翌日である。 朝めしはいらねえと言ったグレンは、言葉どおり、昼近くなって起きてきた。ヨレヨレ漢字Tシャツとジーンズのまま、寝ぼけ眼でキッチンに入ったとたん、彼はルナとサルビアに囲まれた。 「おそようございます、グレンさん」 「おそようごじゃいましゅ!」 「お、おそよう?」 グレンは、タオルを首にひっかけたまま、椅子に座らせられた。すかさず、グレンの両手を、サルビアとルナが握った。 「な、なんだ?」 両手に花、というには、色っぽい雰囲気はどこにも見当たらない。ふたりは、グレンの手を表にしたり返したり、ためつすがめつ、調べている――そうだ。手をにぎられた、というより、調べられていると言ったほうが、正しい。 やがて、サルビアが確信を込めて、言った。 「――ルナさんの、おっしゃるとおりかと、存じます」 「そのとおりです」 ルナも重々しくうなずいた。 「なんだ? なんの話だ?」 グレンは聞いたが、ふたりはいきなりグレンを置いて、駆け出して行ってしまった。 「なんだったんだ?」 理解できない顔で固まっているグレンに、アルベリッヒが声をかけた。 「グレン、午後から暇だったら、買い出し付き合って」 「……いいよ?」 すっかり目が覚めたグレンは、反射的に返事をしていた。 ルナとサルビアが向かったのは、真砂名神社だった。階下のシャイン・システムから出て、一気に階段を上がり――ルナはひいひいふうふう、ぽてぽて上がったが――拝殿から神社に入り、黄金の天秤が安置されている場所まで、足早に向かった。 黄金の天秤をまえにして、ルナは、持ってきていた「12の預言詩」の紙をひらいた。 真砂名神社の奥殿に安置された黄金の天秤には、すでに11個の星守りが輝きを放っていた。だれか分からない、最後のひとり以外の星守りは、ぜんぶ埋め込まれている。 預言詩に記された11人が持っていた星守りだ。 アズラエルとグレンは、アストロスの星守り。 カザマとキラは、昼の神の星守り。 クラウドは夜の神。 ミシェルは、ラグ・ヴァーダの星守り。 リサとツキヨは、月の女神の星守り。 アルベリッヒとララは、太陽の神の星守り。 アンジェリカは、真砂名の神の星守りである。 アズラエルとグレンは、去年の祭りで、アストロスの星守りを手に入れた。ふたりはそれしか持っていなかったので、それを差し出した。 カザマは言わずもがな、キラは昼の神の星守りと太陽の神の守りを持っていたが、「あたしは明るくいたいから、太陽さんは持っていたい」と言って、しぶしぶ、昼の神の星守りをくれた。 ミシェルは、「一昨年のがあるから」といって、去年の星守りをくれた。 リサは、「あんたの天秤だから、やっぱり月の女神さまよね」と言って、星守りをくれたし、ツキヨには背景を話していないが、彼女は快く、L77から持ってきた、真月神社のお守りをくれた。なかには、星の玉が入っていた。 アルベリッヒは一昨年の分と被った太陽の星守りをくれた。ララは全種類持っていたが、ララがいちばん頼りにしているという太陽の神をくれた。 アンジェリカとクラウドは、いちばん最初に、天秤に乗せた。 「――その男は、ながの苦労、節を帯びた手で、そなたの力となるだろう。月の女神の光を帯びたる男よ」 ルナが読み上げたのは、グレンをしめす、預言詩の一節だ。ルナが読むと、グレンの星守りが、キラリと光った。 「光った!」 ルナは叫び、サルビアと、顔を見合わせた。 「やっぱり、グレンは長生きするんだよ」 「そう――そうですわ、そうですもの――」 ふたりは、ひと安心したように、がっくりと手を床に着いた。 グレンの手は、美しかった。 実戦にも出た軍人の手で、キズ跡もあり、ゴツくて大きいが、「節を帯びた」とわざわざ表現するような手ではなかった。 ルナはなんとなく、「節を帯びた手」というのは、老人の手であるような気がした。この預言詩によると、グレンがルナの助けとなるのは、もっと先――節を帯びた手――老人になってからなのかもしれない。 つまり、老人になるまでグレンは生きる。 地球に着いて、サルビアと暮らし、いつか地球行き宇宙船にふたたび、乗るのかもしれない。グレンは、地球に着いたら、地球で宇宙船のメンテナンスをしたりする仕事に着くために、船内役員や、派遣役員とはちがう、役員の資格を取ろうとしている。そのために講習に通っているのは、ルナたちも知っていた。 「ようするに、グレンは、だいじょうぶ、れす……」 ルナはそう言い、サルビアとルナは、ふたたび床に向けて、はーっとおおきなため息を吐いた。 「もう……ルナさんたら……いきなり、グレンさんが心配だなんておっしゃるから……」 サルビアは、安心のために、力が抜けた様子で座り込み、天井を見上げて嘆息した。 「ごめんなさいれす……」 おなじく、ぺたりと座り込んだルナは、うさぎ口で謝った。 どうにも、なぜか、不安が止まなかったのだ。 正直に言うと、「ラ・ムエルテ」がかかったアンより、グレンのほうが心配だった。アンの「バラ色の蝶々」は、ルナが助ける人物の中に入っている。ということは、月を眺める子ウサギがたすけるのだろう。