「……」

 しかしルナは、グレンの変わらない様子が気になった。グレンのカードは、ルナが最初見たときと、なにも変わっていないのだ。

 軍服を着たトラが、闇の中の真っ黒な人々をにらんでいる構図。

 しあわせな絵柄なら、なにも言うことはないが――この図は。

 「グレンは一生、ドーソンに縛り付けられたままなのかなあ……」

 ドーソンの名を持ち、暗闇の亡者たちもにらみ据えたまま、戦い続けて終わるのか。グレンに、安住の地や、時は、ないのだろうか。

 グレンの「孤高」は、まるで、それを証明しているかのようだった。

 しかし、月を眺める子ウサギは、グレンに着いては、なにも言わない。ルナが救う人物のなかにも、グレンの「孤高のトラ」はなかった。

 

 「……」

 ルナはしばらくグレンのカードを見つめ、それから、アンのカード、「バラ色の蝶々」に目をやった。

「ラ・ムエルテ(死神)」の黒もやがかかったままだ。

 ルナは今夜、ラガーに行って、アンのショーを見ようと決めた。アンの様子が、どんな感じかも、知りたい。

 ルナがウサギ口でアンのカードを見つめていると、ひょこ、とミシェルが二階のドアから顔を出した。ルナは、もうすっかり、お昼を過ぎていたことに気づいた。

 「ルナあ! お昼どうする。蕎麦? お肉? おさしみ?」

 「おさしみ!」

 ルナはすかさず答えた。料亭まさなで海鮮丼ランチと、朝から決めていた。

 ミシェルはルナのそばにいるサルーンを見つけて、「蕎麦屋か、おさしみだね」と言った。サルーンを連れて入れるのは、その二ヵ所だけだった。

 「ンじゃいこー。おじーちゃんもいっしょだけど、いい?」

 「よいよ! あたしも話したいことがあるの、おもしろいZOOカード見つけた!!」

 ルナはサルーンを頭に乗っけて、「フィン!」と唱えてZOOカードを終了し、バッグにつめこんでから、ぺぺぺとダッシュした。

 

 

 

 その夜のことだ。ルナが「ラガーに行ってくる」と言いだしたとたん、グレンとサルビア、子ども以外の屋敷メンバーが、そろいもそろって、ラガーに押しかけることになった。

 「ちょっとね、アンさんを見てくるだけなの」

 ルナはそう言ったが、アンのショーを見たいのは、ルナだけではなかったし、キッカケが必要な人間もいた。セシルなどは、なかなかアンのショーを見に行く機会に恵まれなかった――行くならみんなで行こうなどと、クラウドがよけいなことを言いだしたせいだった。

 ルナは、ピエロをアズラエルに預けて、ちょっとアンの様子を見てくるつもりが台無しになったので、ほっぺたをぷっくりさせた。

 「ピエロは連れてけないよ。どうするのよう」

 「連れていけばいいだろ。オルティスだって、ヴィヴィアンを背負って店に出てる。ガキの入店を禁止しちゃいねえ」

 「でも、泣いたらたいへんだよ?」

助け舟を出してくれたのは、サルビアだった。

 サルビアは、アンに「ラ・ムエルテ」がかかったことを知っている。ルナが、そのためにラガーに行こうとしているのは分かっていた。だから、ピエロの世話を引き受けてくれたのだった。

 ちなみに、ルナはだれにも、「ラ・ムエルテ」のことは話していない。知っているのは、アンジェリカとサルビアだけだ。

そしてなぜ、ラガーに行くメンバーにグレンが入っていないかというと、グレンは、あいかわらずバイト三昧で、屋敷にいなかったからだ。

 

ラガーは盛況だった。アンが来る以前から、傭兵やチンピラでいつも満席に近かったが、最近は、アンのファンが増えたせいで、いままで来なかった客層も増えた。グレンのシフトが増えたのもよくわかる混みようだった。

今日は、グレンの代わりに、若い男の役員が雑用代わりに入っていた。

大勢で来たが、なんとか席はありそうだ。

 「よお! 今日はにぎやかだなあ」

 オルティスの明るい笑顔は、アンの調子がわるいという答えにはならなかった。彼は相変わらず元気で――忙しそうだった。

アンは治療のために、ステージに立ったり立たなかったりという話だったが、今日は立っていた。そして、遠目からでは、ていねいな化粧もあって、アンの顔色は分からない。

 「こんにちは! オルティスさん、アンさんは元気? その、倒れたりとかはない?」

 カウンターによじのぼったルナが、ぽてりと座って聞くと、オルティスは笑顔をかえした。

 「おお! 大丈夫だぜ! 治療はもうちょいとかかるが、悪くなってはねえ。心配してくれてありがとな! ルナちゃん」

 オルティスがウソをついているようには思えなかった。実際、アンの病はよくなっているのだろう。

 

