猛獣まがいの巨大な牛が、カードの向こうで、吠えている。

 「うん?」

 目の錯覚かもしれないが、四つ足の猛牛は、なんだかガニ股であるような気がした。

 「足が細くて身体がおっきいから、重いのかな? 子どものガスさんは――あ、これ、いつだったか、見たぞ」

 バイソンの隣にヒョウ――ルナはこのヒョウに見覚えがあった。日記帳をめくった。ルナの推測は当たった。ダニエルのことを占ったときに、ネイシャの結婚相手として出てきたヒョウのカードだった。

 「ネイシャちゃんの結婚相手は、ガス君ってゆうのかあ……18歳。やっぱ、カッコイイね。よかったね、ネイシャちゃん」

 ルナはひとりでうなずき、サルーンも、いかにもわかっているかのように、首を縦に振った。

 「ヒョウくんもガニ股かな!?」

 ルナは首を真横にしてのぞきこんだが、ヒョウはガニ股ではなかった。

 「似てない親子だ……」

 ルナはよけいなことをつぶやき、(似ていないというなら、ルナの両親もシロクマとペンギンである。)メモをしつつ、次のカードを見た。

 

 「青蜥蜴のカナコさんは、――うわ、でかっ!!」

 “復讐に燃えるコモドオオトカゲ”。

巨大なトカゲが、炎のような背景を背負って、彼方をにらんでいる。

 「――復讐!?」

 ずいぶん物騒な名前に、ルナは座ったまま飛び上がった。

 復讐とは、おだやかでない。

 先日、アズラエルの祖父であるアダムたちに会ったとき、はじめてカナリアの存在を知り、彼女と彼女の生き別れの妹、カナコの話を聞いたが、カナリアからは、「復讐」という言葉は聞かなかった。

 うらみというよりかは、彼女を支配しているのは、恐怖だった。

 むごい目に遭った恐怖とトラウマ――彼女にあるのは、そちらのほうが大きい。

 めのまえで両親を殺された怒りや、カナコを見捨てた後悔はあるが、なによりも、恐怖のほうが勝っている。

 だが、カナコは違うのだろうか。

 恐怖よりも、憎しみや、恨みのほうが強いのだろうか――つまり、かつて自分や姉を苦しめた将校たちに対する、復讐心のほうが?

 

 「……」

 ルナはやはり気になって、アズラエルの祖父アダムと祖母メレーヌ、カナリアのカードをもう一度呼び出したが、出て来なかった。

先日、月を眺める子ウサギは、ルナの要望を無視して「バラ色の蝶々」のカードを出したわけだが、結局、ルナが呼んだところで、彼らは出てこなかったのだ。うさこは、それを知っていたから、呼び出さなかったのか。

 アンジェリカは、「悪党や、自らかくれているカードは、なかなか呼び出しに応じない」と言った。どうしても必要なときは、「ZOOの支配者」の権限を持って強引に呼び出すこともできるし、ほかにも方法があるとのことだったが、ルナは気が進まなかった。

 カナリアたちがかくれて暮らしている理由は、恐怖によるものだ。怯えてかくれているものを、ムリに呼び出すことは、したくなかった。

 あのあと、ピエトが手紙を出したいと言い、ルナもアズラエルも、手紙ならいいだろうと思って「いいよ」と言った。ピエトはすぐに書き、カナリアたちから返事も来たが、その返事を読んで、やはりそっとしておいたほうがいいと思う気持ちは、正しかったとわかった。

 

 「カナリアさんのカードは、必要なときに、きっとうさこが見せてくれるよね」

 ルナは言い、傭兵グループの一覧に目を移した。

 「メフラー商社さんで、いちばん大きいのはハーメルン、二番目が、ナンバー9だね。その次が、青蜥蜴さんかな……」

 ルナは確認し、傭兵たちのカードを一度リセットして、屋敷のメンバーのカードを出した。それにつらなる、縁の糸やカードも。

 こちらは、アンジェリカのアドバイスだ。定期的に、皆の様子を見ておいたほうがいい、という――。

 

 一番に目に入ったのは、サルビアのカードだった。そういえば、ルナは、クルクス以来、仲間のカードは見ていなかったのだ。お城に閉じこもっていたときは、ZOOカードしかすることがなかったので、頻繁にチェックしていたのだが。

 あのとき、サルビアの「迷える子羊」のカードは、メルーヴァ姫の「ベベ(赤子)」の呪文とともに、真っ白にもどった。あらたなカード名はまだ表れていないが、楽しげに掃除をするヒツジの姿が、カードのなかにはあった。

 「まだ名前は決まってないけど、サルビアさん、幸せそうだな」

 ルナは、「フゥトロ(未来)!」と呼びかけてみた。すると、ヒツジのカードが、キラキラときらめいて、子どもを抱いている姿に変わった。そして、下には、「母なるヒツジ」の名が。

 「もう少し経つと、こうなるのか」

 サルビアとグレンが結ばれると、カードは名前が出てくるのかもしれない。

 

 ほかのメンバーに、目立った変化はない。

 だが、ひとつだけ――。

じつは、ルナが気になっているのは、グレンだった。今の今、気になったのではない。ずっとずっと、気になっていたのだ。

 「グレンの“孤高のトラ”は、もう変わらないのかな……」

 孤高の名を持つカードは、ほかにもある。

 カレンもそうだった。カレンの“孤高のキリン”は、“革命家のキリン”に変わった。その名のとおり、過度期にあるL20を変えていくのだろう。

 ずっと孤独だったカレン。ひとりで重すぎる責任感にあえいでいたカレン。ひとりではないのだと――仲間がいて、応援してくれる者がいることに気づいて、「孤高」が消えたのではないかと、ルナは思っていた。

 

 「グレンの孤独は、癒えないのかな」

 ルナは悩んだ。

アンジェリカに言わせると、「孤高」の頭文字を持つタイプは、二種類あるのだという。それは、作家や研究家など、孤独に活動することが求められるが、それを苦にしていない者。むしろ、孤であることが、活かされる場合――もうひとつは、組織などで孤高の立場を持って、活躍する者。集団の中で、ひとりちがう意志を持って、活動しなければならない者だ。

 「孤独」と「孤高」はちがい、「孤独」は、縁の糸がほとんど存在しないか、あってもひどく薄い。ひととの縁が、とても薄い。文字通り、さまざまな理由があって、孤独なのだ。

「孤高」は、縁の糸は多い。多数の縁の中で、あえてひとりで立たねばならなかったり、万の意志に逆らって志を遂げねばならないときに現れる、「孤独」とは別の意味を持つ。

 カレンやグレンは、後者であるとルナは聞いた。

 だから、一生「孤高」の名がついていても、「孤独」なのではないから、心配することはないと。

 



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