だが、グレンはその中に入っていない。しかも、月を眺める子ウサギは、グレンのことはなにも言わない。 グレンは頼まれたら、よほどのことがないと断らないから、護衛術の講師に、ルシアンの警備員に、ラガーでのバイトに、いままでも忙しかったのは変わらない。だが、最近はとみに、自分を忙しくしている気がする。まるで、なにかから逃げるように。 不安が折り重なって、ルナはグレンのカードを何回も出したが、「ラ・ムエルテ」はかかっていない。「デサストレ(災厄)」も、「クリシス(危機)」も、危険を示す合図はなにも――心配のしすぎかと思ったが、どうしても、グレンが気にかかって仕方がないのだった。 「グレンさんが、最近、心ここにあらずなのは、わたくしにもわかります――軍事惑星のことを心配していらっしゃるのですわ」 サルビアは、別の意味で、ため息交じりに言った。 和風喫茶、吉野に移動した二人は、表の番傘つきの休み場でわらびもちを食べながら、暗くなってきた空を見上げた。春先だというのに、このところ、天気が崩れることが多い。 「ドーソン家のことを。グレンさんは先日、オトゥールさんにご連絡をして、お身内の方々のご無事を確かめたようですけれど――やはり、不安なのです。無理もありません。お気持ちは、わかります」 「……」 サルビアにも、グレンの気持ちが痛いほど分かった。サルビアも、L03が心配でならない。だが、サルーディーバとしての立場を失った彼女には、なにもできることがない。現職サルーディーバには、遠回しに、「二度とL03に帰ってはならぬ」と言われた彼女であるし、なにしろ、ラグ・ヴァーダの武神との戦いで、神力は完全に失った。サルビアは、今やただの人間だ。無理に帰ったところで、皆の足手まといになることは分かっていた。 もはや神力を持たないのに、名だけは意味を持つ。混乱したL03に、かつての名とはいえ、一度は「サルーディーバ」と予言されて生誕した彼女が現れれば、利用されかねない。もはやサルビアは、そういった輩から、自分で身を守るすべを持たないのだ。 それをわかっているから、帰ることができない。ユハラムもヒュピテムも、それを望まない。帰ってこられたところで、自分の身を守るすべもなく、ただびとと化したサルビアは、サルーディーバの名を利用したいものに担ぎ出されるかもしれない。そうなったら、この混乱期に、めんどうを増やすだけだ。 サルーディーバの名は、それほどまでに重い。サルビアも、それはじゅうぶんに分かっていた。 だから彼女は、だれの迷惑にもならないよう、遠く離れた地球に行き、そこで暮らそうとしている。ほんとうは、屋敷で、ルナやアンジェリカたちと一緒に、このまま暮らしたい。だが、しばらくは完全にL03から離れたところで暮らし、サルビアがサルーディーバであったことを――女性のサルーディーバという存在がいたことを、皆が忘れ去る時間が必要だった。 「グレンさんのドーソン家も、同じですわ。グレンさんは、捨てきれないのです。自分だけが、地球でのうのうと生き延びていいのか、きっと、そう思っていらっしゃる――わたくしも、以前はそう思っていましたから。その思いが、日々、途切れることはなかった」 ルナに初めて会ったころは、そんな毎日だった、とサルビアは苦笑した。 「グレンさんも、時間以上に、なにか吹っ切れるキッカケが必要なのです」 「キッカケ?」 「ええ――わたくしが、ラグ・ヴァーダの武神との戦いの中で、完全に力を失ったように」 「……」 「きっと、そういうキッカケでもなければ、グレンさんは、ドーソン家のことに、折り合いをつけることはできないと、わたくしは思います」 キッカケ――。 ルナがウサギ口をしたところで、サルビアは言った。 「だいじょうぶです。――もし、グレンさんがどうしても心配を捨てきれなくて、L18にもどろうとしても、」 「えっ」 「たとえばの話ですわ――グレンさんが、衝動的に、L18に帰ろうとしても、今はもう、勝手にもどることは叶いません」 グレンがもしL18に帰ることを決意したとしても、皆が止めるだろう。それはルナにもわかっていた。それに、グレンの担当役員であるチャンは、ぜったいに降船許可証を発行しないだろう。どこかのエリアに停泊していれば、強引に降りることも可能と言えば可能だが、もうまもなく、地球の太陽系内にはいる。そうなったら、自力では、L18にはもどれない。 地球の太陽系内は、地球行き宇宙船しか、太陽系外から出入りすることはできない。 つまり、船客であるグレンは、地球の太陽系内に入ったが最後、ひとりで引き返すことは、現実的に無理なのである。 「……」 サルビアの励ましがあっても、ルナの不安は消えることはなかった。サルビアは、話題を変えた。 「もうすぐ、冥王星が見えますわね」 地球の太陽系のいちばん外にある冥王星――それが、まもなく、肉眼で捉えられるようになる。 「いよいよ、地球に着きます」 「……うん」 不安もあったが、ルナは、うさこを信じると決めたのだ。元気よく返事をして、わらびもちとお茶を、お代わりした。 |