 「あれ? グレンは?」

 ルナとオルティスの会話が途切れたのは、メンズ・ミシェルがオルティスに尋ねたからだ。グレンの姿は、厨房にもないし、カウンターにもない。今日店にいるのは、メンズ・ミシェルも見たことのない、若い役員だった。

 「あ? 今日はシフト入れてねえぞ。ルシアンじゃねえのか」

 「そうだったか?」

 「グレン、今日はルシアンだってゆったよ?」

 ルナも言った。朝、グレンはそう言っていた気がする。夜は、ルシアンのバイト。

 「ルシアン?」

 ミシェルは首をかしげながら、アンのショーが見られる席にもどった。ルナは、ミシェルの後ろ姿を、じっと目で追った。

 (直感)

 ルナのうさ耳が、ぴんっ! と立った。

 (……なんだろ?)

 だが、ルナの思考は、オルティスの声にさえぎられた。

 「ルナちゃんも、ゆっくり聞いてってくれ。今日来てよかったぞ。明日じゃァ、アンはステージに立ってなかったかもしれねえぜ」

 「ほんとに?」

 「明日は病院だから――だけど、マジで良くはなってる。だから、安心してくれ。ルナちゃんは、甘いカクテルかいちごシェイク、どっちにする?」

 「今日は、カクテル飲みたい!」

 「おう、分かった。つくったら持っていくよ。なんでもいいか」

 「うん!」

 一抹の不安が――立ったままのうさ耳アンテナは、どうしても垂れることはなかったのだが、とりあえず、アンの様子を伺うのが最優先だ。ルナはみんながいる、ステージ真ん前のテーブルに向かった。

 

 ルナが見るアンは、なにも変わらない。歌声は張りがあり、おどろくほど活発にダンスして見せる。ルナは口を開けてアンのショーをながめていた。

 ほんとうに、病気なのだろうか、アンは。

 あの「ラ・ムエルテ」は、幻か何かなのではないだろうか。

 三曲続けて歌ったアンが、ドレスを着替えるために、袖に引っ込んだそのときである。オルティスがつくってくれた、マンゴー味のカクテルがすごくおいしかったので、同じものを頼もうと、カウンターのほうへ振り返ったときだった。

 入り口近くのテーブルに、ふたりの男が座っているのに気付いた。

 シャツとジャケットに、黒いパンツ。サングラス。

 ルナは、シンプルな格好の彼らが、ララとシグルスだということに、いきなり気づいた。

 ルナの視線に感づいたララのほうが、「しーっ」とでもいうように、口に人差し指を立てた。ルナは慌てて、視線をそらした。

 いつからいたのだろう。ルナが挙動不審に固まっているあいだに、アンがふたたびステージに出てきた。ゴールドのドレスに着替えたアンの、甘い歌声が店内を彩る。

 一曲終わり、ルナがおそるおそる後ろを振りかえると、ララとシグルスは、もういなかった。

 

 アンのステージは、午前二時ころには惜しまれながら終了した。ララたちがいたことに、クラウドですら気づいていなかった。

 (ララさんとシグルスさんも、アンのファン?)

 軍事惑星の人間だから、そうかもしれない。お忍びで、こっそり来たのだろうか。

ルナは帰ろうとしたが、リサとキラにつきあわされた。さんざんラガーで騒いで、帰路についたのは、三時も過ぎたころだった。

 ルナが目をしょぼしょぼさせながら屋敷に帰ると、グレンも今帰った頃合いだった。

 「みんなそろって、どこに行ってたんだ?」

 グレンは、歯ブラシをくわえていた。午前三時である。ルナが、グレンこそ遅かったじゃないかと言いかけると。

 「ラガーで、アンさんのショーを見てたんだ」

 「へえ、」

 セルゲイの言葉に、ルナの言葉は、音になる前に口の中に消えた。グレンは歯を磨きながら、もごもごと返事をし、洗面所にもどっていった。

 「グレンおまえ、今日ラガーにいると思ってたのに」

 メンズ・ミシェルが、そう言いながらグレンに着いて行った。ルナのうさ耳がアンテナのように立ち、ふたりの会話をひろいに、追いかけた。それを目で追いかけたクラウドが「カオス……」とつぶやくのはいつものことだ。

 ルナは、うさ耳だけを揺らしながら、ドアの影から、そっと聞いた。

 「あ? 俺は今日、ルシアンだって言わなかったっけ」

 「ルナちゃんも言ってた。俺はてっきり、おまえもラガーにいると思って」

 「十九時からゼロ時までルシアンに入って、あとは、夜間講習に行った」

 「おまえ、すこしは身体を休めろよ」

 「ああ。明日は寝る。朝めしはいらねえ」

 ルナのうさ耳が、声をひろってぴこぴこ揺れた。グレンの言うことにも、メンズ・ミシェルの言うことにも、おかしなところはない。

 ――でも?

 (なにか、おかしい)

 



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